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第40話 再誕の桜茶 ②

「レイを知っているのか、ご老人」


 セルヴィは声をかけて、一歩踏み出しかけた老人の動きを封じる。彼の背中越しに、老人の白く濁った双眸がこちらへ向けられるのを見た。ずっと探し求めていた存在に巡り会えたという歓喜が満ちている。


「当たり前だろう。トクサ、お前によく似ている」


 老人は動じることはなかった。まるで親子のような気やすさで、知らぬ名を呼ぶ。


「ご老人、誰かと勘違いしておられないか? 私はオブセルヴィだ。オブセルヴィ・ランテルノ」

「減らず口はまだ健在だな。目は見えずとも魔力でわかる」


 セルヴィが名乗り直しても老人は気にもしない。老人の瞳はセルヴィを捉えているが、映しているのは別の誰かだ。セルヴィは釈然としない様子で顎に手を当てている。


「レイはあの人のこと知ってるの?」


 私たちの背後ではミルダとシャウロがレイを守る形で立っていた。レイは本当に何も知らないのか、きょとんとしている。


「ううん、知らん。でも、トクサは僕のお父さんの名前やで」

「お父さんだって? じゃあ、お母さんは?」

「わからへん。会ったことないもん」


 老人が踏み出した瞬間、輝石に覆われた脚がかくりと折れた。倒れ込むというより、崩れ落ちるという表現が相応しい。私は止めるセルヴィの声も聞かずに駆け寄る。


「お怪我は?」

「ああ、問題ない」


 私はその場に膝をつき、老人の体を支えて寄り添った。老人は顔を上げる。皺の重なった目元が細められ、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 彼の大きな手がそっと私の頭に触れた。撫でられている——ゆっくりと、慈しむ手つきで。レイを撫でることはあっても、自分が撫でられるなんて予想することができなかった。


「ユウガオ。村八分にされ、難産だったろうに……よく頑張ってくれた」


 ──違います。私はユウナで、ユウガオではないんです。

 その言葉は言えなかった。手を払いのけることもできなかった。彼の目に見覚えがあったから。

 絶縁を言い渡され、フォリオ家ではなくなったあの日。父も同じ瞳で私を見ていた。そのことを思い出してしまって、不覚にもつんと鼻が痛くなってしまう。


「レイ、儂に顔を見せてくれんか」

「……なんで僕の名前知ってるん?」


 レイはシャウロの後ろに半分隠れて、老人を窺っている。自分と自分の父の名前を知っている人間を警戒しているのだろう。老人は彼に安心してもらうために名乗りをあげた。


「儂はトクサの父、ハクオウ。お前の祖父だ」


 祖父、と聞いてもレイは意味をわかっていなかった。ぽかんと口を開けたまま瞬きをしている。察したミルダが分かりやすく言い換えた。


「アンタのおじいちゃん、ってことだよ」

「そうなん!?」


 レイは目をまんまるにして声を裏返らせている。父以外の家族を知らないレイにとって凄まじい衝撃だったのだろう。表情がくるくると変わっていった。

 好奇心が勝ってきたのか、レイは一歩、また一歩とはじめて会う祖父へと近づいていく。ハクオウはその小さな歩みを宝物みたいに眺めていた。


「近づいちゃダメよ!」


 レイがハクオウのすぐ近くに辿り着こうとした時、はっとしてシャウロが叫んだ。体中が輝石となっている人間に、レイが近づいたらどうなるか分かりきっている。

 ハクオウはシャウロの叫びにも表情を変えず、むしろレイを気遣う私たちを好ましく感じていた。


「安心してくれ。ここにいる限り、輝石病がうつることはない」


 ハクオウは断言した。その場にいる誰もを納得させる、そんな言い方だった。ハクオウは輝石に覆われていない方の手でレイの顔を触る。孫の顔を確かめるために。


「無様に生きながらえて……よかったと思う日が来るとは……」


 おじいちゃん、と呼ぶ声に、目を潤ませながら小さい体を引き寄せた。




「皆、疲れているだろう。儂についてきなさい」


 案内されたのは森の奥、獣道さえ外れた静かな一角だった。木を組んで作られた家がぽつんと佇んでいる。

 セルヴィの腕の中で眠るレイ。とうに疲れで限界を迎えた彼を、ミルダとシャウロに任せることになった。ハクオウに呼ばれていた私とセルヴィはともに客間に残る。


「これは竜、か?」


 ハクオウの周囲には白い竜たちが飛び回っていた。手のひらにちょうど収まるほどの大きさで、以前戦った個体とは比べるべくもない。彼らは忙しなく飲み物を運んだり部屋を整えたりしながら、この家の守り神として動き回っている。


