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諏訪湖の怪物

 霧ヶ峰(きりがみね)高原。

 近くには青く輝く諏訪湖(すわこ)が見え、遠くまで来たのだと実感する。


「ふー」



 菊三十兵衛(きくさんじゅうべえ)が食用の山菜やキノコを採ってきて、火起こし、調理まで手掛けてくれた。

 おかげで夜は食に苦労しない。


「菊三十兵衛、なかなかの腕前だ」


 遠くには一人、長身の男が静かに水面に映る雲を眺めていた。


「……」

介郎(すけろう)……」

「気にするな、流徹(るてつ)殿。何某かの目途がつけば再び戦いに身を委ねられるでござろう」

「……人は悲しみを忘れることなどできない。だからこそ、人は人成りえる……だがな介郎。角信(かくのぶ)の想いを忘れぬためにもこの戦いは為さねばならない。そうだろう?」

「……ああ、故に今悩んでいるのでござろう」



 平原の花として佇む愛らしいくノ一。

 彼女は陽気に当たり、(いくさ)後の平穏を気として吞んでいた。


「ぽかぽか」


 微風が頬を撫でるが如く穏やかさに、鋭い感覚が迸る。

 お(まち)は立ち上がった。


「とてつもなく強い妖気を感じる」


 その地平の先からゆっくりと、しかし的確にこちらを捉えて迫りくるのは巨大な(かはづ)であった。

 だが、その身体の至る所に彩り豊かな勾玉が埋め込まれており、妖気、巨体と合わせて単なる野生動物ではない異様さを醸し出している。


「あれは……勾玉の獣……」


 勾玉の獣。

 勾玉を作り出す、かつては神格化までされた大妖怪の一種だ。


 お町は即座に手裏剣を構え、敵目掛けて投擲した。

 だが、その勾玉で固められた体表は容易く金属製のそれを弾く。

 勾玉の獣の腕が大きく振るわれる。

 お町は素早い身のこなしでそれを回避し、駆けつけてきた流徹、菊三十兵衛、球磨(くま)、介郎と共に戦闘態勢をとった。


 介郎はそんな最中でも戦いへ本気が出せずにいた。

 それはかつて死んだ友を引きずっている為か。

 だが、戦いはそうした時間を与えてはくれない。その心の隙が彼を死へと誘う。

 勾玉の獣は地面を抉る跳躍からの一撃を介郎目掛けて喰らわせようとしていた。



「くそ……角信……」


 介郎は彼の形見である()と書かれた勾玉を握りしめる。


 しかし、感じるのは死への恐怖。

 幾度となく戦に身を委ね久しく忘れていた。

 その場に槍を落とした。


 だがその時、彼の脳裏にかつての盟友の言葉がよぎる。


『介郎よ。お主はここで死ぬべきではない……』


 その言葉に介郎は安堵し、槍を拾い構える。


「……串刺し!」


 縦に構えた槍が陽光を浴びる。

 そして、飛びかかる相手に目掛けて穂先を揃える。


 槍の一突き。


 一瞬の後に、勾玉の獣がその場に倒れ伏した。


「……介郎!」


 駆け寄ってきた仲間たちに、介郎は空を見上げて言った。


「拙者のみの力ではない。これは……角信のおかげだ」

「何も共に戦うだけが我々の支えだけじゃないのだな。角信」


 そう物思いに身を委ねていると、倒した勾玉の獣が光り輝く。


「なんだ、この光は!!」


 そしてそれは徐々に白き世界に誘われるように周囲を照らしていく。


「うわああああああああっ!!」



 竹林の中で梅酒を嗜む血色の良い老人がそこにはいた。

 否、彼らは自分たちの姿がそこにない事に気づく。

 そう、夢なのだ。

 皆がそう理解するのも遅くは無かった。

 ウォンウォンウォン……という音が竹を揺らす。


(もり)総意軒(そういけん)!!」


 大声と共に、若い青年が駆け来る。


「幕府は我々の術を異端と認定したぞ!」

益田(ますだ)好次(よしつぐ)め…あんな巨大な鬼を退治して見せるなど!」

「だが、奴を責めることはできまい」

「あの伴天連忍法(ばてれんにんぽう)を試すように説得したのは我々だ」


「わかってたろうにのう、総意軒」


 物陰からしわがれた声が注がれる。


山田(やまだ)右衛門作(えもさく)


 薄い印象の瘦身(そうしん)の老人だ。


「あの気の弱い連中が忍法など…ましてや切支丹の術などを認めることなどあるまい」


 その返答に、若い青年は怒りを露わにした。


「では、我々は何の手立てのないまま戦って死ねと!」

「そうじゃ、それが幕府の語る正しい人間の在り方じゃ」


 青年は腰の刀に触れながら身体を震わせる。


「自らは剣も取らずにおいてか……」


 そこへ、若い女性が駆け寄ってきた。


監物(けんもつ)お兄様、島原が土蜘蛛に襲われていますわ!」


 若い青年、監物は立ち上がる。


「よし!」


 それに対し、総意軒が声をかけた。


「行くのか?」


 無言の肯定。


「死ぬなよ」

「妖怪など、何万倒したか知れないさ」



 そうして、若い男が一人死地へと向かう。

 その宿業の呪いは……いつか歴史に刻まれる事となった。


 これは記憶。

 在りし日の彼らの記憶だ。

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