番外編 そして家族になる日 ②
隣室から怒声が聞こえてきたとき、すぐに理解した。シャウロの懸念はやはり正しかったのだと。アベロに通された応接間でレイと共に待つ私の耳に、セルヴィとミルダの声が容赦なく届く。
「お兄ちゃんとミルダ、喧嘩してるん? 大丈夫なんかなあ」
おそらく、まったく大丈夫ではないだろう。応接間の扉の向こうから力なく「奥様……」と呼びかけてくるアベロの声の弱さが、状況の深刻さを物語っていた。
鉄は熱いうちに打てと、彼女は領主の屋敷へ飛び込んでいたのだ。自分も直接話をしておこう──事後報告となれば後が怖いから──と思い、その後を追ってきた。
激しい口論は一向に収まる気配がない。レイの前に並べられた三つ目のプリンの皿が空になるのを見て、これ以上待つべきではないと判断した。
「アベロ、そろそろ止めに入ったほうがいいのでは」
「もちろんわたくしめもそう思っております。しかし、旦那様から奥様を入れないようにと仰せつかっておりまして……」
ここまで話がこじれるとは予想できなかった。セルヴィが強く反対する理由は一体なんだろう。考えられるとすれば、私の父だろうか。以前、書簡でやり取りをしていると言っていた。責任感の強い彼のことだから、父の要望を愚直に守ろうとしているのかもしれない。
「行きましょう、アベロ」
「ですが、奥様……」
「私がわがままを言ったことにすればいいんです。レイも一緒に来てください」
「うん。はよ二人と遊びた〜い」
口の端にプリンをつけたまま元気よく応えてくれる。アベロが丁寧にその口元を拭う様子を見届けて、応接間を出た。みんなで遊ぶためにと、レイはトランプを右手にもつ。とても遊べる空気ではないだろうとは思ったが口にはできなかった。
執務室からはまだ二人の張り詰めた声が聞こえてくる。なにを言っているのかまでは聞き取れないが、ただならぬ激しさだ。本当は屋敷の前で待っているシャウロも呼びたかったものの、アベロがいるから決してこの屋敷に足を踏み入れない。この兄弟にも早く仲直りしてほしい。
私は意を決して、扉を三度叩いた。
「セルヴィ、入りますよ」
ぴたりと言い争う声が止んだので、返事を待たずに扉を開ける。そこには目を逸らすセルヴィと、息を荒くして涙をにじませたミルダの姿があった。レイがすかさず彼女に近寄って行く。
「大丈夫なん? なんかあったん?」
「なんもないよっ」
私もすぐに寄り添いたかったが、まずは二人の間になにがあったのかを確かめなければならない。この状況は明らかに普通ではなかった。
セルヴィが相手を泣かせるまで一歩も引かないなど、よほどのことがないと考えられないからだ。普段の彼は理不尽な物言いでさえ、苦笑いひとつで受け止めてしまう人なのに。
「応接間にいるように、アベロに伝えてあったはずだが」
「待てませんでした。二人が……その、心配で」
彼は頑なに視線を合わせてくれない。話すことそのものを拒絶して、じっと床を見つめていた。その沈黙を破り、ミルダは声を震わせてセルヴィを責め立てる。
「ユウナにはだんまりで通すつもりかい!? そうやってなにも言わなかったら、この子が折れるってわかってやってんだろ!」
「……違う、そんなつもりは」
「弟のため、レイのため、今度はアンタのためにあの小さな屋敷でユウナは一生過ごせってのか!?」
「私は! 二人を守るために──」
「守れないんだよ、アンタには! アネモネの泉でもそうだったろ!」
カン、と乾いた音。トランプケースが床に落ちたのだ。語勢を強めたミルダに驚いたレイが手を離してしまったらしい。
セルヴィは目を見開いたまま、瞬きさえ忘れたように動かない。そんな様子に構うことなく、彼女はなおも言葉を重ねて追い詰めていく。
「アンタはいずれどっかのお貴族様と結婚するんだろ? そしたらユウナとレイのことおざなりになるさ。それでも二人は生きていかなきゃいけないんだよ!?」
「ミルダ、落ち着いてください」
「ダチのことで落ち着いてなんていられるか! 守るだのなんだの言って……アンタの自分勝手でユウナの人生を奪うんじゃないよ!」
つかみかからんばかりの聖女を身を挺してなんとか止めていた、その最中だった。
「黙れ!!!」
空気が裂けたかと思った。セルヴィの口から出たとは信じがたいほどの声。肩を大きく上下させて荒く息をする姿を見れば、確かに彼の叫びであったことは疑いようもなかった。
普段の主人からは想像もつかない様子にアベロさえたじろいでいる。とうとう耐えきれなくなったレイの喉から嗚咽が漏れ、やがて大きな泣き声に変わっていった。
「いややぁ、お兄ちゃん、怒らんといてぇ……ミルダもぉ」
執務室には泣き声だけが響いていた。その声に居た堪れなくなったのか、それとも耐えられなくなったのか。セルヴィは扉のほうへ足早に歩いていく。
「聖女殿、護衛が必要なら王都に要請しよう。もう話し合うつもりはない──失礼する」
大きな音を立てて、扉が閉じられた。
♢♢♢
「その様子じゃ、うまくいかなかったみたいねぇ」
なんとか二人を宥めながらシャウロのいる門までたどり着いた。彼を見て思わず安堵の息が漏れる。
「私のために泣かなくていいんですよ、ミルダ」
結局のところ、自分のためだと言いながら彼女はこれからを思って旅を提案してくれていたのだ。だからこそ必死になっていたのだろう。
良き友に恵まれたことのほうがよほど嬉しかったけれど、彼女はそれで満足できないらしかった。
「おかしいよ。ユウナの人生は……ユウナのもんだろ」
「そうね、だから選ぶのはユウナよ。あたしたちがやいやい言うことじゃないの」
鼻をすするミルダの額をシャウロは軽く指で弾いた。
選ぶのは、私。みんなと一緒にいれたらいい、それだけが自分の願いだったはずなのに。人はどうしても欲深くなってしまうものらしい。
「シャウロ。もう少し待っていてもらってもいいですか?」
抱いていたレイを彼に託すと、ウインクひとつで背中を押してくれた。私は迷わずに踵を返して屋敷へと駆け戻る。
たった一人で涙を流しているかもしれない空色の髪のアネモネ──その人のもとへ向かうために。




