第47話 再誕の桜茶 ⑨
翌日、私は昨日の出来事をミルダとシャウロに話した。もちろんセルヴィがレイを二階で身支度させている間に。
ハクオウが命を代償に輝石病を治したこと。そして彼が亡くなったことを当の本人は理解できていないこと。彼はまだ死というものを呑みこめていないらしかった。昨夜、ハクオウがいなくなったこともただの留守で、いずれまた帰ってくると思っている。
「しけた面するんじゃないよ、ユウナ。まずは助かったことを素直に喜びな?」
「そうよ。あんたがそんなだとあの子が不安になっちゃうわ」
「……はい」
静かに話を聞いてくれた二人は、レイの輝石病が癒えたことを心から喜んでくれた。
「お姉ちゃん、準備できたで〜」
セルヴィに連れられ、レイが二階から降りてくる。雲を思わせる白くふわふわとした髪に、金色へと変わった瞳。以前の彼とは似ても似つかない姿に二人とも目を見張る。
「うわーっ、本当にまっ白じゃないか。小麦粉でもかぶったみたいだね」
「男前が上がったんじゃなぁい?」
「ほんまにぃ?」
ミルダには遠慮なく白くなった頭をわしゃわしゃと撫でまわされ、シャウロにも褒められてレイはすこぶる上機嫌だ。
そんな中、セルヴィが窓の外を見た。そろそろ私たちは旅の目的地であるアネモネの泉へ向かわなければならない。
「では、出発しようか」
「待っておくれ!」
出発を促されるとミルダが慌てて呼び止める。人の家の棚だというのに、彼女は手慣れた様子で小さな缶を取り出した。
「快気祝いに一杯飲もうじゃないか」
「紅茶ですか?」
「うーん、じいさんがあとで飲みなって言ってたもんなんだけどね」
缶を覗くと中にはきゅっと押し固められた、少し色濃いサクラの花びらが詰まっていた。
「桜茶や! お祝いのときに飲むんやで」
サクラチャを淹れる役目は勝手知ったる彼に任せ、ミルダは人数分のティーカップを並べていく。レイはいつも通り手に魔力を込め、生活魔法でお湯を出そうとした。
「あつっ!!」
手元でびしゃりと水音がはじけた。足もとの床は濡れ、湯気の立つ液体があたりに飛び散る。熱湯だ。およそ生活魔法で出せる温度ではない。魔法を使った右手は赤く腫れ上がっていた。
「ミルダ! 治療を、治療をお願いします!」
「大丈夫やで、お姉ちゃん。もう治ってきたわ」
取り乱す私をよそに、レイはけろりとしていた。皮がめくれるほどだったのに瞬く間に元の綺麗な肌に戻っていく。ミルダが回復魔法を発動させるより先に、だ。
「……あとでウチがちゃんと手当てするからね?」
彼女も不思議そうな顔で、さっきまで火傷していたはずの手を確かめている。無事であるならいいのだけれど、かすかな不安が胸から離れない。
「……ひとまずは無事でよかった」
セルヴィが私たちの困惑を遮るように言うと、ティーポットに湯を満たしていく。
「魔力が多くなったから調整ができなかったんだろう。レイ、お湯があればいいのか?」
「うん!」
レイがそれを順にティーカップへと注いだ。お湯の中で縮こまっていた花びらがほどけ、ふわり花が開いていく。器の中に小さな春が浮かんでいた。
「まるでレイみたいじゃない」
「どういうことです?」
「おじいちゃんの思いを受け継いでこの子は美しい花を咲かせたのよ」
シャウロがレイの頭を撫でる。かつて同じように孫の顔を愛おしんでいたハクオウの節くれだった手が重なって見えた。
「シャウロさんも男前やでぇ」
「あらん、美人って言って頂戴!」
「アンタも元気になったし。我らのもうすぐ終わる旅の幸運も祝って……乾杯!」
杯の代わりにティーカップを高々と掲げる姿はなんとも滑稽だ。けれどそれが私たちらしい。全員が一斉にカップをあおる。
「「「「「しょっぱ!!!」」」」」
口に含んだ瞬間に全員が噴き出した。綺麗に同時だった。ほんのりと淡いピンクに染まった湯からこれほど毒々しい塩気が押し寄せてくるとは。漂う香りはあくまで優しく、えもいわれぬサクラの匂いだというのに。
「オニギリを思い出します……」
「なにしみじみしてんだい! こんなに塩分とったら頭痛くなっちまうよ」
「あ、塩抜き忘れてたわ」
レイはてへ、と舌を出す。もうおっちょこちょいなんだから……で許せるほどの塩気ではないけれど。
「ちょっとぉ! ふざけんじゃないわよ」
みんなで我先にとティーポットを取り合い、湯を注ぎ足していった。どっと沸いた騒ぎ声が引いていく。もうこの家にしわがれたハクオウの声は聞こえてこないのだと気づいてしまって、寂しい。
「もうすぐお父さんに会えるんやなぁ」
冷めかけた茶を飲み干して、ティーカップの底に沈んだ花びらを見つめた。行かなければ。この子との約束の場所はもうすぐなのだから。
♢♢♢
「ここがアネモネの泉、ですね」
ハクオウが姿を消したからか、あたりを彩っていたサクラの木々は跡形もなく消えていた。残されたのは清涼な森だけ。トクサが教えてくれた、かつてサクラ並木であったはずの小道を進んでいく。
小高い丘の上に伝説は広がっていた。小さな泉を取り囲む、数えきれないほどの青いアネモネ。まるで青い絨毯を敷き詰めたかと錯覚するほどだ。風でアネモネの群れがさざ波のごとくゆれている。
「アネモネっていうから勝手に赤をイメージしてたよ」
「お兄ちゃんみたいやね!」
「…………」
「照れてんじゃないわよ、領主様」
裏表のない子どもの言葉に、ごほんとひとつ、咳払いで照れていないと返事をしていた。そういえばセルヴィは先ほどから静かだ。なにか気になることでもあるんだろうか。いつになく深く考え込んでいる。
「お水めっちゃキラキラしてるなぁ」
「これを泉につければ、きっと」
彼のことは気がかりだが、私はポーチから魔石を取り出した。この泉の奇跡によって、レイの父・トクサは体を取り戻す。この子と交わした約束を、今果たすことができるんだ。
どうか。目を閉じて泉に沈めようとする——と、手の中から石の重みが消えた。急いで目を開けると、セルヴィに奪われている。
「セルヴィ!? なにするんです!」
取り返そうと伸ばした手が空を切る。わけがわからなかった。魔石を回収しなければいけない立場の彼だけれど、レイの父親のものだけは私に預けてくれていたはず。それなのに、どうして今になって?
混乱する私に追い討ちをかけるように、セルヴィは信じがたい言葉を口にした。
「ユウナ、引き返そう」




