第44話 再誕の桜茶 ⑥
誰かが見ている光景だ、となぜだか分かった。これは夢だ。
花びらが音もなく降り積もっている。大きなサクラの木の下で、雪よりまだ白い髪をした女性がいた。腕の中には同じ白髪の赤子。幸せだ、と思った。その感情が誰のものなのか私には分からなかった。
女性はこちらに気付き、微笑みながら歩いてくる。花びらをまとって近づいてきた彼女は、腕の中の赤子をそっと私へ差し出す。
『レイを守ってくださいね』
言葉だけを残して、雪が溶けてゆくように彼女は消えた。
「お姉ちゃん、おはよう」
黒い髪に紫の瞳。目を開けると見慣れたレイが私の髪を指で梳いていた。夢と現実の狭間で、まだ頭がうまく働かない。
どうやら私はベッドの脇に突っ伏したまま眠り込んでしまったらしい。体調が悪化しないように見守っていたつもりが、いつの間にか意識を手放していた。
「おはようございます……体調はどうです?」
「めっちゃ元気やで!」
一目でわかるほど、レイの顔色はよくなっている。それでも額に手を当てるとほのかな熱がてのひらに残った。昨日の夜は高熱を出していたのだ、ここで油断するわけにはいかない。
「食事をもってきますから待っててください」
「えぇ〜……一人で食べるの嫌やぁ」
「ダメですよ、無理をしてはいけません」
潤んだ瞳で見つめられたかと思えば、今度はシーツに顔を埋めて背中で抗議してくる。みんなのいる一階へ連れていってやりたかったが、ここは心を鬼にして扉を閉めた。
階段を降りると一階のキッチンから美味しそうな香りが漂ってきた。ミルダが朝食を準備しているようだ。パンの焼ける香ばしい匂いと、脂のはじける音で胃袋が騒ぎ始める。
「お、ユウナ。珍しく早起きだね」
「レイが起きたので、食事をもっていこうと思って」
「メシが食えるなら上々! ちょっと待ってな」
朝食ができあがるまでテーブルで待つことにした。席には既にシャウロが座っており、つややかに磨かれた彼の人形が「おはよ」と挨拶してきた。さすがにもう驚かない。今では日常の一部だ。
「昨日は散々だったわね、ユウナ」
「ネレアラがこんなところまで追いかけてくるとは……」
「安心して。あたしがボコボコにしておいたからしばらく大人しくしてるはずよ」
聞き間違いかと思い、目をしばたたかせた。ボコボコ?
シャウロはにこにこと笑いながら私に紅茶を差し出す。湯気とともに立ち上る上品な香り。手慣れた所作やこのカップの質に隠しきれないお金の匂いを感じる。
「あんたたち、あの後ほったらかしにしてたでしょ? 目を覚ましたネレアラがまたあんたのこと追いかけようとしてたから……こうよ」
シャウロが拳骨を落とす仕草をとる。戦いとしての魔法が使えないぶんを補うのか、それともただの趣味なのかシャウロの体つきは筋骨隆々だ。
鍛え上げられた筋肉と、しつこいネレアラの執念。どちらにも身震いしてしまう。
「色々とまずいのでは」
「大丈夫よぉ、あっちも正式な手続きで入国してなかったんだから! 領主様もノリノリだったし、公認よ♡」
ネレアラは一応あれでも王都の貴族令息だ。いくら非が彼にあるとはいえ、シャウロだけでなくセルヴィにも火の粉が飛んでくる可能性は十分にある。
みんなに迷惑がかからないだろうか。思い悩む私に気づいたのか、シャウロは軽くウインクしてみせた。その直後、玄関の扉が開く。
「お帰りなさい、領主様」
入ってきたのはセルヴィだった。シャウロは手早くポットを取り、腕をほぼ垂直に上げたまま湯を注ぎ始める。天井に届くほど高く掲げているのに一滴もこぼれない。
「どちらへ行っていたんです?」
「しばらく滞在させてほしいとハクオウ殿に相談をな。快諾していただいたよ」
レイは長いあいだ輝石病の熱と痛みに耐えてきた。野営続きで体力も落ちている今は、腰を落ち着けて焦らずに回復させる必要がある。セルヴィはそこまで見越して動いたのだろう。
「……どうした?」
席に着いたセルヴィをじっと見ていたらしく、何か言いたいことがあるのかと問いかけられてしまう。ネレアラの脅威から守ってくれた。そのお礼をまだ彼に伝えられていない。
「昨日はありがとうございました」
「礼などいらない。私もずっと気に食わないと思っていたからな」
シャウロが淹れた紅茶をセルヴィが口に運ぶ。薔薇の香りがふわりと漂った。私はどこかで同じ匂いを感じたことがある?
