番外編 そして家族になる日 ③
屋敷に戻ると、玄関の広間を右にいったり左にいったりしているアベロを見つけた。彼は私の顔を見るなり、声にならない声を上げて目元を赤くする。
「アベロ、セルヴィはどこにいます?」
「奥様……! 旦那様でしたら中庭にいらっしゃいます」
ご案内します、とアベロが小走りに前を歩き出した。中庭に広がっていたのは丹精込めて手入れされたアネモネの花畑。
風が起こす青一色の波間に、彼の空色の髪が混じって揺れている。ぽつんと一人きり、誰の目にも留まらないように。
「セルヴィ」
声をかけても、座り込んでいる彼からの返答はなかった。それでも私は断りも入れずに彼の隣へ腰を下ろす。
相変わらず目は合わない。それでも彼が話し出すまで、いくらでも待つつもりだった。長い沈黙を覚悟していたが、セルヴィはすぐに口を開いた。
「こんなはずじゃなかった」
アネモネを一本、また一本と無言でちぎる。彼はその作業を繰り返していた。
「魔石を回収し、民の骸を積み上げて死んでいく──それが私の人生だったはずなんだ。父の死を願い、国を守れなかった領主にお似合いの末路だと受け入れていたのに」
積み上げていた花を両手でひと掴みにすると、セルヴィはそれを私の頭上へ乱暴に振り撒いた。視界が青い花弁で埋め尽くされる。
「ユウナもレイも、何度も私を追いかけて……信じてくれるから、諦めきれなくなって。アネモネの泉で危険が迫っていることに気づいていたのに──今でも夢に見る。私の腕の中で冷たくなっていく君を」
トクサに泉へ突き落とされた、あの時のことだ。朧げな意識の中で、溺れた私をセルヴィが必死に救い上げてくれたことだけは覚えている。
彼の目元は濡れているのに涙は落ちてこない。ただ顔を歪ませていくばかりだ。
「君は自由になるべきだ。フォリオ子爵も、それを願って君を果ての国に追放した。全部わかっているはずなのに、どうしても私は……」
昔の私は自分のことしか見えていなかった。でも今は違う。みんなが、彼が、私を想ってくれているのがわかる。
旅で見つけたのは希望だけではない。大切なものを自分の手で壊してしまった私が、もう一度大切にしたいものを見つけた──そういう旅だった。伝えなければ。私の大事な、空色のあなたに。
「セルヴィ、こっちを見てください」
私もアネモネの茎を一本抜いた。俯いたままのセルヴィの頬に、ふさふさと花びらを掠めさせる。くすぐったいはずだ。レイに同じことをされたとき、私もそうだったから。
セルヴィはようやく顔を上げてくれた。困り果てた表情のまま。
「ユウナ、ふざけないでくれないか……」
「大真面目です。私はね、自分の意思でちゃんと選んでいます。あなたに言われなくても、どこまでも自由に。それでも大切にしたいものが変わらなかったんです」
私は手にしていた青をセルヴィの右耳に挿した。やはり彼の髪によく映える。
「私、あなたと一緒にいたいですよ。セルヴィ」
彼は震える手で、自分の髪に本当に花が挿さっているのか、何度も確かめていた。現実を受け止めきれないような、そんな顔で。
「ユウナ、本当に……?」
「こんな嘘をつくわけないでしょう!」
心外だ。まだ冗談だと思われている。むくれていると、セルヴィが顔を手で覆って泣き崩れてしまった。まさか、そこまで疑われていたとは。
落ち着かせようと背中に手を伸ばした途端、腕を強く引かれてそのまま抱きすくめられてしまった。
「私も君と共にいることをアネモネに誓うよ──死が二人を別つまで、どうか守らせてくれ」
ずいぶん大袈裟だと思いながら、私もセルヴィの背中に腕を回す。彼の腕の中でぼんやりしていると、口元を手で押さえたアベロが庭先に見えた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。レイを抱えたシャウロが、それはそれは不快そうな顔で佇んでいた。
「旦那様、ああ、旦那様……よかった、本当によ゛か゛っ゛た゛……」
嗚咽の合間に途切れる男泣きが庭中に響いて、正直うるさい。レイがそれを「よしよし」してあげていた。
「セルヴィ、あの、ちょっと……」
みんなが中庭にいることを自覚したら、セルヴィに抱きしめられているのが急に恥ずかしくなってきた。セルヴィはふふ、と笑って腕を緩めてくれたが、二人でみんなの元に向かうときもしっかりと手を繋いで離そうとしなかった。
「シャウロ、きてくれたんです?」
「不本意だけどね。聖女様がどうしても一緒に来いって駄々こねるから」
アベロとあれほど兄弟仲が悪く、セルヴィの屋敷には立ち入ることさえ嫌がっていたというのに。シャウロの後ろからミルダも顔を出した。後ろ手を組んで、気まずそうにセルヴィの前に立つ。
「……ウチが悪かったよ、セルヴィ。言い過ぎた」
「私の方こそ、すまなかった」
とてとて、とレイがセルヴィの足元にひっついた。にっこりと無邪気な笑顔で。
「二人とも仲直りできたん? みんなで一緒にとらんぷできる?」
「ああ、レイ。たくさん遊ぼう、これからも」
セルヴィとのわだかまりが解けたミルダは、今度は私の手を両手で包む。尖らせた口には不服がにじんでいた。
「ユウナが決めたことなら、いいんだ。でも忘れないでおくれ? 結婚してもセルヴィに嫌なことされたら、いつでもウチが助けてやるから」
「……え、結婚?」
結婚──私が、誰と?
「やぁねぇ、あんたがプロポーズしたんじゃない」
熱烈だわ、とシャウロが私のこめかみをとんとんと叩く。
「領主様に花を挿したんでしょ? 果ての国での求婚よ、それ」
そ、そんな風習、初耳だ。セルヴィが「本当に……?」と言っていたのは、あれが求婚の意味を持っていたからだということ!?
慌ててセルヴィの方を見ると、にこりと優しく微笑み返される。レイを抱っこしてあんなにも幸せそうな顔をしている彼に、知りませんでしたとは言えない。言えるはずがない。
どうしよう、とんでもないことをしてしまった。きっと間違いではないのだろうけれど。
「まあ……いいです、よね?」
後日、父から手紙が届いた。生まれて初めて受け取ったその手紙は、もちろん激怒だけで埋め尽くされていた。




