第54話 最果て凹凹晩ごはん ⑦
どん、と鈍い衝撃が麻のシーツ越しに響いた。
「お姉ちゃん、起きや! もうお昼なってまうで!」
「うぐっ……優しく起こしてください……」
助走をつけてレイに突進されたらしい。シーツの上からリズムよく叩かれ続け、観念して身を起こした。楽器か、私は。この国にいると、人の起こし方が荒くなる呪いでもあるのかもしれない。
まだ朝だとばかり思っていたのに、太陽はすでに真上まで昇っている。窓の外を見ると見慣れない旅装の者たちが、地図を片手に通り過ぎていた。最近よく見かける。この国を訪れる人も多くなったものだ。
「はよ支度して、お庭きてな!」
「はぁい」
穏やかな日々。今の私たちを表すのならこの一言だ。果ての国には目まぐるしい変化があったものの、我々にはあまり関係がない。旅も終わり、二人が出会った地で慎ましく暮らしていた。追放された際に用意してもらったあの小さな屋敷である。
家庭菜園に熱中しているせいで、あの子は日の出とともに目を覚ますようになってしまった。あくびを噛み殺しながら、彼が待つ庭へと出る。
「見て見て! そろそろ大葉とれるわ!」
カシャ、カシャとシャッターを切る軽快な音。魔導カメラで野菜を撮影している。断っておくが、これは日課である。野菜の写真で屋敷が埋もれる日も近い。
今日はいよいよオオバとやらが収穫できる頃合いらしかった。青々と生い茂ってはいるのだが……どう見てもただの雑草じゃないのか、これは。本人には口が裂けても言えないけれど。
「声に出てるで、お姉ちゃん」
「ご、ごめんなさい……」
レイは眉を吊り上げて仁王立ちで咎めてくる。その姿はセルヴィそっくりだ。近ごろ、言動や振る舞いまで彼に似てきた気がする。小言を言ってくるのは一人だけで十分だ。
畑仕事に精を出すあの子の周りには蝶が飛び回り、庭の隅では名も知らぬ鳥が羽ばたく。そこかしこから聞こえる、命の音。かつて植物すら芽吹くこともなかった痩せた大地は、もう見る影もない。
「あーっ!」
「レイ、どうしたんです!?」
「虫に食われてもうた……」
育てていた野菜の葉先に、小さな虫食いの穴が空いていた。しょげるレイの背中に笑ってしまう。あふれる命は、時に試練をもたらすものらしい。
水やりをしていると、なにかが遠くから煙を上げて近づいてくる。見覚えのある二つの人影が、こちらに向かって手を振っていた。
「ユウナ〜!」
「ミルダ、巡礼終わりですか?」
魔導スクーターから降りるなり、ミルダが全力で駆け寄ってくる。声をかけると、彼女はにやりと笑って顎をぐいと上げてみせた。
「頭が高い! 果ての国の聖女様とお呼び!」
お決まりの台詞が無事に言えて満足そうだ。毎度のことでもう慣れているはずなのに、やはり噴き出してしまう。あのミルダが聖女だなんて。
「相変わらずまるで似合っていませんね、その法衣」
「そんなこと言ってたら、バチ当ててくれるように祈っちまうよ? 女神様にさ」
彼女は巡礼と称してあちこちを巡っていた。輝石病に怯えて閉め切られていた扉を一つ、また一つと開いていくために。彼女の奇跡は希望となった。滅びを待つばかりだった人々の確かな希望に。
そんな多忙を極めているミルダだが、私たちの元へ頻繁に顔を出してくれていた。
「ちょっと! あたしを置いていくんじゃないわよ」
シャウロも巡礼に同行していた。魔導スクーター──二人乗り──で颯爽と現れる聖女と商人。目が点になっている果ての国の人たちが容易に想像できる。
商いというものの、彼は病に苦しむ人々や治癒したもののまだ暮らしが立たない人々へ物資を届けて回っていた。
商売あがったりじゃないのか、と以前尋ねたところ、領主様からたっぷり援助を受けているので心配ないらしい。セルヴィのお財布は大丈夫なんだろうか。
「ユウナ、最近どうなのん? レイも元気かしら?」
「特に変わったことはありませんよ。土いじりと魔法の特訓、それの繰り返しです」
あれ以来、レイが魔力を暴走させたことは一度もない。勝手に願いを叶えてしまう現象も起きていない。
けれど、その力自体が消えたわけではないため、毎日一緒に魔力をコントロールする訓練を続けている。私よりも上手く魔力を扱えるようになりつつある事実は、まだ認めない。まだ。
「土いじりね……ふはっ! 笑っちゃいけないけど、最高だったよ。レイのお願い」
ミルダが堪えきれずに笑うので、とりあえず腕を胸の前で組んで抗議の目線をおくっておく。後ろでつられているシャウロにも。
アネモネの泉であの子が願ったこと。彼が誰かの願いを叶え続けるだけなんて、そんなのはおかしい。だから私が願いを聞いてやりたかった。叶えたかった──のだが。
「お姉ちゃんに毎日お野菜を食べさせてあげたい、だったかしら?」
