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番外編 そして家族になる日 ①

「ユウナ、引っ越さないかい?」


 今日もまたミルダが屋敷を訪れていた。空は雲一つなく晴れわたり、庭のアネモネが風にそよぐたび、甘い匂いが紅茶の香りに混ざる。いつもと変わらぬ、私の愛するバーナルリーモの午後だった。


「その話、何回目です?」

「だってえ! ここ、街から離れすぎてつまんないよ……畑しかないじゃん」


 果ての国の聖女様は自然に囲まれたこの屋敷にご立腹のようだ。とりあえず聞こえないふりをして、お土産のお菓子に手を伸ばした。ほのかな甘さがなんとも上品で、笑みがこぼれてしまう。


「先立つ資金もありませんから」

「領主様の屋敷に住まわせてもらえばいいだろ? そしたら街で遊べるし」


 世のため人のため、あちこちを巡礼しているミルダには休息が必要だろうが、彼女はただ一緒に遊びたいだけのように思う。それに、セルヴィの元に身を寄せるなんて──とんでもない話だ。


「彼は滅びかけた国を復興させた英雄として、王都から縁談がひっきりなしに来ているんですよ。屋敷に迎えられたお相手が、私たちを見て卒倒でもしたらどうするんです?」

「べっつに事情説明すればいいだけじゃん」

「説明しても、火種どころか大炎上ですよ」


 自分は貴族社会から解放された身だが、セルヴィはこれからもあの世界の中で戦っていかなければならない人だ。迷惑をかけるわけにはいかない。

 小石がぶつかった程度の些細なことが、尾ひれをつけて落馬事故として触れ回られる。そんな貴族社会のくだらない内情を知らない彼女は、諭しても腑に落ちない様子だった。


「うるさいわねぇ、さっきからなにきゃんきゃん吠えてんのよ」


 畑でレイの世話をしてくれていたシャウロが戻ってきた。二人とも顔中が土まみれになっている。説き伏せられないと悟った聖女の目が私から離れた。次の標的は決まったらしい。


「アンタもさ、街に引っ越したいだろ?」

「別にここにおっても楽しいで」

「セルヴィにも毎日会えるよ?」

「お兄ちゃんいつも来てくれてるもん」


 ミルダだけでなく、顔を洗っていたシャウロまでタオルを取り落としてこちらを見てくる。


「ユウナ、どういうことかしらん?」

「……夜に来てくれるんです、様子を見に。アベロが来るときもありますよ」


 二人は顔を寄せ、こそこそと内緒話をはじめた。聞こえてくる声の端々に、領主への不満げな響きが混じっている。

 手も顔も洗い終え、畑仕事を頑張った二人にお菓子を用意する。花の形をしたクッキーを、レイは日にかざして眺めたり、皿の上に丁寧に並べ直したりして、なかなか食べようとしなかった。


「私だって街で働きたいとは思っているんです。生活のことも、この子の将来のこともありますし……」


 いまはセルヴィが勉強を教えてくれているけれど、いずれはレイを学校に通わせなければならない日が来るだろう。いつまでも彼に頼りきりで生活をするというわけにもいかない。


「じゃあ、やっぱりウチの言う通り……」


 ミルダが言い切るより早く、猛烈に首を横に振った。いまでも鮮明に蘇るあの日の光景。この話を切り出したときの凍てついた空気。あれこそまさに地獄だった。




『奥様、いまなんと?』

『だから、街で働きたいなって……』


 言い終える前に、アベロは膝から崩れ落ちて頭を垂れる姿勢をとっていた。


『このアベロ、粗相をしていたのでしたら言ってくださいまし! なんなりとお申し付けくださればわたくしは、わたくしはぁぁ!!』


 夕食の準備の最中だったので、アベロはキッチンナイフを片手に握りしめたまま取り乱している。刃物を手にして大真面目に泣きわめかないでほしい。ただ世間話をしていたつもりだったのに。


『……なにかほしいものでもあるのか? ユウナ』


 テーブルにいたセルヴィの視線が鋭い。レイに文字を教えていた手を止めて、私の返答を待っていた。下手なことを口にしてはいけない気がする。


『いえ、そういうわけでは』


 口の端を引き攣らせながら答えた。彼はしばらくじっと私を見ていたが、地に伏す執事に仕事へ戻れと告げる。

 ぐにゃぐにゃになりながらも、自分の名前を書けるように頑張っているレイ。彼は笑顔で私を見上げてから──いきなり爆弾を投下してきた。


『お姉ちゃん、明日のめんせつ楽しみやねぇ! ぎるどって、みんなで遊べるんかなぁ?』


 時が止まる瞬間など見たことはない。だがあの日だけは、確かにこの家の時計が止まっていた。


『君、まさか勝手に決めたのか? 断りもなく?』

『決まってからちゃんと言おうと……』

『事後報告だと?』

『だ、大丈夫です! ちょっとした護衛をですね……ほら、私、戦う魔法得意ですから。あ、もちろんレイも一緒で』


 僕も魔法使えるようになったでぇ、と幼い彼は意気揚々とアピールしている。おとなしくしていてほしい──願いもむなしく、セルヴィはとうとう無言で椅子から立ち上がった。

 圧倒的な威圧感に気圧され、壁際まで後ずさってしまう。シャウロほどではないにせよ、セルヴィも体格の良い方だ。感情の読めない真顔で見下ろされると、それだけで逃げ場を塞がれた感覚に陥る。


『本気で言っているのか? 君の世間知らずも、ここまでくると笑ってしまうよ』


 一切笑う気配などない彼に、ギルドはそんな生易しい場所ではないと釘を刺されてしまった。あの子を連れて働ける場所など限られているというのに。

 果ての国の地質調査に来ている学者の護衛。その募集がギルドから出ているのを見て、これならばと面接までこぎつけた。子どもが同行しても差し支えないかどうかも確認済みだ。

 決して思いつきではないことを訴えれば、少しは悩んでくれる。そう期待するも、そんな甘くはなく。


『君の身元引受人は誰だ』

『セルヴィ、です』

『そうだな。つまり私には君を守る責任がある』

『でも……』

『認めない。以上だ』


 彼は反論の余地さえ残してくれなかった。かつて完膚なきまでに口で負かされていたネレアラの気持ちが、少しだけわかった気がする。

 後日、街のギルドを訪ねてみると、面接どころか出入り禁止になっていたのは言うまでもない。




「どうにかセルヴィの許しが出ればいいんですけど……」


 許可をもらいたいからといって、口で彼に勝てる自信などない。なにより、またあの真顔で詰められるのもごめんだ。八方塞がりである。

 ミルダも腕を組んで考え込んでいたが、名案を思いついたらしい。両手をぱんと打ち合わせて、身を乗り出してくる。


「ウチの護衛だったらどうだい!?」

「ミルダの?」

「そう! もちろん金は出るし、神殿の管轄だから領主様だって文句いわないよ!」


 ミルダの巡礼についていく。それならセルヴィも許してくれるかもしれない!

 五人でアネモネの泉を目指していたころを思い出す。辛いことも多かったけれど、楽しかったあの頃。もう一度、あんな旅ができたら。


「楽しそうですね!」

「だろ〜? ウチってば天才かも!」

「僕も! 僕も連れてってやぁ!」

「当たり前じゃないか! レイがいなけりゃ美味い飯が食えないだろ?」


 手放しで盛り上がる私たちをよそに、シャウロだけはどこか冷ややかな様子だった。


「そんなに上手くいくかしら……」

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