第10話 勘違いの卵焼き ④
セルヴィはしばらく黙っていた。フォークを皿の縁に静かに置くと、ぽつりぽつり話し始めた。
「街の様子がおかしかっただろう。輝石病がうつると恐れて、誰も外に出ようとしないんだ」
諦めが滲んだ彼の声を聞いて、私は思い出していた。閑散とした街で沈んだ様子の店主を。
「……彼の家族は輝石病にかかっていた。魔石を回収したのは、つい先日だ」
「そう、だったんですね」
領主でありながら病を止めることもできず、ただ魔石を回収するだけ。
セルヴィの横顔にあるのは言葉にならない苦しみだった。
「この国は財政が苦しいわけではないんだ。だが、病のせいで物が流通していない。店主を悪く思わないでくれ」
そんなことを言われなくても、私なんかが口を出せる訳がないのだ。
だって、私は逃げてきたのだから。
背負った罪からも、生きることからも、何もかもから逃げようとした私が、最後に縋りついた希望。それが――。
「アネモネの泉を目指しているんだろう」
えっ、と思わず声が出た。隠し通していたはずの目的地がなぜ分かったのだろう。
「君たちの旅に同行させてもらえないか」
膝に置いた彼の拳が震えているのが見えた。
その震えが、どれほどの時間を一人で耐えてきた証なのか。私は知ることができない。
「民が石に変わるのを黙って見ていることに、もう耐えられないんだ。夢物語だとしても、希望があるなら縋りたい」
――君と同じなんだ。
息が喉に詰まって、返事がすぐにできない。私たちはただ希望に逃げてしまいたかった。だから、目指すべき場所も同じなのだ。
「……っ、私は」
セルヴィに声をかけるために空気を吸い込む。
それと同時に、食事を済ませたレイが両手を高く上げた。椅子の上で飛び跳ねんばかりに喜んでいる。
「セルヴィお兄ちゃんも一緒に来てくれるん!? やったぁ!」
レイの歓声で部屋の雰囲気が軽くなり、ようやく息ができるような気がした。
「お話はそこまででございます。さあ、皆様デザートのお時間です」
甘い香りを連れて、アベロがワゴンを押してくる。テーブルにガラスの器の上で揺れるプリンが現れた。カラメルソースがツヤツヤと輝いている。
「ピカピカの茶碗蒸し……?」
「チャワンムシではございませんよ、これがわたくし特製のプリンです」
レイがスプーンをしっかりと握りしめる。一口食べた瞬間、喜びで目尻が下がっていた。
「あま〜い! こんなん食べたことない!」
小さな足をバタバタと揺らしながら、夢中でスプーンを動かしていく。
セルヴィも続いてプリンを食べた。
「相変わらず見事な出来だ、アベロ」
短い褒め言葉にアベロは恭しく一礼する。口の端は誇らしげに持ち上がっていた。
「旦那様が不在の間、不肖わたくしめが屋敷とこの地をお守りいたします。ご安心くださいませ」
民を置いていくというセルヴィの罪悪感を見抜いたように、アベロはセルヴィに微笑みかける。
長くランテルノ家を見守ってきた男の言葉に、セルヴィは小さく息を呑んだ。それから深く頷く。
迷いはもうないようだった。
「アベロさん!」
プリンを平らげたレイが椅子から降りる。そして、アベロの足元にちょこんと抱きついた。
「めちゃくちゃ美味しいプリン、ありがとう!」
「喜んでいただけて光栄でございます」
「僕な、お礼したいねん! 台所貸してくれへん?」
アベロは元から大きな目をさらに見開く。感動に声まで震え始めていた。
「喜んでお貸しいたしましょう、キッチンはこちらですよ」
「お姉ちゃんにも食べて欲しいから一緒に来てやぁ!」
「何を作るんです?」
日向かしの国の料理を作るレイの姿を想像し、自然と口元が緩む。
「ぷりんに負けへん、あま〜い卵焼き!」
小さな手に導かれて、私はキッチンへと向かうのだった。




