EP 11
コタツ部屋の神と、大人の土下座
アルニア領主館の一角。
マモルが己のユニークスキルで召喚した『5LDKのマイホーム』の、最も日当たりの良い和室。
そこは、この世界の創造神にして最高権力者であるはずの女神が、完全に自堕落な生活を送る「絶対聖域」だった。
「……な~に? マモル。今日はもうご飯の時間? それとも、月人君の新しいライブDVD、届いた?」
季節外れのコタツに下半身を突っ込み、紫色の芋ジャージ姿で寝転がっているのは、女神ルチアナだ。
右手にはプシュッと開けたばかりの缶ビール。左手にはスルメイカ。口の周りにはマヨネーズ。
絵に描いたような駄目ニートの姿である。
しかし、部屋に入ってきたマモルと、その後ろに立つ龍魔呂の顔には、一切の笑みがなかった。
異様なまでの重い空気を察し、ルチアナもスルメを齧る口を止める。
「ルチアナ」
マモルが、静かに、だがはっきりとした声で切り出した。
「地獄のゲートを開けてくれ」
「…………え?」
ルチアナが瞬きをする。
「俺のダチの……龍魔呂の弟が、そこに囚われてる。ユウを、助けに行きたい」
沈黙が下りた。
ルチアナはゆっくりと体を起こし、手の中の缶ビールをコタツの上に置いた。
その瞬間、彼女が纏っていた「芋ジャージの駄目女神」の空気が、完全に消え失せた。
「……マモル。あなた、自分がどれだけとんでもないことを言ってるか、分かってるの?」
声のトーンが数段階下がる。
和室の空気が物理的に冷え込み、重力を増したように錯覚する。
ルチアナの瞳から、普段のふざけた光が消え、万物を俯瞰する『創造神』としての冷徹な光が宿っていた。
「親より先に死んだ子供が、地獄(賽の河原)へ行く。……確かに、理不尽で残酷なルールよ。でもね、それは魂を浄化し、世界のエネルギーの循環を維持するための『システム』なの。例外は認められない」
「ルチアナ……」
「ゲートを開けて、死者を連れ戻す? しかも、その後の目的はアルカの力を使った『過去の改変』でしょう? そんなことをすれば、世界の因果律が根底から崩壊するわ。……神として、許可できるわけがないでしょ」
絶対的な神の宣告。
それは、龍魔呂の絶望的な願いに対する、冷酷なまでの「拒絶」だった。
「……ッ!」
龍魔呂の顔が蒼白になる。
地獄でユウが泣き続けている。その事実が、今も彼の脳内を焼き尽くしているのだ。
過去のトラウマがフラッシュバックし、彼の中からドス黒い殺意が漏れ出しそうになる。
「ふざけるな……システムだのルールだの……そんなもののために、ユウが……!」
龍魔呂の右手が、無意識に愛銃『Korth (NXS)』のグリップに掛かろうとした。
神に銃口を向ける。それは、己の存在ごと消滅させられかねない大逆罪だ。
「おい、やめ――」
ルチアナが目を細めた、その刹那。
パシッ!
「……っ!?」
龍魔呂の右手が、マモルの手によって強引に押さえ込まれた。
合気道の制圧技。腕の関節を完全に極められ、龍魔呂は銃を抜くことができない。
「放せ、マモル! 俺は……!」
「落ち着け、バカヤロー!!」
マモルの怒号が、和室に響いた。
龍魔呂の殺気を真っ向から受け止め、マモルは彼を睨みつける。
「銃なんか抜いて、どうなる! 暴力で脅してゲートを開けさせたとして、それで本当にユウ君が喜ぶのか!? お前はまた、ただの殺人鬼に戻るつもりか!!」
「……あ……」
龍魔呂の目が、微かに見開かれる。
マモルの手から伝わる確かな熱が、彼の狂気をギリギリのところで引き留めていた。
マモルは龍魔呂の腕を解放すると、ルチアナに向き直った。
そして。
ドサッ。
マモルは躊躇なく膝を折り、畳の上に両手をつき、深々と頭を下げた。
アルニアの領主にして、絶対的な強さを持つ男による、完全なる『土下座』だった。
「マモル……!?」
ルチアナが驚きに目を見張る。
「……加藤……アンタ、何を……」
龍魔呂も、信じられないものを見るような目でマモルの背中を見下ろした。
「頼む、ルチアナ」
マモルの声は、どこまでも真剣で、重かった。
「曲げられないルールがあるのは分かる。システムが崩れるっていうなら、俺が責任を取る。世界が壊れそうになったら、俺がこの命を懸けて元に戻す。……だから、お願いだ」
「……」
「俺のダチの、たった一人の弟が、今も暗闇の中で泣いてるんだ。……教師には、それを見捨てて、お前と笑って酒を飲むことなんかできねえ」
大の大人が。
一国のトップに立つ男が、友のために、一切のプライドを捨てて額を擦りつけている。
その背中を見て、龍魔呂の胸の奥で、何かが激しく崩れ落ちる音がした。
自分は、ずっと一人で戦ってきたと思っていた。
一人で地獄の底を這いずり、手を血で染め、誰にも理解されない暗闇の中を歩き続けてきたと。
だが、この男は。出会って間もないこの男は、自分のために、神に対して命を懸けて頭を下げている。
「……ッ」
龍魔呂の目から、十年間決して流すことのなかった涙が、一滴、畳の上に零れ落ちた。
彼はゆっくりと膝を折り、マモルの隣で、同じように深々と頭を下げた。
「俺の……命は、どうなってもいい。どんな地獄の責め苦も受ける」
龍魔呂の声は、嗚咽で震えていた。
それは、DEATH4という処刑人ではなく、ただ弟を愛する、一人の「兄」の切実な声だった。
「だから……俺に、ユウを助けに行かせてくれ……!」
コタツ部屋に、男二人の重い懇願の声だけが響く。
創造神ルチアナは、その姿をただ無言で、静かに見つめていた。




