EP 22
ピカピカの1年生と、最強の護衛
「パパ! お兄ちゃん! 行ってきまーす!」
「い、行ってきます……!」
アルニア領の朝。
マモルのマイホームの玄関から、二つの小さな影が元気よく飛び出してきた。
赤いランドセルを背負い、ウサギの髪飾りを揺らすアルカ。
そして、新品の黒いランドセルを背負い、少しはにかみながら手を振る銀髪の少年、ユウだ。
アルニア第一小学校の制服(マモルが日本風にアレンジしたブレザー)に身を包んだ二人は、小さな手をしっかりと繋ぎ、春の陽気の中を歩き始めた。
「……」
「……」
その微笑ましい光景を、玄関先で見送る二人の大人の男。
しかし、子供たちの姿が角を曲がって見えなくなった瞬間。
シュッ……!!
龍魔呂の姿が、音もなく掻き消えた。
琉球古武術・歩法『縮地』の応用。気配を完全に断ち、周囲の風景に溶け込む暗殺者の極意である。
「……おい、龍魔呂。どこ行った」
一人残されたジャージ姿のマモルがため息をつきながら歩き出すと、十メートル先の電柱の裏から、低く重い声が響いた。
『……ここだ、マモル。こちらスネーク(龍魔呂)。対象の追尾を開始する。……アンタも早く気配を消せ』
「隠れきれてねえんだよ、190センチの大男がよぉ!」
マモルがハリセンを取り出し、電柱に同化しようとして完全に肩と足がはみ出している龍魔呂にツッコミを入れた。
今日の龍魔呂は、いつもの黒と赤のレザージャケット姿ではない。
『目立たないように』と彼なりに配慮した結果、黒のトレンチコートに黒のサングラス、黒のハットという、完全に裏社会の顔役が休日に変装しただけの不審者スタイルになっていた。
「俺はこれから学校に行って、ホームルームの準備をしなきゃならねえんだ。なんでお前の『見守り(ストーキング)』に付き合わされてんだよ」
「頼む、マモル。あいつは今日が初めての『外の世界』なんだ。もし、馬車が突っ込んできたら……もし、魔獣が出たらどうする!」
「ここは俺が治めてるアルニアの住宅街だぞ。魔獣なんか出るか」
言い合いをしながらも、マモルは仕方なく龍魔呂の隣を歩き出した。
前方では、アルカが道端のタンポポを指差し、ユウがそれを見て笑っている。
平和そのものの光景だ。
だが、後方を歩く龍魔呂の『視点』は、完全に戦場のそれだった。
『……右前方の路地裏、不審な影あり。距離二十』
龍魔呂がコートの懐に手を入れ、真鍮製のオイルライターに指を掛ける。
「ただの野良猫だ。殺気を放つな」
マモルが龍魔呂の腕を合気道で軽く極めて制止する。
『……左後方より接近する車輪の音。速度超過、対象に接触の危険あり』
龍魔呂の左手にはめられた『鬼王の指輪』が、微かに赤黒い闘気を漏らし始める。
「豆腐屋のリヤカーだ。お前が闘気を出したら豆腐が木っ端微塵になるだろ」
マモルが再び龍魔呂の首根っこを掴んで引き戻す。
そんな攻防を繰り返しながら、一行は街の大通りへと出た。
しかし、アルニア領の住人たちは、前方を行く可愛い子供たちよりも、その後ろを歩く『紫色の芋ジャージの領主様』と『殺気を垂れ流す黒コートの巨大なマフィア』の異常な組み合わせに釘付けになっていた。
「ひぃっ……あ、あの黒ずくめの男、ただ者じゃねえぞ……!」
「加藤領主様が、あんなヤバそうな奴を連行してる……!? まさか、帝国の暗殺者か!?」
街の人々が、モーセの十戒のごとく道を空けていく。
「おい龍魔呂。お前が威圧感出しすぎるせいで、完全に周囲から浮いてるぞ」
「……馬鹿な。俺は今、システマの呼吸法で存在感を『路傍の石』レベルまで落としているはずだ」
「その石、ウランか何かで出来てるのか?」
マモルの的確なツッコミも虚しく、龍魔呂の目は前方を行くユウの背中に釘付けだった。
小さな足で、一生懸命に一歩一歩、自分の足で学校へと向かっている。
10年前、地下格闘場のゴミ捨て場で失われたはずの「当たり前の未来」が、今、彼の目の前で動いているのだ。
サングラスの奥で、龍魔呂の瞳が再びウルッと潤み始める。
(……ユウ。大きくなったな……。ランドセルが、よく似合っているぞ……!)
感動に打ち震える処刑人。
やがて、アルニア第一小学校の正門が見えてきた。
すでに多くの生徒たちが登校し、賑やかな声が響いている。
「よし、無事に着いたな。俺は職員室に寄ってから教室に行くから、お前はここで――」
マモルが振り返ると、龍魔呂は正門の横にある大きな桜の木の裏に、すでにピッタリと張り付いていた。
「……任務完了だ。俺はここで、下校時刻まで待機する」
「不審者として通報されるわ!! 帰って『鬼龍(店)』の仕込みをしろ!!」
マモルが怒鳴ろうとした、その時。
正門をくぐろうとしていたユウが、ふと立ち止まり、くるりと振り返った。
そして、桜の木の裏に張り付いている巨大な黒コートの男と、ジャージ姿のマモルに向かって、満面の笑みで大きく手を振った。
「お兄ちゃーん! マモル先生ー! ここまでついてきてくれて、ありがとー! 行ってきまーす!」
「アルカも、いってきまーす!」
アルカも一緒に、元気よく手を振る。
完全にバレていた。最初から、ユウは兄が心配して後ろをついてきていることに気づいていたのだ。
「……ッ!!」
ズッギューーーーン!!!
龍魔呂の胸に、127mmガトリング砲すら凌駕する破壊力の「弟の笑顔」が直撃した。
「……あ、ああ……! 行ってこい、ユウ……!!」
サングラスを外し、ボロボロと大粒の涙を流しながら、190センチの大男が正門に向かって思い切り手を振り返す。
その光景に、登校中の他の生徒や保護者たちが「あのマフィア、泣いてる……?」「なんて美しい兄弟愛なの……」と、畏怖と感動の入り混じった視線を向けていた。
「はぁ……やれやれ。世話の焼ける兄貴だぜ」
マモルは苦笑しながら、鼻をすする龍魔呂の背中をポンと叩いた。
「さあ、俺も仕事だ。……お前の弟は、教師が学校でしっかり預かる。安心して、旨い昼飯の準備でもしとけ」
その力強い言葉に、龍魔呂は涙を拭って立ち上がり、深く頷いた。
最強の処刑人の護衛任務は終わり、ここからは「カトウ先生」の出番である。




