第46話 再誕の桜茶 ⑧
周囲──特にセルヴィ──の気配を窺いながら、しんと静まり返っている廊下を進む。足音を殺してレイの部屋へ向かった。
「レイ? 秘密のお話があります」
音もなく扉を開けると、魔導カメラをいじっていた彼がはっとしてこちらを向いた。「遊ぶの?」という声が今にも聞こえてきそうな目をしている。声を上げそうになるのを見て、私は慌てて人差し指を口の前に立てた。
「夜のお散歩に行きましょう」
「ほんまに!?」
ベッドから抜け出してきてくれたレイを「しーっ」と急いで制す。彼は咄嗟に両手で自分の口を覆って、代わりにこくりとうなずく。セルヴィにバレずに抜け出すのは至難の業だがやるしかない。
魔導カメラを肩から下げてレイは気合十分だ。私も覚悟を決めて扉を開けた──。
「君は本当に懲りないな」
瞬間、目の前に青い髪を揺らす男が立っていた。私はひっくり返りそうになる。どうして気づいたのかと問えば、「夕食のときから落ち着きがなさすぎだ」と返ってくる。
そういえば周りをよく見る人だったな、とかそんなに分かりやすかっただろうかとか、落ち込みつつも後には引けない。約束は守らなければ。
「セルヴィ。お願いです」
「お兄ちゃん、お願いやん!」
「…………少しだけだぞ」
柄でもないが上目遣いにお願いしてみた。効果があったのかは不明だが、うぐっと声を漏らしながら了承してくれたので問題ない。疲れさせないためにレイを抱き上げて、セルヴィは夜の散歩に付いてきてくれた。
私たちは離れからあてもなく歩き出す。夜風は心地よく、サクラが見事に咲き誇っていた。けれど、肝心の大きなサクラの木がどこにも見当たらない。
「レイ、大きいサクラの木がどこにあるか知っています?」
「うーん……あっち?」
ハクオウはレイならわかると言っていたが、なんだか頼りない案内だ。他に手がかりもないので、その方向へ進むしかない。
しばらく歩くと、闇の奥にひときわ目を引く巨大な桜の木が忽然と現れた。夢の中で見た光景と同じだ。
「おじいちゃん!」
「おお、レイ。ユウガオ、それにトクサもよく来てくれたな」
レイは魔導カメラを自慢したくてたまらないみたいだった。写真を撮りたがる子を下ろし、あまり離れすぎるなとセルヴィが何度も念を押して言い聞かせる。元気な返事をして、周囲の景色を撮りにレイは駆けていった。
「ハクオウさん、お話というのはなんです?」
「輝石病のことだ。儂はこの病にかかってから……もう六年になる」
「馬鹿な、あり得ない」
あまりの衝撃に驚きを隠せなかった。特にセルヴィは。輝石病は早ければ数週間、どれほど持ち堪えても数ヶ月で魔石と化す。その容赦のなさが国すらを追い詰めた病だ。六年もの間、それに抗い続けた人間などいるはずがない。
「そうだ。この国を今のようなありさまに変えたのも、たった一年」
「じゃあ、あなたはどうして……」
目の前にいるのは人工魔石研究の第一人者だ。誰も知らない仕組みを彼は知っていてもおかしくない。ハクオウは魔石となった自分の肩を軽く叩いた。
「輝石病とは、人工的に作った魔石の魔力が人間に寄生することで発症する。寄生された人間は魔力を無理やり引き上げられ、副作用として体に魔石が生成されるのだ」
魔力量は生まれながらに決まっているが、もちろん増やすことも可能だ。血反吐を吐くほどの鍛錬を途方もなく続ければ、の話だが。
常軌を逸したはやさで魔力を引き上げれば、代償が付き纏う。それが肉体の魔石化ということなのだろう。
「だから魔力の高い人間はかからないんですね」
「そうだ。だが、生半可なものでは……魔石同等の量が必要なのだ。領主ほどの魔力でも抗えなんだ。だから儂は泉の力を拝借したんじゃ」
領主とはセルヴィの父のことだ。彼もまた高い魔力を持っていたはずなのに輝石病に侵されていた。
ただ、彼の話が正しいのなら、自分自身のものでなくとも魔力さえ得られれば助かるということになる。一つ問題があるとすれば。
「レイは生活魔法を使うのが精一杯の魔力だ。私やユウナが魔力を譲渡しても……」
彼の言う通りだった。魔力の一時的な譲渡自体は珍しいことではない。だが人によって上限が存在する。マグカップにバケツいっぱいの水を注いだところで、溢れるだけで自分のものにはならない。
無理やり上限を超えれば、その力は自身を傷つける。
「だから儂の出番というわけだ」
だから?
