第73話
「初日、お疲れ様でしたー!」
「お疲れ様ー!」
文化祭初日は大きなトラブルもなく、無事に店じまいの午後5時を迎えた。その後、お昼とは比べ物にならないくらいたくさんの用紙を回収し、集計を終えた現在は午後6時を回っている。なお、この集計に関しては2日目勤務の実行委委員も強制参加である。人手がいる作業だからね。
「改めて言っておくけど、開票状況に関しては一切他言無用だよー」
ホワイトボードに掛かれた正の字を消しながら相生がそう告げると、実行委員から「何を当たり前のことを」という雰囲気丸出しの返答が相次ぐ。投票は明日も行われるため、今の段階でどのクラスが優勢、劣勢と言うのを外部に漏らすのは絶対タブーなのは当然だ。
「意外と早く終わりましたね」
「意外て」
「これまでのことを考えたら、集計結果が何度やってもずれるという状況になってもおかしくないかと思ってました。私、今日の帰宅は8時過ぎを覚悟していたのですが」
「明日もあるのにそれは勘弁してほしいな」
パソコンを操作し、シャットダウンしながら告げる三橋に僕は苦笑いしながら返す。確かにこれまでのトラブルや人員のはっちゃけ具合を考えるとスムーズに事が運ばないだろうと予測する気持ちは十二分に理解できる。実際、僕もまさか一回でピタッと集計結果が揃うとは夢にも思わなかった。嬉しい誤算である。
そんな会話をしていると、たったっと駆けてくる影が1つ。椛である。
「ね、ね!匠君!見てこれ!」
「ん?アンケートか?」
実は僕たち実行委員の仕事は文化祭当日で終わりではない。その後、学生、および外部のお客さんから頂戴したアンケートをもとに今回の反省点や課題を洗い出し、来年の実行委員の参考資料を用意するまでが仕事の範囲だ。そして2日間開催される文化祭の内、初日のみしか参加しないお客さんも当然いるわけで、その人たちが記入してくれたアンケートが今、椛が抱えている紙束というわけである。
「こちらも意外に多いですね」
「それだけ魅力的なものだったってことだよ!」
その量に純粋に驚いている三橋と、嬉しそうな顔をする椛。実際にアンケート内容を集計するのは文化祭終了後なので現段階では椛の言う様に好意的な反応が多いとは判断できない。外部の人ならば、「良かった」よりも「悪かった」というクレームを伝えるためにアンケートを書くような気もするからだ。
だが、ここでそれを指摘するのは野暮というものだろう。
「アンケートの内容が良いものばかりとは限りませんよ」
「三橋」
僕は窘めるように名前を呼ぶ。こいつ、わざわざ僕が言うまいと思っていたことを。
「どうして世の中、わざわざクレーム対応窓口という物ができたと思いますか?肯定的意見より、否定的意見を述べたい人の方が圧倒的に多いからですよ」
「むー!そんなの見てみないと分からないでしょ!」
三橋の物言いに頬を膨らませる椛。そんな2人を見て、相生が声をかけてきた。
「アンケートは今日は置いといてー。見始めたら終わらないから。明日もあるんだし、早く帰った方がいいよ」
ごもっともな指摘。今日のやることは終わったんだから明日に備えて早く帰るに越したことはない。ま、6時過ぎた時点で早くはないのだが。多分、一般的な社会人なら残業してる時間にあたるだろう。
「では、私はお先に失礼します」
今のわずかな間にいつの間にか荷物をまとめた様子の三橋。椅子を引いて立ち上がり、そのまま出口へ向かう背に僕と椛も声をかけた。
「お疲れ」
「お疲れさまー」
閉まったドアを見ながらボソッと呟く。
「凄いスムーズな帰宅だったな」
「あはは……」
一刻も早く帰りたかったんだろう。良く分かる。僕もさっさと帰るか、そう思った時、つんつんと腕をつつかれた。位置的にそんなことをする人は1人しかおらず。
「ね、匠君。良かったら一緒に帰らない?」
「え」
秋の夜長。まだ7時にもなっていないのに外はすっかり暗くなっており、街灯が薄く照らす道は先ほどまでの明るくにぎやかな校内とは打って変わって寂しさを感じさせる。だが、チリリ、と鳴く鈴虫の存在がただの寂しさに色を付けていた。そしてこの空気を、雰囲気を壊すことなく、穏やかな会話を椛は紡いでくれている。
コミュニケーション能力と一言に言っても、そこに必要なスキルは数多くある。話し方、声量、相槌などのリアクション、そもそもの会話きっかけとなる引き出しの多さなど。椛と話していると、そのあらゆるスキルが非常に高い精度で備わっていることに感心する。要は、話していて楽しいのだ。いつもと同じ道のはずなのに随分と短く感じる要因は、そのほとんどがこの少女に由来する。何と言うか、本当によくできた子である。親御さんもこんな娘さんがいたらさぞ鼻が高いことだろう。
「匠君は明日がオフなんだよね?誰と回るとか決めてるの?」
「あー、一応な」
僕がそう答えると、椛は「え、意外」という顔をするものだから、僕は口をとがらせながら指摘する。確かに僕も相手からの誘いがなければ1人悲しく空き教室に座って本でも読んでいたかもしれないが。
「ごめんごめんっ。でも、残念だなあ。くじ引きで匠君と同じ日に勤務日になってたら、一緒に回れたのに」
「え?」
考えもしていなかった言葉を聞き、僕は足を止めて素っ頓狂な声で訊き返す。
対する椛は足を止めることなく、僕より数歩前に出てからこちらを振り向いた。くるっと回る瞬間、後ろ手に持った鞄やポニーテールが慣性に従いワンテンポ遅れて揺れる。
街灯の届かぬそこ。この暗闇の中、距離が離れてしまった椛の表情を判断するに、わずかな月明かりは少々頼りない。
「ここまでで大丈夫!ありがと」
「え、いや」
「そうだ」
こちらの混乱した反応に気づいていないのか、はたまた気づいた上でそうしているのか。椛は先ほどの発言などなかったかのようなテンションで、鞄の中に手を入れて何かを取り出す。
そして───
「はいっ!これっ!」
そう言って、その手にしたものをこちらに放ってきた。
「うわっ!」
暗闇から突如、街灯エリアに現れたように見えるそれに両手を伸ばし何とかキャッチする。がさっという音と共に、ビニールの手触り、そして微かな重量を感じる。
手にあったのは綺麗にラッピングされた小さな包み。中には綺麗な形のクッキーが入っていた。
「それじゃ、また明日!」
「え、おい!」
たったったっ、と掛けていく椛の背中はあっという間に遠ざかる。僕は、口を開けてぽかんと立ち尽くす他なかった。
鈴虫の鳴き声が、少し大きくなった。




