第41話 再誕の桜茶 ③
光の粒に導かれて薄桃色の並木道を進んでいく。前方に人影が見えてきた。サクラの花びらが淡い光を纏ったまま降り注ぐ。その中で華奢な男性が鼻歌を歌っていた。
私は知らない間に寝てしまったのだろうか。まるで夢の中にいるみたいだ。
「花明かり、か。風流やな」
「レイ……?」
彼が振り返ると髪がふわりと揺れた。綿毛のように柔らかいであろう黒い髪。濃くて艶のある紫紺の瞳に、成長したレイがそこにいるのだと錯覚してしまった。
「こうやってお話するの、初めてやね? いつもレイがお世話になってます」
「トクサさん、です?」
「月も出てきたし、お花見しましょか」
空を仰いでも雲が厚く垂れ込めて月の欠片も見えない。怪訝な顔をしている私を見て、彼はころころとお腹を抱えて笑っていた。キミやキミ、と人差し指を向けてくる。
「たくさんの子に囲まれてるやん。星に照らされる、お月さんみたいやんね」
トクサの口調はレイと比べてゆったりしていた。聞いていると安心するが、眠ってしまいそうだ。彼が草の上に腰を下ろしたので、私も隣に座る。
「オハナミにはオベントウがいるとレイは言っていましたが」
「大人は酒とつまみがあればええんやけどな。花より団子や」
「お酒、ですか」
酒と聞いても昔のように心躍らない自分に気づく。日向かしの料理をたくさん作ってくれたレイ。食べたい──生きたい──と思わせてくれた彼との日々が、いつの間にか私の中心になっていた。
「ようここまで来たね。しんどかったやろ?」
「いえ、そんなことは……」
「謙遜せんでええよ。ボクは石やったけど、キミの旅ご一緒させてもろてたから」
手の甲にヒラと花びらが落ちてくる。私の旅はもうすぐ終わる。アネモネの泉が実在するのかどうか、わからないまま。それが今もずっと引っかかっている。
「いけるいける、ちゃんとあるよ」
「え?」
「アネモネの泉。この桜並木、超えた先にあるわ」
なぜ知っているのか、本当にそこにあるのか。けれどあまりにも当然のように告げられ、疑う余地すら見つからない。
耳を澄ませば、確かに水の気配が漂っていた。ここまで来て、トクサが嘘を言うはずがない。遠くに感じる微かな水音が希望の証のように思えた。
「ほ、本当に……!? 私、レイとの約束を守れ──」
言葉が最後まで出てこない。喜びで飛び上がりそうになるのをかろうじて抑えても、視界がじんわりと滲んだ。
だが私の昂ぶりとは裏腹にトクサの表情は無そのものだった。喜びも何もない。ただアネモネの泉へ続く道をじっと見ている。
「トクサさんも」
その無表情が急に怖くなった。ハクオウの言葉が蘇る。レイと生きることを選んでくれた、と。トクサは選んでいない可能性もあるということではないか?
「レイと生きたいって思っていますよね」
セルヴィの幻影に現れた父親の面影が重なり、私は必死に確認した。トクサもレイと共に生きることを、望んでいなかったとしたら。疑念に呑まれそうになりながら彼の返事を待つ。
「気にしてはるん? 狸親父の言ってたこと」
「狸親父って……ハクオウさんのことです?」
「もう狸親父やのうて狸ジジイのが合ってんなぁ」
トクサの顔がぱっと明るくなった。さっきまでの表情が嘘のように、けらけらと笑い声を上げる。なんだ、気のせいか。考えすぎていた自分が恥ずかしい。
「なんも悩まんでええよ。今まで頑張ってくれてたやん」
「そうですよね……ここまで来たんです。必ずアネモネの泉に行ってみせます」
「レイを連れてったってな」
時間があんまないから、という言葉を最後に、彼の体が淡い光を帯び始めた。輪郭が揺らいで光がサクラの花びらに変わっていく。消えゆく中で、紫紺の瞳はまっすぐに私を捉えていた。
「頼むで」
私も力強くうなずく。光が完全に消えたあと、そこにはサクラの花びらが積もっていた。風が吹くたびに花びらが舞い上がり、彼がそこにいた名残がまだ漂っているようだった。
泉は伝説なんかじゃない。希望は、本物だった!
セルヴィが私の名を呼びながら近づいてきている。気づけば勢い余って彼に飛びついていた。体中からあふれてくる嬉しさが抑えきれず、誰かに伝えずにいられない!
セルヴィは身を引きかけたが、すぐに私の肩を抱いて受け止めてくれた。
「君はまた勝手に」
「セルヴィ、それよりも聞いてください! あるんです、アネモネの泉が──この先に! 今から見に行きませんか!?」
「もう深夜だぞ。しかも、どうしてわかるんだ」
「教えてもらったんです! トクサさんに」
「……ユウナ、夢でも見ていたんじゃないか?」
信じていないな。むっとしていると足元で影がもぞりと動いた。見下ろすと、レイが眠気に目をこすりながら立っている。疲れきって眠っていたはずなのに。
「レイ? 起きたんです?」
森を歩いているときと顔色は変わっていなかった。よくなっていない。起きたら私たちがいなかったから、びっくりさせてしまったのだろう。不安を和らげてあげようとレイの頭に手を伸ばしたら、またさっと距離をとられてしまった。
「目が覚めてしまったみたいでな。一緒に君を追いかけてきたんだ」
レイは視線を上げたり下げたりしながら何かを言おうとしていた。言いづらい内容なのか、口をもごもごさせている。
朝のことをまだ怒っているのだとしたら、どう謝ればいいのか。激写されて恥ずかしいからと大人げないことをした。セルヴィに偉そうなことを言えない。
「お姉ちゃん、あのな、僕な」
レイがようやく言葉を紡ごうとしたその瞬間、森の奥から間延びした声が響いてくる。このタイミングの悪さ。まさかこんな場所で、再びこの声を聞くなんて。
「ユウナ、見ーつけた!」




