第78話
これは母の話だが、小さいころに近所で肝試し大会をやった時、顔にひんやりとした感触があってひどく驚いたそうだ。後になってその正体がコンニャクだったというのが分かり、今だったら食べ物を粗末にするなと大炎上するだろうと話した記憶もある。コンニャクそのもののひんやり、ひたっとした感触は恐怖心を掻き立てるのにうってつけ。だが、例えばこれを真っ昼間にやったところで、感触への驚きこそあれ恐怖へとは昇華されない。暗闇という視認性の悪さを伴い、初めてコンニャクは恐怖物質Kへと進化するわけである(コンニャクって英語でなんて言うんだろう)。
僕たちが入ったこのお化け屋敷も、最重要項目と言って差し支えないその暗闇の形成には随分と力を入れているようで、誘導灯を頼りに進まなければどこか壁に当たってしまうだろう。僕達も映画上映の都合上教室を暗くする必要はあったが、このレベルではない。教室でこれほどの暗闇を作ることができるのかと感心すら覚える。ほんとどうやってんだこれ。
「せ、世良町くん。いるよね?」
「いるから落ち着け。まだなんも出てないだろ、震えがこっちにまで伝わってくるから。僕も怖くなってくるから」
よく、周りが怖がったり焦ったりすると自分はかえって冷静になれるなんて話を聞くが、あれはあくまで視界が確保されているという前提の話なんだなと自覚する。暗闇で人伝いに振動がくると、その揺れを恐怖の身震いと体が誤認してしまうのではなかろうか。ほら、吊り橋効果的な。
そんな方向に思考がそれたことを僕はすぐに後悔する。吊り橋効果というのはその名の通り吊り橋、あるいは絶叫系アトラクションなど、心臓がドキドキする環境下においては、そのドキドキをすぐ横にいる相手への好意と誤認するという心理学の概念。恋愛テクニックどうこうの話をすれば初っ端から出てきそうなほどよく知られた話だ。で、そんなことが頭をよぎると、先ほどまで頭になかった感情が過ってしまい、いろんなことを意識してしまう。柔らかい感触とか、良い匂いとか、温度とか……この件入る前にもやったって。もういいって。少なくとも、怖がっている少女相手に抱いてよい感情じゃないってこれ。悪霊退散、煩悩退散。ドーマンセーマン、助けてくれ陰陽師。
心の中でヘルプコールをしながら曲がり角を曲がる。すると、露骨に青白くライトアップされた数多のホラー映画でレギュラー出演の大御所、井戸様(流石にハリボテだがこれまた完成度高い)が目に入る。これから、ここから出ますよというオーラしか放っていない。警戒心をMAXにしてじりじりと、さながら太極拳のごとくゆっくり井戸の前を通過しようと足を動かす。
そして案の定───
「うぼあぁぁぁぁぁ」
「きゃあああああああああ!!」
「うわあああああ!?」
背後だとっ!?あの露骨なまでの井戸は囮、視線誘導か!
「誰だコレ考えた奴性格悪っ!人間性欠如してるぞ!というか、出てくるなら和風にしろよ!どう考えてもこのセットなら白装飾の黒髪ロングの女性の霊だろ!」
なんでフランケンシュタインなんだよ。井戸に落っこちた設定か?ああん?いや出てきたの井戸じゃなかったわ。
「いやあ、サイズ合わなくて」
「喋んなよ」
「良い反応いただけたし、もうええかなって」
一発くらい殴っても許されるんじゃなかろうか。某幽霊役としてはキャスティングミスと思えるほどガタイのよろしいそいつに一歩近づこうとすると、途端に片腕がずんっと重くなる。まだ何か仕掛けがあったのかと慌てて横に視線を向ければ、微かな照明に照らされながら、へたへたと座り込んでいる少女の姿があった。
「染谷?」
「ご、ごめん、その、ちょっと」
腕に力を入れて腰を浮かそうとするも、上手くいかない様子の染谷。「あー、これは」と状況を察した僕はフランケンシュタインの方を睨みつけた。
「おい、どうしてくれんだてめぇ」
染谷はどうも、ビブラートの効いた美しい悲鳴の後そのまま腰を抜かしてしまったと見える。ただでさえ怖いのが苦手なところ、警戒していた方向とは真反対から責められては無理もないかもしれない。
「い、いや。おいら自分の仕事全うしただけで責められるようなことは」
「ほう、こんなかわいい女の子をこんな風にしておいて何も思わないと。原作では人の心を持ってたはずだが、とんだ出来損ないだな」
「ひどない?」
いいやひどくない。脅かす側はこっちの姿が見えているはず。染谷が怖がりなのもその様子から容易に推測できたはずであり、それにもかかわらず加減せず驚かしたこいつが悪い。誰が何と言おうとこいつが悪い。……とはいえ、相手方が仕事に忠実だったという主張もまた正しいわけで、これ以上どうこう言うのは良くないというのも理解できる。故に。
「悪い、少し気が立った」
「い、いや。こっちこそ申し訳ない」
すぐ謝れる日本人になるのであった。
「とにかく、ゴールじゃなくて逆走して入口から出させてもらうけど、構わないよな」
僕がそう尋ねると、「ああ」と返答するお化け。了承も得たことだし、僕は染谷に背を向けて膝を突きながら座り込んだ。
「染谷、ほら」
「え?」
「立てないだろ。背負う」
そう言うと、何やら呼吸音が1つなくなった。恥ずかしいのは分かるが、こればっかりは仕方がない。
「お姫様抱っこは?」
「黙れ」
上から聞こえた声を軽くあしらう。お姫様抱っこは体力や腕力がめちゃくちゃ必要なのだ。以前、由愛相手にやったことがあるが精々数秒しか持たず「お兄はダメだね。主人公になれないよ」などと言われた記憶を思い起こす。漫画やドラマのメインキャラと一緒にするな。あいつらおかしいんだよ、誰でも彼でもできると思うなよ。こいつはそのガタイだからできるのかもしれんが。
僕がそのバカげた提案に対して溜息1つついた後、するりと首元に巻き付く制服の感触がし、ぽしょっとした呟きが聞こえた。
「お願い、します」
僕の視界の前で恐る恐る、片方の手首を掴むように腕が組まれる。続いて、首越しに息遣いと、ふにっとした柔らかい感触が背中に2つ。それがなんなのかを意識しないように努めながら、近づけられた太股を下から支えるように手を沿える。素肌じゃなくて助かった、マジで。
体重がぐっと預けられたことを確認し、僕は染谷に一声かけてゆっくりと立ち上がる。そのままお化け屋敷を後にするのだった。