言葉の端に胸騒ぎを覚える。真意を問いたくて口を開きかけた、ちょうどそのとき。レイが軽やかな足取りで戻ってきた。
「おじいちゃん、写真撮らしてー!」
「……私が撮ろう。二人で写るといい」
セルヴィが魔導カメラを受け取って構えた。二人が並んだものの、ハクオウはどこを見ればいいのか分かっていない様子だ。目の見えない彼にレンズの位置など分かるはずもない。
「あの黒い目みたいなとこ見るねん!」
「おお、なるほど?」
レンズに魔力が集まり、その気配でレンズの位置を把握したハクオウはぎこちなく顔を向ける。レイも嬉しそうに肩を寄せ、シャッターが降りる音とともに二人の写真が撮られた。
「魂が抜き取られるかと思ったわい」
「おじいちゃんと僕やで! 魔導カメラってすごいやろ?」
現像された写真を受け取ったハクオウは、大切な宝物に触れるように写真の手触りを確かめている。それにも関わらず、お前が持っていておくれとセルヴィに写真を戻した。
「写真の礼に、儂から贈りものをやろう」
「ええ!? なにくれるん?」
レイは期待に満ちた瞳で祖父を見上げていた。皺だらけのハクオウの手が孫の小さな手を包み込む。彼の体から重ねた年輪を感じる魔力が立ち上っていた。ああ、やっぱり。嫌な予感はやはり当たってしまうようだ。
「待ってください! 他にまだ方法が」
そう口にしながら、実際には何一つ思いついていない。それでも止めなければと、なりふり構わず声を張り上げた。
「ありがとう、ユウガオ。だが儂はもう十分生きた。こうしてお前たちにも会えた」
「でも……!!」
あの子にはあなたが必要でしょう。そんなこと彼が一番知っているだろうに。ハクオウは自分の魔力だけではなく、存在という器ごとたった一人の家族に託そうとしている。止めなければ。駆け出そうと足に力を入れる。
「やめないか、ユウナ!」
腕を強く引かれて勢いを止められた。おそらく彼もハクオウがなにをしようとしているのか理解している。
「大切な人を置いていかなければならない者が──なにも思わないわけないだろう!」
そんなことは言われなくても分かっている。だが、現実は「でも」と子どもじみた逆説ばかり繰り返してセルヴィを困らせていた。
だっておかしい。やっと会えたばかりなのに、どうしてもう二人は離れ離れにならないといけないのか。
「すまんな、トクサ。封印を解いてしまうが……」
「おじいちゃん?」
魔力がレイを包み込む。まるで抱擁しているみたいに。薄桃色の光が優しく揺らめき、春風の温もりを運んでくる。
「レイ、儂はちゃんと幸せだった。それは生きていたからだ」
彼の体半分を覆っていた魔石がさらさらと崩れ、無数のサクラの花びらへ姿を変えていく。
「だから、お前も生きなさい。儂との約束だ」
まばゆさが二人を閉じ込める。光の中にいるレイに目を疑った。髪が深い黒からじわじわと白に染まっていく。夢でみた赤子と同じ髪の色だった。紫だった瞳も王都で一瞬だけ見えたあの金色へと変わっている。
光が収まったとき、そこに立っていたのは別人になった少年だった。
「レイ、あなたなんです……?」
お姉ちゃん、といつもと変わらぬ声が返ってくる。右腕はどうなっているんだろう。震える足で近づいて見ると、輝石病の痕跡は跡形もなく消えていた。内側から溢れる高い魔力は紛れもなく彼自身のものになっている。
──ハクオウの姿はもうどこにもない。残っていたのはレイの周りで舞う無数のサクラの花びらだけだった。




