第42話 再誕の桜茶 ④
なぜネレアラが。絶対ここにいるはずがないのに。後ろに一人、従者を引き連れている。にやにやとした笑みが肌に貼りついてくるみたいだ。
「ネレアラ、どうして?」
「俺、優しいから迎えにきてあげたんじゃーん」
王都からわざわざ追ってきたと言うのか。一歩後ずさると、ネレアラの笑みがいっそう深まった。逃げ場を探して目を走らせても、足が動かない。逃げても逃げても影のように追ってくる。
「誰も頼んでなんかいません!」
「ここまで来るの、超大変だったんだからねぇ。さ、帰るよ」
伸びてくる腕が恐ろしくて、ひっと短い悲鳴を上げて俯いた。すると目の前に影がさす。これまで何度も私を守ってくれたセルヴィの背中が目の前にあった。彼が私とネレアラの間に立ちはだかってくれていた。
「マルシャート伯爵、お久しゅうございます。昨年の豊穣祭以来ですかな」
「……そうだったっけぇ?」
セルヴィの挨拶もろくに返さず、ネレアラは視線を彷徨わせていた。普段の余裕が消え、落ち着きがない。対してセルヴィは礼節を崩さず、背筋を伸ばして私を庇うように立ってくれている。
そうだ、この人は辺境伯だったなと今さら思い出した。同じ貴族なのに、ネレアラとここまで違うのか。
「遠路はるばる果ての地まで、どういったご用件で?」
「婚約者を迎えにきただけだよ」
ネレアラは珍しく真剣に答えていた。セルヴィは口元に優雅な微笑を浮かべ、喉の奥でくっくっと音を立てる。大人の、貴族としての余裕がそこにはあった。
「ご冗談を! あなたの婚約者などここにはおりません」
「はぁ!? ユウナは俺の──」
私たちはまだ婚約している。王都で会った時にも言っていたが、私とネレアラの父がそんな手抜かりをするだろうか。彼の言葉を最後まで言わせまいと、セルヴィはピシャリと遮る。
「フォリオ子爵は正式に手続きを済ませていらっしゃる。嘘はよろしくないな、マルシャート伯爵」
ネレアラは反論するかと思いきや、開いた口を閉じた。その沈黙がすべてを肯定している。私に嘘をついていたということ?
ネレアラの嘘に踊らされてビクビクしていた自分が馬鹿みたいだ。大体、婚約を破棄していないなんて嘘に何の意味がある。
「彼女の魔力が惜しくなりましたか? 王都で貴族として生きていくには高度な魔法技術が必要ですからな」
「没落した辺境伯が調子に乗ってんなよ……」
「返す言葉もない。だがマルシャート家の嫡男でもない、三男である貴方に何ができるというのです」
失礼、魔力もありませんでしたな、とセルヴィは大袈裟に肩をすくめた。いつもより饒舌で、どこか楽しんでいる節さえある。侮辱を受けても眉一つ動かさず、むしろ理詰めで煽りネレアラの虚勢を打ち砕いていた。彼と口喧嘩だけはするまい。
「ユウナはもうこの国の人間だ。領民を守るのは領主である私の務め……悪いがお引き取り願おう」
この国に帰りたいと望み、みんなとこの国で生きたいと願っていたけれど、すでにセルヴィは認めてくれていたのだ──私を果ての国に生きる人間として。
彼の言葉でネレアラへの恐怖が少しずつ薄れていく。
「お前の意見とかどーでもいいから! 早く来いって、ユウナ!」
わがままが通らない子どもみたいにネレアラは喚き散らしていた。馬鹿馬鹿しい、もう付き合っていられない。私は魔力を練り上げて睨み続けた。いつもとは違う私の様子に彼はたじろいでいる。
「嫌や……いかんとって、お姉ちゃん」
怯えているレイを見つけると、ネレアラがにたりと笑った。自分より弱いものをすぐに探し出して痛めつける、あの醜悪な目。それは何度も私に向けられてきたものだった。
やめてよ、これ以上レイを傷つけないで。
「そのガキのこと気にしてんのぉ? もう手遅れだよ、そいつは」
ああ、もう──!
「五月蝿い!!」
生まれてはじめてだった。ここまで声を荒げたのは。十歳のときに婚約した彼と出会って七年。蔑まれ、貶められ、見下げられた七年分の怒りをその一声に込めた。
「あなたに言われなくてもわかっています、何もかも……私は帰りません! 王都にも、あなたのところにだって!」
抑えつけていた思いが一気に噴き上がる。無力さも、罪悪感も、惨めさも、今の私を作り上げている全てを、お前になど絶対やるものか。
譲れない思いは口に出さなければ。空気をありったけ吸い込んで、吸い込んで、叫ぶ!
「私、私は! 果ての国のユウナです!」
肺が痛い。怒鳴ることに慣れていないせいで苦しい。そんな私の背に軽い衝撃がぽんと走った。セルヴィが息の拍子を合わせてリズムよく叩いてくれる。
「ユウナ、君は強いんだ。元婚約者殿にお見舞いしてやるといい」
キミの本気を見せてこいと、彼は笑って私を押し出した。右手に力を込めると熱を帯びる。淡く光るサクラとは違い、拳には鋭い閃光が纏った。地面を蹴る足に力が入り、電光石火でネレアラの間合いへ踏み込む。
「二度と、そのへらへらした顔、見せないで!!」
渾身の右ストレートは風を切り、従者が反応するより早く標的へ届く。水の魔法を使うネレアラを相手にするなら初撃で気絶させるしかない。拳がネレアラの頬にぶつかる。確かな手応えとともにバチンと雷が弾けた。七年分の怒りを込めた一撃。
彼が欲しかったのは私じゃない。私の魔力とそれを手懐けた実績だ。だから私が逆らわないように、自分より下だと徹底的に教え込んできたんだろう。
ネレアラと従者──巻き込まれた従者には悪いが──が同時に崩れ落ちる。右手に帯電しているパチパチという音と、セルヴィの腑抜けた拍手の音が重なった。自分はこうはなるまいとか思っている顔だ、あれは。
「レイ」
一呼吸置いて、その名前を呼んで私は振り返る。サクラの花びらが自分の白金の髪にひっついて仕方がなかった。
妙にすっきりした気分だ。これまで見ないふりをしていたことにも向き合えそうだった。だからもう私から、言ってあげないと。
「輝石病にかかっていますよね」




