第50話 最果て凹凹晩ごはん ③
ネレアラの放った魔法でセルヴィの盾に亀裂が入った。
「──っ、強い!?」
水の魔法は総量がものを言う。並大抵の魔力量ではこれほどの威力を出せないはずだ。ましてや、彼自身の乏しい力では。それなのに、今のネレアラは膨大な魔力を完全に制御している。
「泉で強化されてるのかもしれないわ」
ネレアラの従者と睨み合うシャウロが冷静に分析する。全身筋肉でできた彼の突き上げるパンチをくらってなお、従者は立っていた。
ミルダも火の魔法を放って加勢するが、派手な音を立てるばかりで敵を圧倒する威力はない。
「じゃあなんでウチの魔法強くならないのさ」
「センスがないのよ」
「適当にもほどがあるだろ!?」
彼女の魔法は泉の魔力で強化されていなかった。つまり、元婚約者だけがこれほどの力を得ているということになる。
「なるほど、あなたはネレアラではありませんね」
おそらくネレアラの姿をした別のなにかだ。迷わず雷撃を叩き込んでみると、水の壁に遮られ霧散した。やはり自分の見立ては正しい。あの人にこんな戦い方はできない。
何より、彼の魔力の中にある泉の気配が正体を教えてくれている。
「そうでしょう、トクサさん」
一言も話すことなく戦い続けていた誰かに向けて、その名を呼ぶ。攻撃の手が止まった。しばらく押し黙ったあと、彼は口の端を歪めて笑う。
「……やるやん」
その姿はなにも変化しないまま、独特な間延びのある話し方になった。目の前にいるのはネレアラの体を乗っ取ったトクサ、というわけだ。
「こないにはよ見破られる思わんかったわ」
「この人は魔法を使いこなせません」
「そうなん? ボクと同じ水魔法使える体で具合ええけどね」
中身は別人だとわかっていても生理的な嫌悪感がこみ上げる。顔だけは紛れもなく元婚約者のものなのだから。
「ほんまはこんなんしたないけど、力ずくでいかせてもらうわ」
「いいんですか? 私も得意分野ですよ」
レイを道連れにしようというのだから強硬手段をとるのも当然か。戦いは避けられそうにない。
「ユウナ! こっちは任せときな!」
「存分に戦ってらっしゃい♡」
操られていた従者をシャウロとミルダが見事に気絶させていた。レイを二人に託し、魔力を練り上げて戦闘態勢に入る。
セルヴィも前線に立った。いつもの頼もしい背中──なのだが、すれ違いのあった今、どこかぎくしゃくしている。だから今回は私が前に出た。驚きに目を見開くセルヴィを置いて、地面を蹴る。
守られるだけではない。私もレイを守るんだ。
「子どもと一緒に死んだほうがいいなんていう、あなたの根性を叩き直してあげます! トクサ!」
空気を引き裂く音とともに視界を埋め尽くすのは、高速で飛来する水の刃。舌打ちを止めもせず、拳に雷を纏わせる。行儀が悪いなどと構っていられる場合でもない。
真っ向から突き出したが、手応えは最悪だった。敵を覆う水の膜が雷を吸い込んでいく。
「ボクと相性悪いみたいやねぇ」
水の向こうで面白そうに細められる目。余裕を隠しもしない態度が酷く癪に障る。啖呵を切っておいて遠距離からチマチマ落雷を落とすなど御免だ。彼とは拳で語ってやる!
