EP 30
縁側の夕涼み
アルニア領の空を、茜色の美しい夕焼けが染め上げていた。
マモルが『5LDKスキル』で召喚したマイホームのキッチンからは、ジュワァァァ……という心地よい揚げ物の音と、食欲をそそるニンニク醤油の匂いが漂っている。
「パパぁ! お兄ちゃん! ただいまー!」
「た、ただいまー!」
玄関の扉が開き、元気な声と共にアルカとユウが帰ってきた。
二人の服や顔は、公園の砂場で元魔王サルバロスと共に『魔王城塞』の建築(砂遊び)に熱中したため、見事に泥だらけだ。
「おっ、おかえり。二人ともすっげえ泥だらけだな」
ジャージ姿のマモルが縁側から声をかけると、エプロン姿の龍魔呂がキッチンから飛んできた。
「ユウ! 怪我はないか!? どこか痛むところは――」
「ふふっ、お兄ちゃん大丈夫だよ。すっごく楽しかったの!」
ユウが泥だらけの顔で、満面の笑みを向ける。
その純粋な笑顔を見た瞬間、龍魔呂の心配そうな顔は一瞬でとろけ、聖母のような慈愛に満ちた表情へと変わった。
「そうか……。よし、二人ともすぐにお風呂に入ってきなさい。フィリア、悪いが二人の体を洗ってやってくれないか」
「はいっ、お任せください龍魔呂さん! さあ二人とも、一緒にお風呂に行きましょうねー」
居候ヒロインのフィリアが、ニコニコしながら二人を浴室へと連れて行く。
やがて、一番風呂を終えてサッパリした子供たちがリビングに戻ってくると、テーブルの上には、龍魔呂が全精力を傾けて揚げた『特大・黄金の唐揚げマウンテン』が鎮座していた。
「「わぁぁぁぁっ!!」」
子供たちの歓声と共に、賑やかな夕食が始まる。
ルチアナがビールを片手に唐揚げを奪い合い、リーザがタッパーの隙間を埋めようと奮闘し、エルミナとヴァルキュリアがマモルの隣の席を巡って小競り合いをする。
龍魔呂は自分はほとんど食べず、ただひたすらに、ユウが美味しそうに唐揚げを頬張る姿を、目を細めて見守っていた。
***
夜の八時。
遊び疲れた上に、お腹いっぱいご飯を食べたユウとアルカは、リビングのふかふかのカーペットの上で、毛布にくるまりながら寄り添うように眠りに落ちていた。
「……」
龍魔呂は、静かな寝息を立てるユウの頭を優しく撫でた。
悪夢にうなされることもなく、ただ安らかに、子供らしい無防備な顔で眠っている。
(……ユウ。お前はもう、大丈夫だな)
龍魔呂は静かに立ち上がり、リビングの窓を開けて、縁側へと出た。
春の夜風が、火照った体を優しく撫でていく。
縁側では、マモルが先に腰を下ろし、冷えた缶ビールを二つ用意して待っていた。
「……お疲れさん。ユウ君、寝たか?」
「ああ。泥のように眠っている」
マモルがヒョイと投げた缶ビールを、龍魔呂は片手で受け取った。
プルタブを開け、一口飲む。
キンキンに冷えた麦酒が、喉の奥へと染み渡っていく。
「小学校が始まって、一週間。……どうだ、お兄ちゃん生活は。ちょっとは肩の力、抜けたか?」
マモルが、夜空の星を見上げながら問いかける。
「……正直に言えば、まだ怖い」
龍魔呂は、缶ビールを両手で包み込みながら、ポツリとこぼした。
「朝、あいつが一人で玄関を出ていく時。俺の目の届かない『学校』という場所で過ごしている時。……いつかまた、あいつが理不尽な暴力や死に奪われてしまうんじゃないかと、背筋が凍る思いがするんだ」
それは、弟を一度喪い、地獄の底まで落ちた男だからこそ抱えてしまう、消えないトラウマだった。
「だから俺は、弁当作りに命を懸け、護衛として尾行し、授業参観で睨みをきかせた。……だが、今日、砂場で泥だらけになって笑うあいつを見て、ハッキリと分かった」
龍魔呂は、ゆっくりと顔を上げた。
その横顔からは、かつて世界を震え上がらせた『処刑人(DEATH4)』の禍々しい影は、完全に消え去っていた。
「あいつはもう、俺が守らなければすぐに壊れてしまうような、ただの『か弱い命』じゃない。自分の足で歩き、自分の声で友達を作り、自分の力で生きていける……一人の立派な『人間』になっていたんだ」
「……ああ。その通りだ」
マモルは優しく微笑み、自分の缶ビールを龍魔呂の方へと差し出した。
「お前が命を懸けて取り戻したのは、そういう『当たり前の強さ』を持った、普通の男の子だ。……だからお前も、もう一人で戦場に立つ必要はねえんだよ。ここはアルニア領だ。お前とユウ君の『帰る家』だ」
龍魔呂は、マモルの言葉に深く、深く頷いた。
彼は無意識に、右手をズボンのポケットに入れた。
かつての彼なら、ここで真鍮製のオイルライターを取り出し、親指でフタを弾いて『カチンッ』と冷たい音を鳴らしていただろう。
不安な時、殺気を練る時、処刑の合図を出す時。ライターの音は、常に彼の「戦いのスイッチ」だった。
だが。
龍魔呂の右手がポケットから取り出された時、そこにライターは握られていなかった。
龍魔呂は、空になった右手で、自分の持っていた缶ビールを持ち上げた。
そして、マモルの差し出している缶ビールへと、静かに近づけた。
――カチンッ。
真鍮の冷たい音ではなく。
アルミ缶同士がぶつかり合う、軽快で、少し気の抜けた、平和な乾杯の音が夜の庭に響いた。
「……悪くないな。こういうのも」
龍魔呂が、心からの、本当に穏やかな笑みを浮かべた。
「だろ? 明日も早いぞ。お前、また朝の四時から『キャラ弁』作るんだろ?」
「ああ。明日はラビーク(兎)ではなく、エルミナの形をしたキャラ弁に挑戦するつもりだ」
「それはそれで、エルミナが照れてめんどくさい事になるからやめとけって」
男たちの低い笑い声が、星空の下に溶けていく。
家の中からは、寝言を言うユウとアルカの可愛い声が、かすかに聞こえていた。
血塗られた処刑人の、果てしなく長かった復讐の旅は、完全に終わった。
ここは異世界、アルニア公爵領。
最強の領主(教師)と、最強の料理人が守るこの小さな家で、明日もまた、騒がしくも優しい、極上のスローライフが幕を開ける。




