回り始めた歯車
大西理乃の遺伝子を改変し、治癒能力を高めると共に人には無い再生能力を与える事で、神経細胞を再生すると言う結希の計画を実行するには、小出の説得と合わせて、理乃自身の承諾をとる必要があった。
この荒唐無稽とも思える話を納得させ、承諾させる役目を負うのは当然、結希自身であったが、話をする時間は十分あった。なにしろ、二人とも体育の授業を受けないのだから、その時間を使えばいいだけだった。
まだ、小出からの承諾の返事は届いてはいなかったが、その日の体育の時間、結希は授業が始まると、すぐに行動に移した。
並んで体育見学をしている大西に目を向けると、クラスメートの姿に視線を送っていた理乃は結希が自分に顔を向けた事に気づき、顔を結希に向けた。
何? そんな感じの笑みを浮かべながら、理乃が首を少しかしげて、結希の言葉を待っているような仕草をした。
信じてもらえるだろうか?
そんな思いが抜けない結希が言葉を詰まらせ、一度大きく深呼吸した。
「ふぅー」
結希の大きく息を吹き出すと言う行動に、何か大事な話を予感した理乃が引き締まった表情で、結希を見つめた。
「ねえ、理乃。今から言う話を聞いてくれるかな?」
「うん。
何? 大事な話?」
「理乃の怪我を治せるかもしれないの」
結希の言葉に、理乃に一瞬驚きの表情が浮かんだが、すぐ悲しげな表情で首を横に振った。
「無理よ。神経が切れているの」
「あのね、普通なら、治らないんだと思うの。
でも、ある方法で治せるかもしれないの」
結希がこの信じられそうにもない話を信じてもらいたくて、理乃の前に回り込み理乃の両肩に手を当て、じっと見つめた。結希の気迫が通じたのか、とりあえず友人の戯言を聞いてみようと思ったのか、理乃は否定する事もなく、にこりと微笑んで返した。
「それって、どんな方法なの?」
「私の口からは具体的には言えないんだけど、遺伝子を使った特別な方法で」
「遺伝子?」
その言葉に食いついたのか、理乃の目が輝いているように感じた結希がちょっと戸惑い、続く言葉が止まった。
「本当なの?
先生は誰なの?」
「えぇーっと、遺伝子を使った方法で治るって事は信じてもらえたのかな?」
「よく分かんないけど、結希ちゃんの言葉なんだから、信じるっ!」
「ありがとう」
普通なら信じられないような話を、どう理解してもらおうかと思っていた結希だったが、結希の言葉だから信じると、あっさり解決した事で拍子抜けしつつも、嬉しくもあった。
「で、先生は誰なの?」
理乃が結希の目を見つめて、さっきの質問を繰り返した。
「なんで?」
「だって、自分の体の事なんだよ。
気になるよ」
それは結希を納得させるに十分な言葉だった。
「まだ話しているところなんで、確定って訳じゃないんだけど、近くの大学の小出先生って人なんだけど、この事は絶対に誰にも言わないでほしいの」
「小出先生」
理乃が視線を上に向け、ぽそりとその名を復唱した後、結希に視線を戻した。
「分かった。
お願いするわ」
理乃が笑顔でそう即決した事は、結希にとっては驚きでもあり、自分を信じてくれると言う嬉しさでもあった。
「本当に?
信じてくれるの?」
繰り返された結希の確認に、理乃が力強く頷いた。
「じゃあ、私、この話、進めるね」
「うん。お願します」
理乃が車椅子の上で、頭を下げた。
理乃の方は順調に進んだが、小出が引き受けなければ理乃の遺伝子組み換えも進まない。
そして、小出が結論を出すのはまだ先と思われていたが、その日の夜に小出が動いた。
人命を尊重するために承諾を渋っていたと思われていた小出だったが、何か確信的なものを得たのか、それとも清水の舞台から飛び降りる気になったのかは分からないが、話を引き受けるので、もう一度話をしたいと電話をかけてきたのだった。
これで、条件は揃った。
あの技術を他人に託す事を行動に移す。それは結希の祖父にとっては、それこそ清水の舞台から飛び降りるものだった。