「その顔で喋らないで! イライラします!」
「めっちゃ嫌われてるやん、この子。かわいそ」
衝動のままに鉄拳をお見舞いする。だが、仲間を感電させるわけにはいかない。最大出力を出せないもどかしさと、耳にタコができるほど叩き込まれた水と雷の最悪の相性が足枷となって私を焦らせる。
案の定、操られた水膜は雷を吸収して勢いを増し、巨大な水の顎となってこちらへ跳ね返ってきた。
「ユウナ!」
セルヴィの声とともに視界が純白の光に染まる。いつの間にか展開されていた巨大な光の障壁に、トクサの放っていたらしい水弾が直撃して爆ぜた。凄まじい衝撃波と水飛沫が辺り一面に散る。
背後からこれみよがしなため息が聞こえてきた。言いたいことはわかっているから振り向きたくない。
「……頼むから無茶をしないでくれ」
「嫌です」
「なんだと?」
この人の要望なんて却下だ。盾を構えたまま、心配そうに見てきたってそんなのは知らない。私はまださっきのことを許していないのだから。
「あなたが言ったんです。私の盾になるって」
最強の盾が守り、最強の雷が穿つ。負ける気がしない。二人ならどんな敵にだって打ち勝てる、どこまでも行ける。そう思っていたのに。
「……そうだったな。守らせてくれるか、ユウナ」
前言撤回はなしですよ、と突き出した拳に、彼が手袋越しに大きな拳をコツンと重ねた。
「油断するんじゃないぞ」
「ふふ、安心してください。トクサの首をすぐにとってやりますから」
言うが早いか、日向かし服に見られる扇形の袖が広げられる。周囲の空気が一気に湿り気を帯び、巨大な水の塊が渦を巻いた。両足に雷を纏わせて水流の隙間を縫い、懐へ飛び込まなければ飲み込まれてしまう。
すると、トクサがちょいちょいと指を地面へ向けて示していた。なんだ、と自分の足元を見ると乱反射する水溜まりが──。
「あっ」
もう遅かった。自分の放った雷を吸い上げた水が、激しい電気を帯びたまま足首に絡みつく。まるで蛇だ。自らの雷の威力が全身を駆け巡り、筋肉が硬直する。身動きの取れない私を無数の水刃が全方位から取り囲んだ。
「馬鹿者!」
セルヴィが私の体を水から無理やり引き剥がす。円形に展開された光膜が、甲高い音を立てて水の凶刃を受け止めていた。
「助かりました、セルヴィ」
「言ったそばから、君ってやつは! 命がいくつあっても足りやしないぞ!」
そんな怒らなくても。水浸しになった拳を握り直し、なおも涼しい顔をしているレイの父親を睨みつけた。どうしても決定打が打ち込めない。
「健気やね、領主さん。でもキミは守るしかできへんみたいやし、お月さんの魔力切れたらボクの勝ちやなぁ」
「人が負けるのは勝利を確信したときだぞ」
下卑た挑発を切り捨て、今度はセルヴィが仕掛けた。彼はトクサの背後に光の壁を展開して退路を断つと、自らも盾を構えて正面から突進する。前後から挟み撃ち、その体ごと圧殺せんとする猛攻だった。
「侮るなよ!」
さすがにトクサの顔から余裕が消える。水の防壁を幾重にも展開し、光の盾と激突した。ギチギチと空間そのものを軋ませた拮抗が続く。
「嘘やろ、キミ……この体ごと潰すつもりなん……!?」
「あとでミルダに、回復魔法を頼めばいいからな。問題ない……っ!」
水の防壁が薄くなっていた。今だ。加勢すべく構えると、トクサの視線が私の背後──遠くにいるレイへと動いた。凄まじい速度で放たれる流水の刃。
「レイ! 逃げてください!」
反射的に体が動いた。庇おうと全力で駆け出すが、水の一閃はあの子の手前で水蒸気となって消える。
「っ──違う、ユウナ! 狙われているのは君だ!」
セルヴィの悲鳴のような叫びと同時に、水のカーテンが私の目の前を遮る。それを乱暴に割って一本の腕が飛び込んできた。姿をあらわしたトクサに容赦なく首を掴まれ、凄まじい速度で体を引きずられる。
「月と心中、させてもらおか!」
抵抗する間もなく、体が宙に投げ出される。首を絞められて意識が遠のく。暗く澱んだ、底の見えない泉の水面が背後に迫ってきていた。
「ユウナぁぁぁーーっ!!」
必死に手を伸ばすセルヴィの姿が小さくなっていく。真っ黒な冷たい水が視界を完全に塗りつぶした。




