EP 28
元魔王と、子供たちの放課後
授業参観があった日の放課後。
アルニア領の住宅街にある、のどかな「中央公園」の砂場は、子供たちの賑やかな声に包まれていた。
「おらぁ! 砂の城、もっと大きくするぞー!」
「アルカ、お水持ってきたよ!」
ランドセルをベンチに放り投げ、泥だらけになって遊んでいるのはアルカとユウだ。
小学校が始まってからというもの、ユウはすっかりクラスに馴染み、放課後はこうしてアルカと一緒に公園で遊ぶのが日課になっていた。
――ヒック。
そんな子供たちの微笑ましい姿から少し離れたベンチ。
春のぽかぽか陽気の中、昼間からワンカップの安酒を煽り、スルメをかじっている一人の冴えないおっさんがいた。
ボロボロの着流しに、無精髭。どこからどう見ても「近所の無職のおっさん」だが、その正体はかつて世界を恐怖に陥れた元魔王・サルバロスである。
「カァーッ! 昼間っから飲む酒は最高だねぇ。……ん? なんだ小僧ども、そりゃあ城じゃなくて『土饅頭』だろ」
サルバロスが酒臭い息を吐きながら、砂場で遊ぶ二人を覗き込んだ。
ユウとアルカが一生懸命に作っていたのは、砂を丸く盛っただけの、お世辞にも城とは言えないクオリティの土塊だった。
「おっちゃん、これお城だよ! これからお堀も作るんだから!」
ユウが泥の手で顔を拭いながら反論する。
「ケッ、甘ぇな。そんなヘナチョコな防壁じゃあ、帝国の重装騎兵の一撃で木っ端微塵だぞ。城ってなぁ、こう……敵の返り血を吸って黒く染まるほどの威厳がなきゃあよぉ」
「むー! じゃあ、おっちゃんが作ってみてよ!」
アルカが小さなぷくっとした頬を膨らませて、小さなバケツをサルバロスに突き出した。
「あ? 俺にか? ……よせやい、元魔王様が砂遊びなんて――」
「おっちゃん、できないの……?」
ユウが、大きな瞳をウルウルと輝かせながら、純粋無垢な視線で見上げてくる。
――ズキン。
かつて世界を滅ぼそうとした魔王の胸に、謎の良心が突き刺さった。
「……っ。おい小僧、今『できない』っつったな? 聞き捨てならねぇ。いいか、俺がかつて住んでいた魔王城『黒呀城』はな、攻め落とすのに人類の軍勢が百万人必要と言われた不落の要塞だぞ。その設計思想を、この砂場に叩き込んでやるよ!」
カラン、とワンカップの瓶をベンチに置き、元魔王サルバロスが本気の目で砂場に足を踏み入れた。
***
数十分後。
第一小学校の放課後見回り(パトロール)を終えたジャージ姿のマモルが、ふと公園の砂場に目をやった瞬間、その場で硬直した。
「……おい、なんだあの禍々しい空間は」
そこにあったのは、もはや子供の「砂遊び」の次元を遥かに超えた、異様な建造物だった。
砂場の中央にそびえ立つのは、全高一メートルを超える、精緻極まる漆黒の砂の城。
ゴシック建築を思わせる禍々しい尖塔、侵入者を拒む幾重もの外壁、そして完璧な黄金比で計算された跳ね橋。
サルバロスが、かつて世界を震撼させた『魔王次元剣』の超微細な空間収縮技術を応用し、砂の粒子一つ一つを極限まで圧縮して、実物さながらの硬度を持つミニチュア要塞を錬成していたのだ。
「フハハハハ! 見ろ小僧ども! これが我が魔界の誇る絶対防衛要塞だ! 水を流してもビクともせんわ!」
腕を組み、砂まみれの顔で高笑いする元魔王。
「すごーーいっ!! おっちゃん、天才!!」
「かっこいいーーーっ!!」
ユウとアルカが目をキラキラ輝かせて、砂の魔王城の周りでぴょんぴょん跳ね回っている。
かつて世界を震撼させた覇王が、今や「砂場で子供たちに絶賛される近所の凄いおっちゃん」に完全になり下がっていた。
「……お前、何に『次元剣』使ってんだよ」
マモルが呆れ果てた顔で砂場に近づき、サルバロスの頭をハリセンでスパーンと叩いた。
「痛ぇっ!? なんだマモル、人がせっかく次世代の魔王軍の育成(砂遊び)をしてるってのに!」
「育成じゃなくて、ただの自慢だろ。大人が本気出して小学生にドヤ顔すんな」
「おっちゃん、すごかったんだよ! 魔法みたいにパパッてお城作ったの!」
ユウがマモルのジャージの裾を引っ張って、サルバロスを庇う。
「マモル先生! このお城、壊しちゃうのもったいないから、お家に持って帰りたい!」
アルカもバケツを構えて無茶を言い出す。
「いや、持って帰れないだろこれ……」
マモルが苦笑していると、砂の魔王城の精緻な出来栄えを、遠くからじっと見つめている不審な影(黒トレンチコート)に気づいた。
木陰から高性能双眼鏡で砂場を監視していた龍魔呂である。
(……ほう。元魔王の空間制御。砂の密度を均一に保ち、自重による崩壊を防いでいるな。……あれは『キャラ弁』における、立体的なおかずの配置(立体造形)に応用できるかもしれん)
龍魔呂は、手帳を取り出すと、サルバロスの砂の城の構造をスラスラとデッサンし始めた。
彼の中では、魔王の秘技すらも「ユウに喜んでもらうためのキャラ弁の技術」へと昇華されようとしていた。
「あー……龍魔呂、お前もそこにいるなら、もう夕方だから二人を連れて帰ってくれ」
マモルが木陰に向かって声をかけると、シュッと音を立てて龍魔呂が砂場に現れた。
「……分かった、マモル先生。ユウ、アルカ、今日の夕飯は特大の唐揚げだ。帰るぞ」
「わーい! 唐揚げだー!」
ユウとアルカがランドセルを背負い、龍魔呂の両手にそれぞれ繋がれて歩き出す。
別れ際、ユウは振り返って、サルバロスに元気に手を振った。
「おっちゃん、また明日もお城作ろうね!」
「……ケッ。気が向いたらな」
サルバロスはプイと顔を背け、再びベンチのワンカップを手に取った。
しかし、その無精髭に隠れた口元は、どうしようもなく緩んでいた。
「……やれやれ。元魔王まで牙を抜かれてやがる」
マモルは笑いながら、夕暮れの公園を後にした。
世界の天井クラスの強者たちが、ただの子供たちの笑顔のために全力を出す。
アルニア領の、優しくて、少しだけおかしな放課後は、今日も穏やかな夕日に包まれていくのだった。




