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第9話 勘違いの卵焼き ③

「ユウナ、その……妙な空気を作らないでくれないか。こ、婚姻の申し込みではない」


 私の手元には、装飾の施された品のいい小さなジュエリーケースがあった。


 妙な空気を作ったのは、そちらの勘違い執事のせいですが!? と叫びたい気持ちをグッと堪える。


 セルヴィの顔も朱に染まっていた。手は口元を覆って離さない。


「中を開けてみてくれ。説明する」


 私は留め金をそっと外した。箱の内側に敷かれた黒布は、指先にざらりとした冷たさを残す。


 指先から魔力が吸い取られる、はじめての感覚に襲われて身がすくんだ。


「なんですか、これ」

「いにしえの技術で織られた布だ。魔力を抑制し、遮断する効果がある」


 世界の中心で呪いを振り撒く地。そこで生まれたという魔力抑制の技術が、こんな形で息づいているなんて。


「君の持っている魔石をそこに入れるんだ。レイに万が一のことがあっては、君もやり切れないだろう」


 彼は魔石の回収を諦めたわけではない。だが、私が大事にしたい命を守ろうとしてくれていた。


「ありがとうございます、セルヴィ」


 彼の不器用な気遣いに胸がいっぱいになる。それと同時に、頭の中で自分の的外れな思い込みをせせら笑う声がした。


(ぐっ……恥ずかしすぎる)


 あまりにもいたたまれないっ。きつく目を閉じ、頭を一度振った。セルヴィは私の様子など意に介さず、部屋の扉を開けてエスコートする。


「レイが待っている、夕食に行こう」




 ♢♢♢




 案内された食堂は思いのほか広かった。テーブルには豪華ではないが手をかけた料理が並んでいる。


 レイは小さいエプロンをつけてもらっており、目の前の光景に身をこわばらせていた。


 並べられたフォークとナイフを前にして、どれに手を伸ばせばいいのか分からないようだ。小さな手が宙を泳いでいる。


「レイ坊っちゃま、カトラリーは外側から使っていきます」


 アベロがそっとレイの手を後ろから包んだ。銀の食器がかちりと鳴る。


「む、難しいわぁ」

「大丈夫ですよ。ナイフをそのまま手前に引いて……」


 レイがアベロと一緒に慣れない手つきで肉を切る。私とセルヴィも席につき、その微笑ましい光景を見守った。


「奥様、お口に合いませんでしたか?」


 ほとんど手をつけていない私の皿を、アベロの目が捉えた。


 味覚をほとんど失っている私にとって、食事はどうしても作業に近い感覚になってしまう。


 レイが作ってくれたもの以外は、まだ喉を通らなかった。


「すぐに別のものをご用意いたしましょう」

「じゃあお酒とか」

「ダメだ」


 間髪を入れずに遮ったセルヴィに舌打ちをしそうになる。いや、したかもしれない。


 目線で抗議してみるが、彼はどこ吹く風でステーキを口へ運ぶ。


「これは喜ばしい、奥様はお酒を嗜まれるのですね? 旦那様は目も当てられないほどの下戸でいらっしゃいますから」

「アベロ、いい加減にしなさい」


 主人に窘められても、アベロは全く笑みを崩さない。


 屋敷に着いたときに私へ向けていた威圧感は消え失せていた。


「失礼いたしました。しかし旦那様、わたくしは嬉しくて堪らないのです」

「……あの、どうして私が奥様だと思っているんです?」


 アベロは何を今更といいたげな顔をしている。


「この果ての国が輝石病の魔石に蝕まれているのはもうご存知でしょう」


 執事の声は穏やかだが、逃れようのない重さがあった。


「この地で高い魔力を持つ者は代々ランテルノ家のみ」


 燭台の炎がゆらりと揺れる。セルヴィの瞳も炎と同じように揺れた気がした。


「輝石病によって生まれる魔石を回収する。その重責を、先代亡きいま、オブセルヴィ様はたった一人で背負ってこられました」


 セルヴィが背負っている孤独も、責任も。この国のことも、私はまだほとんど知らない。


 知っているのは彼の拙い優しさだけだ。レイのために用意してくれた小さな箱。


 それを差し出したときの彼の表情が、私の知るオブセルヴィ・ランテルノだった。


「そんな中で旦那様が潤沢な魔力を持つ奥様を連れて帰られた。お二人が支え合っていく姿を見れば、病の災禍で沈んだ果ての民たちもきっと喜ぶでしょう!」


 執事としての忠義から出るアベロの言葉が刺さる。私とセルヴィは示し合わせたように顔を赤くして固まった。


 セルヴィをちらりと見ると、彼はあらぬ方向へ視線を逸らしてワイングラスを持ち上げている。中身ジュースでしょ、それ!?


 なんとか誤解を解こうと、私は必死になった。


「私は辺境伯様と結婚できるほどの家柄じゃあなくて……」

「家柄など! どちらかというと、お二人の間にすでにお子様がいらっしゃったことの方が驚いております」

「馬鹿者! レイは私たちの子どもでは」


 口いっぱいに肉を詰め込んで、必死に咀嚼していたレイの動きがぴたりと止まった。


 次に続く言葉を予感したのか、伏せられた睫毛。さすがに胸が痛む。


 お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼ぶレイが、私たちを家族のように思っているのは明白だった。


 レイの前で言えるの、セルヴィ? いや、言ってくれないとアベロの誤解が解けないんだけれど。


「……子どものようなものだ」


 ――言えなかった!! アベロの誤解と引き換えに、レイの笑顔を守ったのだ。この人は。


 まぁ、同じ状況なら私も言えない。だから責めないでおこう、今回だけは。

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