シャウロの言葉通りだった。出会ったばかりの頃の姿が、よほどレイの記憶にこびりついているらしかった。顔色は悪く、酒とスパイスにばかり手を出して、まともに食事も取ろうとしなかった、あの頃の私。
だから元気でいてほしいという子どもらしい願いだった。そして、そのためには野菜を食べれば良いということらしい。
「そうやで! お野菜は体にいいんやから!」
苦手だったブロッコリーをすでに克服したレイに敵はなかった。私だって別に野菜が苦手というわけではないのだが、さすがに毎日はいらない。
「今日もたくさん持ってきたわよん」
「勘弁してくださいよぉ……」
旅をしていた頃は気にも留めなかったが、日向かしの国の料理はとにかく野菜づくしだ。あとは魚くらいのもので、肉が恋しくてたまらなくなる。
時々、屋敷に様子を見にきてくれるアベロの作ってくれる料理だけが、唯一の慰めになっていた。
「なあなあ! 今日は晩ごはん、みんなで食べよやぁ」
「いいじゃない、五人での夕食は久しぶりね♡」
「レイの飯、楽しみだよ」
ミルダはレイの頭を鷲掴む。勢いよく撫で回されて不機嫌になっているからやめてあげてほしい。
「ミルダも手伝わなあかんで?」
「聖女様をこき使うなんて、アンタぐらいだよ」
二人は支度のために屋敷へと戻っていく。後を追おうとしたが、ふと気になったことがあった。
「五人といっても……セルヴィはどうするんです?」
「ちょっと待ってなさいな」
シャウロは極彩色に揺らめく空間へ優雅な足取りで歩いていく。ほどなく虚空にねじれた裂け目が生まれ、果ての国の領主が椅子ごと転がり落ちてきた。手に羽ペンを握ったまま。
思い切り腰を打ちつけたみたいで、顔をしかめている。痛そうだ。その犯人はいつの間にか戻ってきており、気取った仕草で髪をかきあげていた。
「……仕事中だったんだが!?」
「働きすぎよ、領主様。休むことも大事なんだから」
おーっほっほ、と高らかに笑いながらシャウロも屋敷へ戻って行った。急に静かになった庭に、二人だけが残される。倒れ込んだままの彼に、苦笑いしかできない。
「セルヴィ。お仕事、お疲れ様です」
「ありがとう。食事の件、昨日会ったときに言ってもらえると助かったんだが?」
実のところ、彼とは昨日も顔を合わせている。なんなら二日に一度は訪ねてきてくれるのだ。一応、私の監視役だからというが……律儀な人だ。
夜には必ず足を運び、レイと共に食事を取って勉強まで見てくれる。どんなに忙しくても。
「なりゆきで決まってしまって。忙しいのに大丈夫です?」
「まあ、構わないよ。賑やかな夕食は嫌いじゃない」
彼の領地はすっかり様変わりした。それに伴って、領主であるセルヴィは体がいくつあっても足りない状態なのだ。
輝石病を癒す聖女が誕生し、荒れ果てていた大地には緑が戻り──驚くべきことに、大量の魔石までもが発生した。人工的に精製されたものではない。正真正銘、大地から生まれ出たものだった。本来ならば数千年の歳月を経なければ生まれないはずの魔石が、なぜ突如として現れたのか。その謎を追って、世界中から研究者たちが集まってきている。
もともと魔導具の生産で知られた国だけに、かつてのように生産へ力を注ぐ一方で、二度と輝石病の悲劇を繰り返すまいと、彼は魔石の研究にも熱心に取り組んでいた。
「今も、夢なんじゃないかと疑ってしまうんだ。まさかこんな景色を、未来を見ることができるとは思っていなかったから……」
風が吹き抜けた。かつて果ての国に吹き荒れていた、あの凍てついた風ではない。
「ユウナ。君に会えて、本当によかった」
「私もです。セルヴィ」
そこかしこに咲いた青いアネモネが風に揺れている。青いアネモネの咲き誇る国、バーナルリーモ。この地で私は、みんなと一緒にいる。ずっと。
「そうだ、酒は返したほうがいいのかな?」
ついでにスパイスも、と付け加えられた。もういらないとわかっているくせに。あえて聞いている、そんな顔だ。意地悪な人!
「もうっ、みんな待っています! 行きましょう」
はは、と笑うセルヴィの腕を軽くこづいておく。青い空に薄く月が浮かんでいた。
♢♢♢
「今日の晩ごはんはこれやで!」
月が顔を覗かせる頃、五人で囲む食卓に並んだ食事は──白い塊だった。私とレイ以外の三人は、なんだこれと首をひねる。
「オニギリですね」
「正解、お姉ちゃん! あんときは二人やったけど、みんなで晩ごはん食べるの、やっぱり楽しいなぁ」
はじめて食べた日向かしの料理。小さすぎたり、大きすぎたり、歪んでいたり、丸かと思えば完璧な四角だったり。レイの作ってくれた、なんとも凹凹な晩ごはんがとても愛しい。
これからも生きていく私は、今日も感謝して言うのだ。手を合わせて──。
「いただきます!」
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