EP 2
オイルライターの弔鐘
キュルルルッ、ズォォォォォン……!!
アルニア領の静寂な夜を切り裂くように、重低音のエンジンエグゾーストが咆哮した。
BAR『鬼龍』のガレージから飛び出したのは、漆黒の装甲で覆われた無骨なオフロード車――『トヨタ・ランドクルーザー 70系(魔導装甲カスタム)』である。
「おい、龍魔呂! 待て、単独で行くのは危険だ! SWATを待て!」
店から飛び出してきたマモルが叫ぶが、ランクルはテールランプの赤い残光だけを残し、猛烈な速度で夜の闇へと消えていった。
車内は、異様なまでの静けさと冷気に包まれていた。
ハンドルを握る龍魔呂の表情は、完全に凍りついている。感情の一切を削ぎ落とした能面のような横顔。
カーステレオから流れているのは、ベートーヴェン:『交響曲 第7番 イ長調 Op. 92 第2楽章』。
重々しく、しかし確実に破滅へと向かっていくような弦楽器の旋律が、龍魔呂の殺意とシンクロして車内を満たしていた。
***
ポポロ村・国境付近の緩衝地帯。
ルナミス帝国の闇ギルド『黒蛇の牙』の構成員およそ30名が、魔導ライフルを構えて村の自警団と対峙していた。
「おいおい、アルニアの田舎者ども。防衛フィールドなんて張って無駄な抵抗はやめろよぉ」
顔に醜い傷のある闇ギルドのリーダーが、下劣な笑みを浮かべて叫んだ。
彼らの足元には、恐怖で震え上がり、ボロボロの服を着た十数人の子供たちが数珠繋ぎに縛られていた。帝国近郊の貧民窟から攫ってきた、闇市場(奴隷オークション)に出すための「商品」である。
「一歩でも前に出てみろ。このガキどもの頭が吹き飛ぶぞぉ? それが嫌なら、武器を捨てて道を開けろ!」
子供たちを盾にされ、ポポロ村の自警団(魔導バズーカなどを装備しているが)は手出しができず、歯ぎしりをして睨みつけることしかできない。
「はははっ! チョロいもんだぜ。さあ、とっとと国境を越え――」
リーダーが勝利を確信した、その瞬間だった。
パァァァァァッ……!!
夜の暗闇を切り裂き、猛烈な光量のハイビームが闇ギルドの集団を照らし出した。
そして、ベートーヴェンの重厚な旋律と共に、V8エンジンの咆哮が森の木々を震わせる。
「な、なんだ!? どこから……」
ドゴォォォォォォンッ!!!
時速100キロを超えた漆黒のランドクルーザーが、一切の減速なしで、闇ギルドの魔導装甲車に側方から激突した。
凄まじい衝撃音と共に、重さ数トンの装甲車がまるで紙屑のように宙を舞い、横転して炎上する。
「ぐわぁぁっ!?」
「な、何事だァ!?」
パニックに陥る闇ギルドの構成員たちの前で、ランクルの運転席のドアが静かに開いた。
土煙の中から現れたのは、ワインレッドのタートルネックに、黒をベースとした赤のレザージャケットを羽織った大男。
龍魔呂だ。
彼は炎上する装甲車の明かりに照らされながら、左腕の『TUDOR ブラックベイ 58 ブロンズ』に視線を落とした。
「……3分。それ以上は、俺の神経が持たない」
ボソリと呟いた直後。
龍魔呂の姿が、フッ、と夜の闇に溶けるようにブレた。
「消えっ……!?」
リーダーが瞬きをした、コンマ一秒後。
龍魔呂はすでに、構成員の一人の懐の「ゼロ距離」に立っていた。琉球古武術の歩法『縮地』である。
「なっ、殺せェ!」
構成員が慌てて魔導ライフルを向けるが、遅い。
ダンッ!
