第6話 旅立ちのお味噌汁 ④
翌朝、耳元でけたたましい音が炸裂した。およそ眠る人間を優しく起こそうという音ではない。
夜がようやく明けたばかりの時間だった。鍋とお玉を手にしたセルヴィが仁王立ちしている。
「ユウナ、起きなさい! いつまで眠っているんだ!」
毛布がためらいなく引き剥がされる。冷たい朝の空気が肌に刺さった。私は顔をしかめ、膝を抱えて丸くなる。
「うう、あと五分だけ。お母さぁん……」
「誰がお母さんだ、誰が。急いで出発するぞ」
セルヴィは私たちの荷物袋を掴み、中身をひっくり返した。
鍋や食器を重心のバランスを測るように手際よく並べ直していく。
「荷物の詰め方が雑すぎる。動くたびにガチャガチャ擦れて道具が傷んでしまうぞ」
「どうせ荷車に載せるんだし、そんなに気にしなくても」
「君は本当に大雑把だな。ほら、レイを見習いなさい」
レイはすでに服の袖を細い紐で縛り、小さな荷物を背負って準備万端だった。
私は大きなあくびをして立ち上がる。
「ユウナお姉ちゃん、おはよう。あとごめんなぁ」
「どうしたの?」
レイが差し出してきたのは干からびた木の実が数粒だけだった。
「朝ごはん、ないねん」
「ええ? 食料、結構持ってきたはずでしたが」
「昨日、お味噌汁たくさん作っちゃったから……」
レイは困り果てたように眉を下げ、自分のお腹をさすった。空っぽの胃がきゅっと小さく鳴っている。
「どうせレイに任せきりで、好きに作れと言ったんだろう」
「うぐっ」
心当たりしかなかった。子どもが食材の残りまで計算しながら料理するなどできるわけがない。
手持ちの荷物からレイの空腹をしのぐものを探そうにも、全てセルヴィに没収されている。
いや、酒とスパイスしかないのだけれど。
「だから急ぐと言ったんだ! この森を抜けた先に大きな街がある。そこまで一気に歩くぞ」
セルヴィが先頭に立つ。私たちは重い足取りで、朝霧の立ち込める森を歩き始めた。
数時間が過ぎ、太陽が頭上に昇りきる頃には、空腹が容赦なく体力を削っていた。
魔法で水を出せたとしても腹は膨れないし、そもそも私は生活魔法が使えない。
どれだけ力を絞っても鉄砲水の勢いでしか水の魔法を出せないのだ。飲み水の用意すら私には無理だった。
「……あ、キノコ」
道端の木陰に、青紫色の斑点を散らしたキノコを見つけた。これ、オミソシルの具材になるのでは?
空腹に背中を押され、気づけば手が伸びていた。
「馬鹿者ォ! 何をしている!?」
セルヴィが私の手首を掴み、烈火のごとく怒鳴った。
「それはハテノダケだ! 食べたら舌に火花が散って、三日は腹痛でのたうち回ることになるぞ!」
「ええ!? めちゃくちゃ美味しそうじゃないですか」
「正気か!?」
私の手首を押さえつけるセルヴィの目が血走っている。空腹のせいでお互いいつも以上に感情が振り切れているようだ。
「会った時から思っていたが、君は本っ当に危機管理能力が無い!」
「二言目には小言の人よりいいと思いますけどぉ!? あなたの髪の毛の未来が心配です!」
どちらも一歩も引かない口論が熱を帯びる。
……きゅ〜う。
私たちの間で、小さく情けない音が鳴った。昨日も聞いた音だ。
レイが半泣きになりそうな顔で、私とセルヴィの服をきゅっと引っ張っていた。
「二人とも、喧嘩せんといて……?」
潤んだ上目遣いに言葉が詰まった。罪悪感が胸を締め上げてくる。
「ごめんなさい、レイ。私が悪かったです」
「これ以上の叱責は不毛だな。急ごう」
私はばつが悪くなり、セルヴィから顔を背けて歩き出した。レイの上目遣いには誰も勝てない。
セルヴィも小さく咳払いをし、歩調を早める。
日が暮れようとした黄昏時、ようやく森の木々が途切れた。前方に背の低い石造りの壁が姿をみせる。
「あ〜っ! お姉ちゃん、お兄ちゃん、街が見えてきたで!」
やっとレイにご飯を食べさせてあげられる。限界を超えかけた私の足に力が戻った。
しかし街に近づくにつれ、奇妙な感覚を覚える。
門の手前まで来ても人の気配が全くないのだ。本来ならば一日の仕事を終えた住民や夕食の買い出しをする人々が行き交う時間のはず。
「なんだか、様子がおかしいですね」
鉄格子の大きな門はだらしなく半開きのまま放置されていた。門をくぐると、街の中は不気味なほど静まり返っている。
通りには人っ子一人いない。
広場の露店は荷物を残したまま打ち捨てられ、風に煽られた布がパタパタと虚しい音を立てている。
民家の窓はどれも固く閉ざされ、灯り一つ灯っていない。
喧騒の音も聞こえず、夕飯の煙すら立ち上らない街並みは時間だけが置き去りにされたようだった。
「セルヴィ、この街の人たちはどこへ行ったんです?」
「みな家にいる。この時間は誰も外へ出ようとはしない」
私は警戒してレイの肩を抱き、自分の体に引き寄せる。
レイの手がいつもより強く私の服を握っていた。その震えが、街の異様さを雄弁に物語っている。
私たちの前を歩いていたセルヴィが荒廃した街並みをひと渡り見渡すと、何事もなかったように向き直った。
その顔に私たちのような驚きも困惑も一切なかった。
「ようこそ、我が領地バーナルリーモへ」