「社交の場でも君をずっと壁際に追いやって好き放題していただろう」
「……セルヴィ、私のことを知っていたんです?」
「参加している人間くらい把握しているよ」
王都の舞踏会だ。ネレアラが令嬢たちと踊り続けるあいだ、私は退屈すぎて壁際で紅茶を飲み比べていた。踊りもできないし、社交場にいる女性特有の探りを入れあうお喋りも得意ではなかったし。
そんな私に目を向けている人間がいるとはつゆ知らず、少し恥ずかしかった。
「あら。でも壁の花になってる子をずっと見てるなんて熱烈よねぇ、レイ?」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんのこと大好きなんやねぇ」
シャウロの戯言は聞き流すとして、問題はあの子の声がどこから聞こえたかだった。気のせいだと思いたかったがシャウロの膝の上にレイがちょこんと収まっている。
「「レイ!?」」
私とセルヴィの声が重なった。二階への階段に何度も目をやる。いつの間に部屋を抜け出してきたのか。まったく気づかなかった。
「お部屋で待っているはずでは」
「もう元気やもん! みんなと食べる!」
潑剌としたレイの声を聞いて、ミルダが朝食をテーブルに並べ始める。ざく切りの瑞々しいサラダに、肉厚のベーコントースト、湯気の立ったスープからは煮込まれた玉ねぎの甘い香りがした。
シャウロの膝から降りて、レイは自分の席につくなりカトラリーを両手に握りしめる。
「いいじゃないか、いっぱい食べて体力つけな!」
おあがりよ、とミルダがレイの背中を叩いた。魔石になっていた影響でぎこちない手つきながらも、止まらぬ勢いで食べ続ける。
お腹いっぱいになるまで食べてほしい。頬をふくらませてもぐもぐと咀嚼する様子を見て、そう願った。
「お姉ちゃんも食べなあかんで?」
「えっ」
フォークに刺した野菜を私の口元へぐいっと差し出してくる。はしたないかも、と思ったけれど身を乗り出して食べた。むふんとレイは満足そうに笑う。
だが、セルヴィは間髪入れずにちゃんとブロッコリーも食べなさい、と空になった皿へこんもりとした緑を追加した。雨に濡れた子犬のような顔で皿を見つめていたが、レイはしょもしょもと完食していた。
「さあ、食べたら大人しく休もうな」
「いーやーやぁー、ここにおりたいーっ。お姉ちゃぁん」
食事を終えるとセルヴィは軽々とレイを抱え上げた。私にしがみついていたが、抵抗虚しく二階へと連れて行かれる。元気になったら降りてきなさい、と階段をのぼっていく果ての国の領主は厳しかった。
「寝ーらーれーへーんっ」
やはり気になってしまって、様子を見に部屋を覗く。布団の上でジタバタと体を動かしているのが見えた。熱がまだ残っているはずなのに、今すぐ外へ飛び出しかねない勢いがある。探検に行きたいとレイは何度も訴えてきた。この辺りの風景を魔導カメラで撮りたいんだろう。
「ハクオウだ。ユウガオ、いるか?」
ゆっくりとしたノック音に、私は慌てて立ち上がった。「はい!」と答えて、扉を開ける。輝石をまとったハクオウが、何やら大きな荷物を抱えて廊下に静かに立っていた。
「しばらくここにいるのだろう?」
「ええ、あの子の体力が戻るまでお世話になります」
「おじいちゃん!」
その姿を認めた瞬間、レイはシーツを蹴飛ばして飛びついた。ハクオウはおお、とわずかにのけぞりながらもその衝撃を受け止める。
「気分がいいなら儂と遊んでくれんか?」
「遊びた〜い!」
「ふふ。そう言うと思ってな、たくさん遊び道具を用意したぞ」
ハクオウが抱えていた荷物を嬉しそうに揺らす。賑やかな声を聞きつけたのか、ミルダがひょこっと扉から顔を覗かせた。
「なんか楽しいことでもあったのかい?」
「今からな、おじいちゃんと遊ぶねん!」
「いいじゃないか! ウチも混ぜとくれよ!」
腕をまくるミルダにレイがわーいと万歳して喜ぶ。ハクオウが広げたのは見たこともない色鮮やかな盤面だった。
「ユウナも遊ぼうじゃないか!」
「えっ、でも。セルヴィにバレたら……」
「トクサなら気にせんでもいい。では、遊び方を説明するぞ」
三人に押し切られるようにして私も絨毯の上に腰を下ろした。広げられた日向かしの遊戯を前に、少し騒がしい午後が始まろうとしていた。