龍魔呂の左手がライフルの銃身を掴み、クラヴ・マガの圧倒的な制圧技術で一瞬にして武器を毟り取ると同時に、相手の顎へ強烈な掌底を叩き込む。首の骨が嫌な音を立てて折れ、男が崩れ落ちる。
「撃て! 撃てェェッ!」
周囲の悪党どもが一斉に魔導ライフルの引き金を引く。
だが、龍魔呂の動きはもはや人間の反応速度を超絶していた。
飛来する魔導弾丸の軌道を『詠春拳』の感覚で感知し、最小限の動き(システマの脱力)で全てを紙一重で回避する。
そのまま二人の敵の間に滑り込むと、大地を強く踏み締めた。
ドンッ!! という大砲のような踏み込み音。
猛虎八極拳の真髄――『鉄山靠』。
肩と背中を叩きつけられた二人の男は、防弾チョッキを着ていたにも関わらず、内臓を完全に破裂させて数十メートル先まで吹き飛んだ。
「ヒィィィッ! バケモノだ!」
「ま、魔法を使え! 全員で焼――」
呪文を詠唱しようとした魔術師の額に、ドスッ! と見えない『何か』が突き刺さった。
頭蓋骨を貫通して倒れた男の足元に転がったのは、ただの「小石」だ。
龍魔呂の親指から放たれる『指弾』。闘気を纏った石ころが、対物ライフル並みの威力を発揮したのだ。
開始からわずか1分。
30人いた構成員は、悲鳴を上げる間もなく、その過半数が血の海に沈んでいた。
一切の感情を見せず、ただ機械のように急所を破壊していく龍魔呂の姿は、まさに死神であった。
「ば、バカな……! こいつ、どうなってやがる……!」
リーダーの男は、恐怖で股間を濡らしながら後ずさった。
どんな屈強な騎士団よりも、ただ無言で近づいてくるこの男の「冷たい目」が恐ろしかった。
「来るな! 来るなァァァ!」
追い詰められたリーダーは、狂乱したように近くにいた一人の幼児――3歳にも満たない小さな女の子の髪を掴み上げ、その細い首筋にサバイバルナイフを突きつけた。
「動くな! 動いたらこのガキの首を掻き切るぞ!!」
「いやぁぁぁ! いたいよぉ! おかあさぁぁぁん!!」
女の子が痛みに顔を歪め、涙を流しながら絶叫した。
――ピタッ。
その声を聞いた瞬間。
無敵の快進撃を続けていた龍魔呂の足が、魔法にでもかけられたようにピタリと止まった。
『……おにいちゃん……いたいよぉ……たすけて……』
龍魔呂の脳裏に、凄まじいフラッシュバックが襲いかかった。
暗く冷たい地下格闘場の檻の中。
血まみれになって泣き叫ぶ、弟・ユウの最期の姿。
自分が守れなかった、自分のせいで死なせてしまった、唯一の光。
「あ……ぁ……」
龍魔呂の口から、掠れた声が漏れた。
彼の顔面から一瞬にして血の気が引き、蒼白になる。膝が震え、先ほどまでの圧倒的な強者のオーラが嘘のように崩れ落ちそうになった。
「は、ははっ! なんだお前、子供が弱点かよ!」
リーダーがその様子に気づき、下劣な笑い声を上げた。
「だったら丁度いい! このガキの耳を削いでやる! その間にお前ら、こいつをハチの巣にしろォ!」
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」
女の子の、引き裂かれるような悲鳴が夜空に響いた。
プツン。
龍魔呂の頭の中で、人間としての最後の「理性の糸」が、完全に千切れ飛んだ音がした。
「……あ、あ、ああアアァァァァァァァァァッッ!!!」
龍魔呂の喉の奥から、獣のような、あるいは地獄の底で焼かれる亡者のような、おぞましい咆哮が轟いた。
同時に。
彼の左手にはめられた『鬼王の指輪』が、不吉な赤黒い光を放ち始める。
周囲の空気が急速に冷え込み、木々が枯れ、大地が腐敗していくかのような錯覚。
龍魔呂の全身から、マグマのようにドス黒い『闘気』が天を衝くように噴出していた。
彼は懐から、真鍮製のオイルライターを取り出した。
顔は下を向いたまま。その瞳には、もはや一切の人間性は残っていない。
カチッ。
カチッ。
震える指先でライターを鳴らす。
世界から、ベートーヴェンの調べが消えた。
代わりに、地底から湧き上がるような、圧倒的な死と断罪のコーラスが響き始める。
――ヴェルディ:『レクイエム』より 「怒りの日 (Dies Irae)」。
「……全部、壊す」
冷酷なる殺人鬼、『DEATH4』が、その真の姿を現した瞬間だった。




