EP 27
恐怖の授業参観(本番編)
土曜日の午前二時間目。アルニア第一小学校は、一年に一度のビッグイベント『授業参観』の当日を迎えていた。
校舎内には、我が子の晴れ姿を一目見ようと、綺麗にドレスアップした街の父親や母親たちが大勢集まり、賑やかな声を響かせている。
――しかし、1年A組の教室の後ろ半分だけは、まるで氷河期が訪れたかのような異常な静寂と、凍りつくような緊張感に包まれていた。
「ひぃっ……!」
「あ、あなた……近寄っちゃダメよ……目を合わせたら消されるわ……!」
保護者たちが壁際に固まり、ガタガタと震えながら一目置いている。
彼らの視線の先。教室の最後尾、換気用の窓のすぐ隣に、直立不動で腕を組んでいる一人の大男がいた。
男の名は龍魔呂。
前回のファッションショーの反省を活かし、今日の彼は「一番無害」と結論づけた、いたって普通の黒いポロシャツにチノパンという出で立ちだ。
だが、問題はそこではない。
190センチの巨体から醸し出される、極限まで練り上げられた『暗殺者の気配』と、弟を心配するあまり無意識に漏れ出している『ドス黒い重圧(ブラコン闘気)』。
それが組み合わさった結果、周囲の保護者やPTA会長の目には、「一般人に擬態して学校に潜入した、敵対組織の伝説的ヒットマン」にしか見えなくなっていた。
(……ユウ、席は真ん中か。姿勢が良いな。素晴らしいぞ……!)
龍魔呂のサングラスの奥の瞳は、愛しい弟の背中に完全にロックオンされていた。しかし、その鋭すぎる視線は、周囲から見れば「今から誰をハジくか品定めしている暗殺者の目」そのものである。
「えー、それじゃあ算数の授業を始めるぞー」
教壇に立つジャージ姿のマモルが、いつも通りの軽い調子で黒板にチョークを走らせる。
マモルはチラリと教室の後ろを一瞥し、保護者たちの顔が全員真っ青になっているのを見て、(やっぱりこうなったか……)と内心で深い溜め息をついた。
「今日の問題はこれだ。『3+5は、いくつでしょう?』。分かる奴は手を挙げてみろー」
小学校一年生の、最初期の簡単な足し算。
子供たちが「はーい!」「はーい!」と元気よく手を挙げる中、真ん中の席のユウも、少し緊張した様子で、おずおずと右手を挙げた。
(……っ!? ユウが、手を挙げた……!?)
その瞬間、龍魔呂の全身の筋肉がビキィッと音を立てて緊張した。
彼の心臓は、地獄の閻魔と対峙した時よりも激しく脈打っている。
(がんばれユウ……! 手を挙げられただけでも、兄さんは誇らしいぞ……! おいマモル! 早くユウを指せ! 指さないと、今すぐその教壇を『詠春拳』で木っ端微塵にするぞ……!!)
龍魔呂から放たれる「当てろ」という無言の殺気が、波動となって教室内を駆け抜ける。
すぐ隣にいた保護者が「うぷっ……プレッシャーで胃が……」と、その場に崩れ落ちそうになっていた。
マモルは、龍魔呂からの「指せ、さもなくば死」という理不尽な脅迫(視線)を合気道の精神で綺麗にスルーしつつ、タイミングを見計らってユウを指名した。
「よし、じゃあ……ユウ! 黒板に答えを書いてみろ」
「はいっ……!」
ユウが椅子から立ち上がり、トテトテと黒板の前へと歩み出る。
三十人のクラスメイト、そして数十人の保護者たちの視線がユウに集まる。その中には、もちろん、実の兄の「魂が燃え盛るような視線」も含まれていた。
ユウは小さな手でチョークを握り、少し震えながらも、黒板に大きく数字を書いた。
『8』
一ミリの狂いもない、大正解である。
「よし、大正解! ユウ、よくできたな!」
マモルがパチパチと拍手すると、クラスの子供たちからも「おー!」と歓声が上がる。
「へへ……」
ユウは嬉しそうにはにかみながら、自分の席へと戻っていった。
その瞬間であった。
「……う、ううっ……ぐすっ……!」
教室の後ろから、低く、しかし確実に鼓膜を震わせる「男の泣き声」が響いた。
保護者たちが恐る恐る振り返ると、そこには、サングラスを少しずらし、ハンカチで滝のような涙を拭っている龍魔呂の姿があった。
「……立派に、計算ができた……。あんなに小さかったユウが……黒板に『8』と書いた……。これは世界の歴史に残る偉大な一歩だ……ぐすっ……!」
感動のあまり、無言でユウに向かって親指を立てる(サムズアップ)巨大なマフィア。
しかし、周囲の保護者たちの脳内変換は、完全に別の方向へと暴走していた。
(ひ、人殺しの目をしながら泣いてる……!?)
(黒板の『8』って、まさか……次の暗殺ターゲットの人数ってコト!?)
(あのサムズアップは『作戦成功』の合図か……!? アルニア領の裏社会は、あの男に支配されたんだわ……!!)
教室内の恐怖値が限界を突破する中、ユウだけは後ろを振り返り、兄のサムズアップを見て「えへへ」と嬉しそうに笑い返していた。
***
キーンコーン、カーンコーン。
五時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、恐怖の授業参観は無事に(?)幕を閉じた。
保護者たちが一斉に、脱兎の如き勢いで教室から逃げ出していく。
「ふぅ……」
教壇で片付けをしていたマモルは、最後まで教室の後ろに残っていた龍魔呂の元へと歩み寄った。
「おい、龍魔呂。お前のせいで、他の親御さんたちが全員、顔面蒼白で帰っていったぞ。PTA会長なんて『上納金はいくら包めばよろしいでしょうか』って俺に聞いてきたからな」
「なぜだ。俺は今日、一言も発さず、極めて無害な一般の兄として振る舞っていたはずだが」
龍魔呂は涙を拭い、大真面目な顔で首を傾げる。
「お前の存在自体が『有害指定』なんだよ。……まぁ、ユウ君が嬉しそうだったから、今回は不採用(お咎めなし)にしてやるけどな」
マモルが苦笑しながら龍魔呂の肩を叩くと、教室の入り口から、ランドセルを背負ったユウとアルカが走ってきた。
「お兄ちゃん! ぼくの算数、見ててくれた!?」
「ああ、見ていたぞユウ。完璧な『8』だった。今夜は、お前が大好きな唐揚げを特大の山盛りで作ってやろう」
龍魔呂の顔が、一瞬で聖母のような笑顔に変わる。
「わーい! お兄ちゃん大好き!」
ユウが龍魔呂の太い足にギュッと抱きつき、龍魔呂はそれを愛おしそうに抱き上げる。
そのあまりにも微笑ましい兄弟の姿を見て、マモルは(まぁ、勘違いされてるけど……この平和が一番だな)と、窓の外の青空を見上げるのだった。
アルニア領の授業参観は、周囲の胃薬の消費量を爆発させつつも、最高に温かいハッピーエンドで幕を閉じた。




