第39話 再誕の桜茶 ①
ただでは転ばない。それが私、元子爵令嬢ユウナ・フォリオの信条だ。セルヴィは今までにないくらい取り乱している。彼が寝てる間に私は計画を完遂したのだ。シャウロに彼を抱きしめて眠ってもらう。よしよし添い寝作戦、成功である。
「ユウナ、もう昼になっちゃうわよ」
ちょ、うるさい、静かにして。これは昨日の報い。普段は冷静なセルヴィが焦っている姿ほど、見ていて愉快なものはない。どれほど抗おうと、シャウロの豪腕からは逃れられないのだ。
涙目で助けを求めてくる彼に、愉悦に満ちた笑みが止められない。助けてほしければ、まずは没収したお酒とスパイスを返すこと。それから旅が終わったら私とレイの家を──。
「この寝坊助! とっとと起きなさい!」
痛い。私は寝袋ごと地面へ転がされていた。
「……あれ? シャウロ、セルヴィに添い寝してくれてたんじゃ」
ごしごしと開ききっていない目をこする。動転して私に許しを乞うセルヴィの姿はどこにもなかった。さっきまで確かにいたのに!
「なんの冗談? あたしが領主様にそんなことするわけないでしょ」
「まさか、全部夢……!? 最高の意趣返しができたと思ったのに……!」
シャウロは眉根を寄せていた。私の寝袋の端がさらに引っ張られる。もう一度目を閉じれば続きが見られるかもしれないという妄想が彼の腕力の前にあっさり砕け散っていく。
私は寝袋にしがみついたまま、地面をずるずると引きずられた。
「ほんとに朝が弱いのね」
「うぅぅ……アベロの寝袋がふかふかすぎるのが悪いんです」
私は寝袋を胸に抱きしめながら責任転嫁する。アベロがくれた寝袋は果ての国の夜に負けない暖かさと柔らかさだ。一度くるまると二度と目を開けたくなくなる。
「アベロ? あいつまだ生きてんの?」
アベロの名を聞くと、シャウロの顔があからさまに歪んだ。キッチンでカサカサと動く黒い虫を見つけたときの顔だ。
「お知り合いなんです?」
「名前で察してちょうだいよ……不本意ながら兄なの、あたしの」
あまりの衝撃に膝の力が抜けそうになった。シャウロの兄がアベロ!?
まさか二人が血を分けた兄弟だなんて、誰が予想できただろう。きっとセルヴィだって気づいていないはずだ。
「兄弟は意外すぎます……」
「本気で殴りあうくらいには仲悪いからね」
まじまじとシャウロの顔を見つめても共通点などない。アベロはオレンジの髪が人目を引いた。一方でシャウロの髪は虹色に染まり、化粧は濃く、服の系統も、まとう雰囲気も何もかもが違う。体格だけはわずかに似ていると思ったが、シャウロの方が一回り大きい気もする。どちらにせよ信じられなかった。
「おーい、ユウナ! 起きたなら早く準備しな!」
シャウロは渋い顔のままミルダたちのもとへ歩いていく。私も慌てて後を追った。
「お姉ちゃん、おはよう。よう寝てたなぁ」
「前人未到の地に挑むってのに、ずいぶん余裕な朝だね」
レイの天真爛漫な笑顔とミルダの皮肉が同時に飛んでくる。私はハハ、と濁すしかなかった。
セルヴィに仕返しをする夢を見て楽しんでいました、なんて口が裂けても言えない。急いで髪を整え、荷物を確認する。レイの父親の魔石だけは忘れてはいけない。
セルヴィも黙々と自分の荷物を点検していた。目は口ほどに物を言う。もっと緊張感を持てという声が聞こえてくるようだった。
「いい夢を見ていたんだな」
「え、えぇ、まあ」
「酒とスパイスは返さないからな」
「……!?」
「旅が終わったら君とレイの家を、どうしたらいいんだ? なんなら私の屋敷で暮らしても構わないが」
夢の内容を全て知られてしまっている。寝言で全部喋ってたぞ、と彼はにんまり余裕に満ちた笑みで種明かしをしてくる。腹立たしい、夢の中では私が主導権を握ってたのに!
「お姉ちゃん! 僕なぁ、お姉ちゃん起きるの待ってる間に魔導カメラの練習しててんで」
年甲斐もなく地団駄を踏んでいると、レイが横から自慢げに写真を見せてくれる。上手になったやろ、という彼の声は耳に届かなかった。固まることしかできない。
そこに並んでいたのは私の寝顔だ。半目のもの、口元によだれの光るもの、寝袋から半身が飛び出しているものまである。
レイに悪意がないのはわかっているが、なんてものを撮っているんだ!
