EP 20
ハーモニカと新しい朝
眩しいほどの朝日が、アルニア領の空を黄金色に染め上げていた。
小鳥たちのさえずりが響き、澄み切った朝の空気が、マモルが召喚したマイホームの広大な庭を優しく撫でていく。
「あはははっ! まてー、アルカちゃーん!」
「ふふーん! ざんねーん、アルカのがはやいよー!」
青々とした芝生の上で、銀髪の少年――ユウが、満面の笑みで駆け回っていた。
前を走っているのは、ウサギ柄のパジャマから着替え、ランドセルを背負う前の元気な小1竜・アルカだ。
二人の周りでは、マモル家の居候である天使やエルフのヒロインたちが「あらあら、ユウ君かわいいわねぇ」「お菓子をもっと焼いてあげなくちゃ」と、すっかり母性本能をくすぐられてニコニコと見守っている。
その平和すぎる、奇跡のような光景を。
家の縁側に腰を下ろした龍魔呂が、静かに見つめていた。
彼の身を包むのは、いつもの重々しいレザージャケットではない。ワインレッドのタートルネックだけを纏ったその背中からは、昨夜まで世界を震え上がらせていた『処刑人(DEATH4)』の禍々しい気配や、赤黒い闘気は完全に消え去っていた。
目元には柔らかな安堵が浮かび、ただの「弟を愛する優しい兄」の顔がそこにあった。
「……良かったな、龍魔呂」
ガラッ、と網戸を開けて、マモルが縁側に出てきた。
彼の手には、湯気を立てるマグカップが二つ。一つを龍魔呂へと手渡す。
「……ああ。ありがとう」
龍魔呂はマグカップを受け取り、淹れたてのコーヒーの香りを深く吸い込んだ。
十年間。どんな高級な酒を飲んでも、どんな料理を作っても、彼の心の奥底には常に「砂を噛むような虚無感」が付きまとっていた。
だが今、彼の喉を通るコーヒーは、胸が熱くなるほど美味しかった。
「ユウの奴、アルカのパワーに振り回されてるが……あの笑顔、10年前のそのまんまだ」
龍魔呂が目を細める。
マモルは自分のマグカップを啜りながら、隣に腰を下ろした。
「そりゃそうだ。記憶ごと時間が5歳に上書きされてるんだ。あいつにとって、地獄の暗闇なんて最初から存在しねえ」
「……」
「お前も、もう一人で過去のゴミ捨て場に座り込む必要はなくなったってことだ。これからは、あいつの分まで、しっかり前を向いて生きろ」
マモルの真っ直ぐな言葉に、龍魔呂はコクリと頷いた。
彼はポケットに手を入れた。いつもなら、無意識に処刑の合図である真鍮製のオイルライターに触れるところだ。
だが、彼の指先が選んだのは、ライターではなく、鈍く光る『銀色のハーモニカ』だった。
龍魔呂はハーモニカを両手で包み込むように持ち、ゆっくりと唇に当てた。
――ピーィ、プー、ファ……。
朝の澄んだ空気に、優しく、温かい旋律が溶け出していく。
昨夜、絶望の地下施設で一人の時に吹いた哀愁の『ダニー・ボーイ』ではない。
彼が今吹いているのは、温かい家庭と、帰るべき場所を歌い上げる祈りの曲。
童謡『埴生の宿(Home, Sweet Home)』。
その美しい音色に気づき、庭を走り回っていたユウとアルカがピタリと足を止めた。
「あっ! お兄ちゃんのハーモニカだ!」
ユウが目を輝かせ、タタタッと縁側へ駆け寄ってくる。
「すごい! 龍魔呂のお兄ちゃん、がっきもふけるの!?」
アルカも一緒に駆け寄り、縁側の前でちょこんと座って聞き入る。
龍魔呂は、目を丸くして聞き入るユウと子供たちを見つめながら、優しく、心を込めて吹き続けた。
血に濡れた過去への復讐の旅は、終わった。
神の理不尽なシステムを叩き斬り、失われた時間を取り戻した。
これからは、ただこの小さな命が、当たり前に笑って成長していける世界を守るためだけに、己の拳と銃を使う。
ルチアナとの誓い。そして、友であるマモルとの誓い。
処刑人DEATH4は死んだ。ここにいるのは、銀座『鬼龍』のマスターであり、たった一人の弟の『お兄ちゃん』である、加藤龍魔呂だ。
優しいハーモニカの旋律が、最後の音符を紡ぎ終え、朝の風に溶けて消える。
「お兄ちゃん、すごい! もっと吹いて!」
ユウがピョンピョンと跳ねておねだりをする。
「……ああ。いくらでも吹いてやるさ」
龍魔呂は、心の底からの、本当に穏やかな笑みをこぼした。
彼の頭上を、アルニアの新しい朝の光が、祝福するように眩しく照らしていた。




