EP 19
因果律の改変(ユウが死ななかった世界)
ズバァァァァァァァンッ!!!
アルニア領主館、マモルが『5LDKスキル』で召喚したマイホームの広大な庭先。
宙に開いたドス黒い次元のゲートから、砂煙と硝煙を巻き上げながら、ランドクルーザー70系と巨大な機神ラビークが勢いよく飛び出してきた。
『ヒャッハー! ミザリーが起きる前に回収するぜ! じゃあなブラザー!』
ラビークは即座に光の粒子となって、次元の彼方にいるガジェットの要塞へと強制転送されていく。
その直後、ルチアナが開いていた冥界へのゲートが、パリンッとガラスが割れるような音を立てて完全に消滅した。
「……信じられない。本当に閻魔を真っ二つにして、帰ってくるなんて」
縁側で芋ジャージ姿のまま座っていた女神ルチアナが、呆れたように、しかしどこか安堵したように息をついた。
ランクルのドアが開き、マモルが降り立つ。
続いて助手席から、龍魔呂が、銀髪の少年・ユウを大事そうに抱きかかえて降りてきた。
「ルチアナ。約束通り、連れて帰ってきたぞ」
マモルが親指で龍魔呂の胸元を指す。
だが。
ルチアナの表情は、依然として険しいままだった。
「連れ帰ったのはいいけど……マモル、龍魔呂。よく見なさい」
ルチアナに言われ、龍魔呂は腕の中のユウを見下ろした。
「……ッ!?」
ユウの身体が、淡く発光し、指先から少しずつ透け始めていたのだ。
「ユウ!? おい、どうした! ユウ!!」
龍魔呂が顔面を蒼白にして叫ぶ。
「当然よ。その子は肉体を持たない『魂』だけの存在。冥界の理から無理やり引き剥がして生者の世界に持ってきたんだから、世界の法則が拒絶して、マナ(魔力)に還元しようとしているのよ」
ルチアナが残酷な事実を告げる。
「このままじゃ、あと数分で完全に霧散して消滅するわ」
「そんな……嘘だろ……! 俺は、俺はまた、こいつを失うのか……ッ!?」
龍魔呂が、透けゆく弟の身体を抱きしめ、絶望に歯を食いしばる。
何のために地獄の底まで落ちたのか。何のために閻魔を叩き斬ったのか。
「落ち着け、龍魔呂」
絶望の淵に突き落とされそうになった龍魔呂の肩を、マモルが力強く叩いた。
「言っただろ。……『ユウ君が死ななかったことにする』のが、俺の考えだって」
マモルは、静かにマイホームの縁側に向かって声を張り上げた。
「アルカー! 起きてるかー!」
タタタタタッ。
家の中から、可愛らしい小さな足音が駆け寄ってくる。
網戸がガラッと開き、飛び出してきたのは、ウサギ柄の可愛らしいパジャマを着て、目を擦っている小さな女の子だった。
「パパぁ……おかえりなさい。アルカ、ちゃんといい子でお留守番してたよぉ」
神話級の怪物であり、世界の時間を統べる絶対的捕食者――始祖竜アルカ。
だが、今の彼女は、マモルが養女として引き取り、第一小学校の1年生として通わせている、ただの甘えん坊の愛娘だった。
「ああ、ただいま。いい子だったな」
マモルはしゃがみ込み、アルカの頭を優しく撫でた。
龍魔呂は、その小さな女の子から放たれる、底知れぬ圧倒的な「時の魔力」に目を見張った。
「アルカ。夜中に起こして悪いんだが、パパのお友達の『弟』を、助けてやってくれないか?」
マモルが龍魔呂の腕の中で透けかけているユウを指差す。
アルカは、コクリと頷いた。
「うんっ! パパのお願いなら、アルカなんでもする!」
「ありがとう。……いいか、アルカ。世界全体の時間を巻き戻すんじゃない。ターゲットは、このユウ君の『時間』だけだ」
マモルは、教師が黒板で数式を教えるように、明確に、正確に指示を出した。
