第四章 帝都の闇、鬼神の鎮魂歌編
アルニアに咲く一輪の「銀座」
人口100万人を擁し、東京並みの超近代化を遂げたアルニア公爵領。
魔導列車が走り、高層ビル群が立ち並ぶその大都市の片隅――喧騒から少し離れた閑静な区画に、不釣り合いなほど洗練された「平屋とガレージ」が、数日前から突如として出現していた。
磨き上げられたガラス張りのエントランス。黒を基調としたモダンな外観。
そこはまるで、日本の『銀座』の一部をそのまま切り取って異世界に落としたかのような空間だった。
併設されたガレージの中。
そこには、漆黒の巨大な鉄馬『パンアメリカ(Pan America 1250 Special)』と、武骨でありながら機能美の極致を体現する『トヨタ・ランドクルーザー 70系』が静かに停められている。
「……よし」
パンアメリカの整備を終え、ウエスで手の油汚れを拭き取った男が、低く落ち着いた声を漏らした。
身長190cm、体重84kg。鍛え抜かれた鋼のような肉体を包むのは、ワインレッドのタートルネックと、黒をベースにした赤のレザージャケット。足元は重厚なエンジニアブーツだ。
男――鬼神 龍魔呂は、無造作にポケットから『マルボロ赤』を取り出し、口に咥えた。
左腕で鈍い黄金色の輝きを放つのは、TUDORの『ブラックベイ 58 ブロンズ』。
そして、右手には使い込まれた真鍮製のオイルライター。
カチッ……。カチッ……。
静かなガレージに、小気味良い金属音が響き、紫煙がふわりと立ち昇った。
深く煙を吐き出し、龍魔呂はふと空を見上げる。そこには、地球の東京とは違う、二つの月が浮かぶアルニアの夜空が広がっていた。
***
カラン、コロン……。
「いらっしゃい」
夜の帳が下り、看板に『鬼龍』の文字が灯る頃。
一人の青年が、ひどく疲労した顔で店のドアを開けた。
アルニア領主にして、第一中学校の絶対的指導者(元数学教師)、カトウ・マモルである。
「……あぁ、疲れた。マスター、いつもの頼む」
「お疲れみたいだな。少し強いのにしておくか」
カウンターの奥で、龍魔呂が静かにグラスを磨いていた。
店内には、J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007』が、上質なスピーカーから静謐に流れている。(※夜が深まれば、ショパンのノクターンに変わるのがこの店の流儀だ)
マモルはカウンターにどっかりと座り、ふぅと深い息を吐いた。
ふと背後を見ると、店内のテーブル席は、エルフの令嬢や人間の女騎士たちで満席になっていた。彼女たちは皆、カクテルを飲むフリをしながら、カウンターの奥に立つ龍魔呂の横顔を熱っぽい視線で見つめている。
無自覚な天然ジゴロ。龍魔呂がただ立ってシェイカーを振るだけで、アルニアの女性たちは勝手に頬を染めて店に通い詰めるのだ。
「相変わらず大盛況だな、お前の店は。俺の家(修羅場)とは大違いだ」
「俺はただ、静かに酒と食事を出しているだけだ。……ほらよ」
コトッ、と。
龍魔呂がマモルの前に美しい琥珀色のグラスを置き、その横に小皿を添えた。
小皿に乗っていたのは、真っ白な『角砂糖』だ。
「疲れた脳には糖分が必要だ。数学の先生なら分かるだろ」
「ははっ、違いない。お前も一つどうだ?」
「いただくとするか」
龍魔呂は角砂糖を一つ指でつまむと、そのまま口に放り込み、ガリッ、と噛み砕いた。
魔力も闘気も飛び交い、バケモノたちが暴れ回るこの異世界の大都市において、同じ地球(日本)からやってきた二人の男が、こうして静かに酒を酌み交わす時間は、マモルにとって唯一の「胃薬がいらない時間」だった。
「……それにしても、お前がアルニアに来てくれて助かってるよ。料理は美味いし、何よりこの『銀座』の空気が落ち着く」
「宿代代わりだ。俺も、カタギが平和に暮らしているこの街の匂いは嫌いじゃない」
龍魔呂が静かに目を細め、グラスを拭く手を動かし続けた。
穏やかな時間。バッハの旋律が、二人の男の過去や重圧を優しく包み込んでいるかのようだった。
――しかし。
平和な時間は、乱暴な足音によって突如として破られた。
バァンッ!!
「閣下!! 申し訳ありません、緊急の報告が!!」
店のドアが勢いよく開き、青ざめた顔のエドガー宰相が転がり込んできた。その後ろには、武装したSWATのレオパルド騎士団長の姿もある。
「どうしたエドガー。魔獣の群れでも出たか?」
マモルがグラスを置き、領主の顔に戻る。
「いえ、ルナミス帝国との国境付近……ポポロ村の近郊です! 帝国の『闇ギルド』を名乗る武装集団が、村の緩衝地帯を突破しました!」
「なんだと!? 防衛網はどうした!」
「それが、奴ら……卑劣なことに、どこからか攫ってきた『大量の子供たち』を盾にして進行しているのです! 少年奴隷の輸送部隊です!」
レオパルドがギリッと歯を食いしばって言葉を継いだ。
「盾にされている子供の中には、3歳にも満たない幼児もいます。すでに数名が暴行を受け……通信石越しに、子供たちの泣き叫ぶ声が……っ!」
その瞬間だった。
ピタッ、と。
カウンターの奥で、氷を砕いていた龍魔呂の手が止まった。
店内に流れていたバッハのチェロの旋律が、なぜか急激に温度を失い、遠くへ消えていくような錯覚に陥る。
「……子供の、泣き声?」
龍魔呂の口から紡がれたその声は、先ほどまでの穏やかなマスターのものではなかった。
地獄の底から這い出た怨霊のように、冷たく、重く、絶対的な死の気配を纏っていた。
「お、おい、龍魔呂……?」
ただならぬ気配に、マモルが振り返る。
ガシャァッ!!
龍魔呂が握っていた頑丈なクリスタルグラスが、一切の闘気も使わずに、彼自身の素の握力だけで粉々に砕け散った。
破片がカウンターに飛び散るが、龍魔呂は己の手から血が流れることすら意に介していない。
彼の顔面は死人のように蒼白になり、その瞳からは「人間としての光」が完全に消失していた。
ズズズズズズズズッ……!!
突如、銀座のBARの空間を、赤黒く禍々しい『闘気』が埋め尽くした。
店内にいた女性客たちが、本能的な恐怖で悲鳴を上げることすらできずに気絶し、歴戦の騎士であるレオパルドでさえ、その圧倒的な殺気に膝をガクガクと震わせる。
「……俺の、テリトリーで……子供を泣かせたな」
龍魔呂の左手に嵌められた『鬼王の指輪』が、不吉な脈動を打ち始める。
彼は血塗れの右手で、ポケットから真鍮製のオイルライターを取り出した。
カチッ……。
カチッ……。
それは、もはやタバコに火をつけるための音ではない。
罪深き悪党どもの魂を地獄へ誘う、処刑開始の合図(弔鐘)であった。
「……掃除の、時間だ」
極限のトラウマが引き金となり、心優しき銀座のマスターは死んだ。
今ここに、全てを灰燼に帰す冷酷なる処刑人、『DEATH4』が再臨したのだ。