「か、可愛いですね……」

「儂の式神だ。森に誰も立ち入らせないようにするためのな」


 一匹が私の肩に舞い降り、じっとこちらを見つめてきた。人差し指で撫でると、くすぐったそうに喉を鳴らす。愛らしい白い生き物からは澄んだ魔力の気配がした。

 竜と戦った時に感じた魔力はハクオウのものだったのかと腑に落ちた。召喚獣として彼らをここまで使役できるなんて。ただ者ではない。


「霧だけでなく竜まで調伏されたときは驚いたが、お前たちなら納得だ」


 竜が淹れたてのお茶を用意してくれた。湯気の立つ茶器を両手で包む。深い緑色に少し躊躇したが、ハクオウを思わせる穏やかな香りがした。口に含むと淡い苦みがあったが、飲みやすかった。

 隣でセルヴィは渋みで顔をしかめていた。砂糖がほしいな、と小声で呟いている。


「ハクオウ殿はなぜこのようなところに?」


 ハクオウは茶器を置いて、私とセルヴィを順に見つめる。


「お前たちに会いたかった」


 その瞳は私たちを通り抜けて、レイの父親と母親を重ねているのだろう。茶の水面がかすかに揺れるなか、ハクオウはぽつぽつと語り始めた。


「腹に宿ったのが里を滅ぼす忌み子だと知るや否や、里長は儂にユウガオを殺すよう命じた」

「里を滅ぼす? レイが?」

「里の掟は絶対だ。しかし、臆病な儂は息子の嫁を……ユウガオを殺すことなんぞできんかった」


 ハクオウは静かに首を振り、深く刻まれた皺の奥にある目を閉じた。

 忌み子。はじめてレイと会った日、彼自身がそう言っていたが本気にしていなかった。いまでも信じられない。レイの魔力は弱く、生活魔法がやっと。ネレアラと対峙したとき、黄金色に瞳が変わったことを思い返しても滅ぼす者の片鱗など見えなかった。


「この国に流れ着いたとき儂は死にかけていてな。命を助けてもらった領主の下で働くことになった。恩に報いるため、必死で研究したものだ」


 ハクオウの言う助けてもらった領主が自分の父であることを、セルヴィはすぐに理解していた。


「それは、まさか」

「魔石を人工的に生み出す試みだ」


 魔石は自然に生まれる。魔力の濃い土地で、気の遠くなる年月をかけて結晶化するのだ。短くて数百年、質の高いものなら数千年もかかる。長い年月をかけて生まれた魔石は人に害を与えない。

 その摂理を超えて魔石を作り出すことに成功した果ての国は栄光を手にした。その第一人者が目の前にいるとは。


「研究途中で不治の病、今でいう輝石病が生まれてしまった。それでも研究が中止されることはなく……」


 当然だ、人々は魔導具がなければもう生きていけない。彼は研究者として、人々の暮らしを良くしたいと願い続けていたのだろう。実際、その研究は多くの魔導具を生み出した。

 しかし、摂理をねじ曲げて作られた人工魔石はバーナルリーモに滅びをもたらすことになる。


「治す術も見つけられず、そうしてまた儂は逃げた。潔く腹を切らねばならないと何度も思ったが──出来なんだ」


 吐き出された言葉には、長い年月をかけても風化されなかった悔恨が滲んでいた。


「生きていれば、お前たちに一目会えるのではないかと……」


 声は震えて、後に続かなかった。涙をこらえているのがわかった。再会の望みだけが、彼の長い孤独を支えていたのだ。

 皺だらけで輝石に変わりつつある手が、私とセルヴィの手を包み込む。


「レイと共に生きることを選んでくれたのだろう? トクサ、そしてユウガオ。ありがとう、こんなに嬉しいことはない……ありがとう」


 セルヴィは何も言えなかった。私も、言葉が出てこなかった。聞きたいことは山ほどあったのに、今はハクオウの冷たい手を自分たちの手で温めてやりたかった。




「おやすみ、ゆっくり休んでおくれ」


 話が終わると、私たちは家の外へ案内された。なぜ外なのか、と思っているとやや荒れてはいるが離れのような小さな建物が見える。

 ……そういえば、私たちは夫婦と思われていたのだ。ハクオウの誤解を正すタイミングを完全に逃してしまった。セルヴィと私は顔を見合わせ、揃って遠い目をするしかなかった。


「私は椅子で眠るから、ユウナがベッドを使ってくれ」


 気まずさを誤魔化すために彼が先を促す。離れに足を踏み入れた途端、今日の疲れがどっと押し寄せてくる。あまりにも多くのことが起こりすぎた。アネモネの泉は果たして見つかるのだろうか。不安だけが頭を巡るので、とにかく休もうとベッドに近づく。


「えっ」


 腰にかけたポーチが淡く光り始めた。魔石が熱を持って輝き始めたのだ。この魔石はレイの父親のもの。

 光は溢れ出し、私の周りをくるくると回ると、扉をすり抜けて一直線に飛び出していった。


「待って、待ってください!」

「ユウナ!?」


 セルヴィが呼び止める叫びを背中で聞きながら飛び出す。光はまるで私を導いているようだった。

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