「ユウ君の肉体の時間を『死ぬ直前の5歳』まで巻き戻し、それを『現在のこの空間』に上書き(ペースト)するんだ。……地獄で苦しんだ10年間の記憶と時間は、巻き戻す過程で全部消去しろ」
「えっと……むずかしいけど、できるよ!」
アルカが、パジャマ姿のまま、大きく息を吸い込んだ。
その瞬間、アルニア領の夜風がピタリと止んだ。
アルカの周囲の空間だけが、宇宙の法則から切り離されたように、黄金色の粒子を帯びて光り輝く。
「アルカの、おえかきタイム(クロノス・ブレス)……えいっ!」
ふぅーっ、と。
アルカの小さな口から、黄金色の優しい息吹が吹きかけられた。
それは、全てを灰にする破壊のブレスではなく、万物の事象を操る『時間逆行』の神風。
黄金の息吹が、龍魔呂の腕の中で消えかけていたユウの魂を包み込む。
「……ッ!」
龍魔呂は、腕の中に、確かな「重み」と「温もり」が戻ってくるのを直感した。
半透明だったユウの身体に、血液が巡り、細胞が再構築され、肉体が完全に顕現していく。
そして。
賽の河原での過酷な労働による手の傷も、泥汚れも、地獄で味わった途方もない恐怖と絶望の記憶も。
アルカの『時間の巻き戻し』によって、初めから「存在しなかったこと」として完全に消去された。
スーッ、と。
黄金の光が収まる。
龍魔呂の太い腕の中には、透けることのない、温かく柔らかい、5歳のままの少年の肉体が、確かな寝息を立てていた。
「……ユウ……?」
龍魔呂が、震える声で呼ぶ。
少年の長い睫毛が震え、ゆっくりと、その瞼が開いた。
淀みのない、純粋な瞳が、目の前の大男を不思議そうに見つめる。
「……あれ……? お兄ちゃん……?」
ユウが、パチパチと瞬きをした。
彼の中に、地獄の記憶はない。彼にとっての直前の記憶は、病気に苦しみながら目を閉じたあの日の記憶だけ。
「なんだか、お兄ちゃん……すごくおっきくなった……?」
ユウが、小さな手で、龍魔呂の無精髭の生えた頬に触れた。
「僕……すごく長くて、こわい夢を見てた気がする……。でも、お兄ちゃんが迎えに来てくれたんだよね……?」
ピチャッ。
龍魔呂の目から、大粒の涙が溢れ落ち、ユウの頬を濡らした。
「……ああ。そうだ。全部、ただの悪い夢だ」
龍魔呂は、弟の温かい身体を、折れないように、しかし絶対に離さないように、優しく抱きしめた。
「もう……どこにも行かない。俺が、ずっとお前のそばにいるからな」
「えへへ……うん。お兄ちゃん、あったかい……」
ユウは安心したように微笑むと、疲れたように再び龍魔呂の腕の中で目を閉じ、安らかな寝息を立て始めた。
完全なる因果律の改変。
「ユウが死んで、地獄で泣いていた」という理不尽な事実は、神のシステムから完全にデリートされ、「病気から回復して、少し成長した兄の腕の中で目覚めた」という新しい事実に書き換えられたのだ。
「……パパ、できたよ!」
アルカが、えっへんと胸を張る。
「ああ。よくやった、アルカ。パパの自慢の娘だ」
マモルがアルカを抱き上げ、高い高いをしてやると、アルカはキャッキャと嬉しそうに笑った。
縁側でその光景を見ていたルチアナが、プシュッと新しい缶ビールを開けた。
「……まったく。私が管理する世界のシステムに、とんでもないバグを仕込んでくれたわね。……でも、まぁ、たまにはこういう『特別扱い』も悪くないわ」
ルチアナはビールを一口飲み、満足げに微笑んだ。
夜明けの風が、マイホームの庭を優しく吹き抜ける。
龍魔呂は、腕の中の確かな命の鼓動を感じながら、十年間降りやまなかった心の中の冷たい雨が、完全に上がり、美しい朝日に照らされていくのを感じていた。