「こら、レイ! それ全部没収です!」
「お姉ちゃん、なんで怒ってるん!? ご、ご、ごめんなさ〜い!」
写真を抱えて逃げ出したレイを、私は怒りに任せて追いかけた。白の森へ飛び込んでいくレイと私。見守るセルヴィたちの目は呆れ返っていた。
記憶の中の白の森は霧の迷宮だった。だが今は足元に木漏れ日が斑模様を作り出している。同じ場所だと言われても信じられない。木々のみずみずしさで空気がとても澄んでいた。
「霧が晴れているな」
「以前に来たときと、景色が違いますね……」
周りを見渡していると、レイが静かなことに気づく。顔色が優れないように見えた。歩幅も心なしか小さくなっている。
「レイ? 抱っこしましょうか?」
「ううん、いける」
手が届く前に、レイがびくりと身をすくめてスススと離れていった。静かな拒絶は心にくるものがある。やはりさっき追いかけ回したせいだ。
「ここらへんはシャウロの人形が落ちた崖じゃなかったかい? 竜の根城がまるごと無くなっちまってるよ」
セルヴィと共に崖へ落ち、竜と死にものぐるいで渡り合った。竜が倒れたあと空から舞い降りてきた見たこともない薄い桃色の花。あの幻想的な花びらのシャワーの中でセルヴィはシャウロの人形を拾い上げていた。
「シャウロ、その人形を……そんなに大切にしているのはどうしてなんです?」
「あら、ユウナ。聞いてくれるの?」
シャウロはけたけたと笑った。人形を胸に抱き寄せ、そっと撫でる。
あんたの声を聞きたいの──シャウロは私にそう言ってくれた。だから私も彼のことを聞きたい。人形を通してしか言葉を紡げない理由を。
「この人形は愛しのハニーがお腹の赤ちゃんのために作ったものなの。家族がいなくなってからあたし、声が出なくなっちゃって。魔法でなんとかしてんのよ」
「お二人とも輝石病で……?」
「何度もあたしの故郷で暮らそうって言ったのに、ハニーは強情でね。彼女と赤ちゃんの魔石は領主様が全部もっていっちゃったから、残ったのはこれだけ」
さっとセルヴィの顔色が変わる。領主として魔石を回収しなければならなかった。この国で彼にしかできない役目だ。それがどれほど残酷な行為だったかも、自身が一番知っている。
セルヴィの開きかけた口をシャウロが人差し指一本で制した。
「あの子は果ての国を愛してた。だから謝らないでね」
「ウチだっておんなじさ。なんもなくったって、この国にいたいんだよ」
領主としてセルヴィは魔石と孤独に向き合い続け、一度も逃げなかった。だから、人々は果ての国を愛している。先代の過ちすら飲み込んで、それでもこの国の未来を信じている。
「……ああ。ありがとう、二人とも」
滅びが残された国で生きていくことを望む民がいる。彼らの想いを背負うセルヴィは立ち止まれない。私もレイとの約束を守るために彼と共に進む。
「行きましょう、セルヴィ」
白い森の奥へ続く道を見つめた。その先に必ず希望があると信じて。
かつて足を踏み入れた時よりも、さらに深く私たちは森の奥へと踏み込んでいく。警戒しながら進む私たちの視界がぱっと開けた。
吹雪のように花びらが舞っている。白と薄桃色が混ざり合い、視界をまるごと覆い尽くしていた。あまりの美しさにぞっとする。
「な、なんだい、こりゃあ!?」
「これは、竜の体から出てきた花と同じものです!」
セルヴィと私は同時に身構えた。これだけの花が散っているなら竜が近くにいる可能性がある。だが、あのときの体を押しつぶす魔力は感じられなかった。
風に運ばれる花びらが舞い落ちる。どこか懐かしい甘い香りを漂わせて。
「桜やぁ!」
レイが得体の知れない花の咲く木に近づいていく。手を伸ばし、舞う花びらを追いかけていた。
「サクラ? レイ、この花のことを知っているんです?」
「日向かしの国でな、春にいっぱい咲くねん! この木の下でお弁当食べて、お花見するんやで」
「その植物がなぜ果ての国に……?」
セルヴィが眉根を寄せた。確かに不自然だ。頭の中で疑問を渦巻かせていると、花びらの幕の奥で影が動いた。
しわがれた声が知らない名を呼んでいた。それなのに白んだ目はどういうわけか私たちへ向けられている。
「トクサ! ユウガオ!」
生きている喜びを歌っているように落ちる花びら。その向こうから、物へと変わりつつある生ける異形が這い出てきた。
──輝石病!?
引きずって歩いてくる老人の右半身は、完全に生気を失った石の塊だ。それだけの石に侵されて動けるはずがないのに、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「まさか、レイなのか……!?」
老人はレイの名を呼んだ。よく見れば輝石の下から見える衣服は日向かしの国のものだ。名前を呼んだことといい、偶然とは思えない。
私は反射的にレイの前へ出た。




