第87話
「お前なんでここにいるんだ」
「身内を見かけたら声をかけるくらいしますよ」
などと言っているが、由愛はそんなことしない。由愛は学校でこそ気配りできる出来のいい子で通っているが、実際には僕に似て面倒事は嫌いな性だからだ。
ちらりと由愛の後方に目を向ければ、由愛と同い年くらいであろう女子が数名目に入る。こちらに視線を向けて何かこそこそと会話している様子から、さっそく話のタネにしているだろうことは想像に難くない。そしてこの後、由愛を待ち構えるのは少女たちからの質問攻めだ。ゴシップ大好き女子中学生、「あんまり似てないね」とか「家ではどうなの?」とか、私生活の開示請求のごとく根掘り葉掘り尋ねられるのはさぞ鬱陶しいことだろう。それを避けるためには、僕と接触しないというのが一番確実な方法……にも関わらず、こうしてこの場にいるということは───
「ねっ匠君!約束通り、紹介してほしいな!」
椛に連れてこられたわけだ。確かに椛には由愛が文化祭に来る予定ということ、もし会う機会があれば紹介するということも話していたのでこれは自然な流れである。
しかし、のらりくらりとした我が妹でも、椛のコミュニケーションを前には無力だったか。もっとも椛の場合、無理やりそうさせられたという感覚はなく、やってもかまわない、やりたいという気持ちにさせられるのだから不思議である。現に由愛も、さほど嫌そうな顔はしていない様子だ。兄妹だから隠しているわけではないというのはよーく分かる。
「僕の妹の由愛だ。今は中学生」
「世良町由愛です。いつも兄がお世話になってます」
「わー、綺麗な所作……私が中学生の時、こんなに行儀良くなかったよ。凄いね由愛ちゃん」
丁寧なお辞儀に感嘆の声を漏らす椛。椛のことだ、外行きモード由愛に負けない程、中学でも良くできた子だったのだろうと容易に想像がつくが、この言葉は本心から出ているように感じられる。社交辞令などではなく、純粋に感心しているようだ。
「由愛。僕の同級生の日暮椛さん。今は実行委員で一緒に仕事中」
「よろしくね。椛って呼んでくれたら嬉しいな」
「では、椛先輩」
「先輩かぁ。あ、聞いてよ匠君!由愛ちゃん、夏休みのこと覚えててくれたんだ!嬉しいな」
えへへ、と照れる様子の椛。僕の下に来るまでに軽く会話をしているのだろう。椛は由愛のことをしっかり覚えていたが、由愛も同じだったようだ。
「その節はお世話になりました。丁寧で明るい対応、大変印象に残ってます」
どうだか。お前、僕に話した時、一番声に力入ってたの「おっぱいおっきかった」ってとこだぞ。外行き用に物腰丁寧に取り繕ってるところと併せて、この場では言及しないけども。
「由愛ちゃんは今日、朝から?」
「はい。一番、ではないですけど」
「それじゃあ、投票ってまだしてないかな?」
その問いに由愛は首肯する。おしゃべり好きな椛だが、今は仕事最優先ということを常に念頭に置いているようだ。自分の趣向や好奇心を抑えて行動できるその姿は尊敬に値する。
「みんなは心配ないと思うけど、もし投票箱に悪戯してそうな人とかいたら、実行委員まで教えてくれないかな。やっぱり毎年いるんだよね」
なるほど。椛はあくまで大量の白票のことは伏せつつ、何か違和感などがないかを尋ねる形で聞き込みを行っていたのか。相手に変に気取られず不信感も与えないいいアプローチ、流石だ。
ん?そう言えば……
「大変ですね。もしそんな人を見かけたらすぐにお伝えします」
「ありがとう!友達との時間邪魔しちゃってごめんね?」
「とんでもないです。あ、ところで」
あまり長く引き留めてしまっては由愛にもそのお友達にも迷惑だと考えた椛。切り上げようと思ったその時、由愛はそっと椛との距離を近づける。そのまますっと背伸びをして、耳打ちをした。
「兄さんにクッキーあげたの、もしかして椛さんですか?」
可愛らしい身の運び方からは想像もつかない衝撃に椛は声を上げる。
「!?な、なんで」
「女の勘と言うんでしょうか。……なかなか面倒な性格ですけど、どうか兄のこと、よろしくお願いします」
由愛はそう言うとぺこりと頭を下げ、友達の下へと戻っていった。
由愛は兄との兄妹仲が平均よりも随分良好であることを理解していた。一方で、妹という立場からの贔屓目を抜きに考えると、兄の性格や思考、対人能力に難があるということもまた事実。己に嘘をつける、ごまかせる、いい意味でストレスフリーに生きるのが得意である自分に対して、根が真面目な兄はそれを得意としないことも。友人の少なさや異性関係が全くないことも、その軽い口調とは裏腹に結構心配していたのが世良町由愛である。
そんな由愛はここ最近の兄の変化に当然気づいていた。自分に首ったけと言ってもあながち間違いでない兄の感情が他者に向けられるということ、全く寂しさがないと言えば嘘になるが、それ以上に兄の変化を好ましく思っていたのである。
願わくば、この好ましさが裏切られることのないように。この人か、あるいは他の誰かかも知れないが、兄にとって家族という括りを超えて大切に思える人ができてくれれば、自分はきっと泣いて喜ぶに違いない。そして今この瞬間は、そのチャンスに限りなく近いのではないかと由愛は感じていた。
「ね、ね!由愛ちゃん。あれってお兄さんと彼女さん?」
友人から興奮気味に話しかけられた由愛はクスッと笑いながら答えた。
「私も気になります」




