第36話 本音のみたらし団子 ⑤
「ユウナ! レイ! 二人とも無事……ではないな!?」
勝手に流れていく涙はそのままにするしかなかった。私の腕の中でレイがまだ泣きじゃくっていたから。前につんのめりそうになりながら駆け寄ってくるセルヴィを、私はぼんやりと見つめた。
ああ、やっと帰ってこられたんだ。果ての国に。王都にいたのはたった半日なのに、もう何日も経った気がする。
「とにかく落ち着いて、深く息を吸うんだ」
セルヴィの両手が右往左往していた。なだめる言葉を見つけられないまま、遠慮がちに私とレイへ手を伸ばす。大きな手で背中をさすられるたびに安心できた。
「あらん? あたしのことは心配してくれないの、領主様」
「シャウロ、君というやつは」
「無事に帰ってきたんだからいいじゃないのよ」
「よくない! 二人に何かあればどうするつもりだったんだ!!」
よせばいいのに、シャウロはあえて憎まれ口を叩く。そのせいでセルヴィは鬼気迫る形相で彼に掴みかかった。シャウロの方がセルヴィより大きい。しかし、体格差など関係ないとばかりにセルヴィはぐいぐいと胸ぐらを締め上げる。
いつもは呆れ半分に小言を言っている彼のこれほどの剣幕は見たことがなかった。対するシャウロはセルヴィから顔を逸らし、小指で耳の穴をほじっている。
「ましてや、王都に行くなど! ユウナがどんな思いで」
「セルヴィ! 私は大丈夫ですから……」
止まらないセルヴィにたまらず声をかけた。はっと彼は動きを止める。シャウロの胸元を掴む手を離し、自分で自分の憤怒を引かせて深呼吸していた。
「アンタが落ち着きなよ、セルヴィ。心配だったのは分かるけどさ」
やれやれと手をぶらりと振りながら、ミルダが割って入る。果ての国に残っていた二人は朝と比べてずいぶんくたびれて見えた。ミルダが私の耳元に顔を寄せ、セルヴィに聞こえないように囁く。
「二人がいない間、大変だったんだよ。やれユウナはいつ帰るだの、レイが泣いてるかもしれないだの。相手したウチを褒めて欲しいよ」
「セルヴィが……?」
私は思わず聞き返していた。小言は日常茶飯事でも、あの人が純粋な心配をレイだけでなく私にまで向けてくれていたなんて。
「聞こえているぞ、ミルダ」
「ひょえぇ! 地獄耳ぃ」
やっぱりうまく想像できなかった。
「お姉ちゃん。いっぱい泣いたらお腹空いたなぁ」
「そうですね、何か食べましょうか」
レイの頭に手を乗せると、柔らかい黒髪が指の間をすり抜ける。涙の跡を頬に残したまま、やっと笑ってくれた。きっと果ての国に戻ってきて彼も落ち着いたのだろう。
「お姉ちゃんと約束してた甘いもん、作らな!」
「お? 手伝うよ、今度はなに作るんだい?」
レイは腕を高く突き上げ、決めポーズを作った。
「甘いもん苦手でも食べれるおやつ……みたらし団子や!」
その堂々とした姿にミルダが「おおーっ」と大げさな拍手を送る。甘いものが苦手な私のために作ってくれる彼の思いやりが嬉しかった。
私もセルヴィもさっそく料理の準備をするレイのそばに自然と足が向く。
「ユウナ」
私は肩をそっと押さえられた。私には他にすることがあるだろうと、シャウロは目で訴えかけてくる。
──ちゃんと言いなさい。
セルヴィに言わなければいけないことがある。今の私なら伝えられるだろうか。記憶の中のネレアラがいつまでも私を追ってきていた。お前の考えなど聞く価値はないという冷笑。
セルヴィはきっと違う。いままで私の前に立ち、守り続けてくれた背中を信じないと。
「セルヴィ。話が、あるんです」
「ああ、聞こう。どうした?」
「こ、ここでは話せないんです。ついてきてもらえます?」
「……私は構わないが」
ぐさぐさと視線が背中に刺さってくる。これは小首をかしげているセルヴィのものじゃない。にやにやと口を歪め、完全に恋愛沙汰だと勘違いしているミルダのものだ。彼女はすぐにそういう方向に持っていこうとする。
今は誤解を解く間も惜しい。私は半ば強引にセルヴィの手を取って引っ張る。収拾がつかなくなる前にこの場を離れなければ。
「えっ!? これはもしかして、もしかする……って、あだっ!!」
振り返ると、ミルダが頭を押さえてうずくまっている。私たちを追いかけてきていたはずの彼女から、鈍い音が聞こえたかと思うとこの状態だ。横にいるシャウロを見るに、彼女の頭には拳骨でも落ちたのだろう。デコピンでもあの威力なのだから相当の痛さだろう……同情はしないけれど。
「ミルダ、邪魔すんじゃないの。さ、レイ? 準備手伝うわよ〜ん」
シャウロはレイが私たちの不在に気づかせないために、その意識を逸らすようにさりげなく動いていた。
王都とは違う、果ての国の冷えた風が枝葉をさらさらと揺らす。白の森の入り口付近にある大きな木の影で、私はセルヴィと話すことにした。
誰もついてきていないだろうか。特にレイに聞かれることだけは避けたかった。
「話とは何だろうか」
「えっ、と、その」
いざ口を開こうとすると、人形を失ったときのシャウロと同じ息しか漏れてこない。目の前が遠くなる緊張に襲われ、勝手に地面へ滑り落ちていく。自分の思いを声に出すことが、まだこんなにも難しい。
聞いてもらえなかったら? 拒絶されたら?
そんなもしもばかりが頭を埋め尽くし、声が潰されていく。「ユウナ」と名前を呼ばれた気がして、顔を上げた。セルヴィのシルバーの瞳と私のアンバーの瞳が交わる。
「焦らなくていい。ゆっくり話してくれ」
彼は待っていてくれる。私が話せるまで、多分ずっと待ち続けてくれる。ちゃんと言わなければ。旅に出る前、彼の屋敷で自分の覚悟を打ち明けたあのときのように。
私は胸に手を当て、乱れた呼吸をゆっくりと整えた。底に沈んだちっぽけな勇気を組み上げて、唇を開く。
「旅、のことなんですが。引き返したくないんです」
「……理由を聞かせてもらえるだろうか。君は今の状況をきちんと理解している。その上で、なんだろう?」
セルヴィは私が言いたいことを、もう察しているのかもしれない。それでも私の言葉そのものを待ってくれている。
「レイの手のひらが、少し前から上手く動かなくなってて」
スキヤキを食べた夜の記憶が思い起こされる。鍋を囲んで笑い合っていたとき、レイの手をマッサージした感触。指の腹に伝わってきた、石のように固いこわばり。
弟が輝石病を発症したときとまったく同じだった。リムの手が固くなってから、病が発症するまではたった数週間しかなかった。
「輝石病、かもしれなくて……そうだとしたら、時間が。もう、時間が残されて、いないんです」
また目に水が集まってきている。頭が重くて、痛い。今日は何度、涙を流しているか知れない。
また大切なものを失うかもしれなくて、怖くて、息が止まりそうで。それでも、前に進みたかった。たとえ進むことが間違っていても、引き返して後悔だけはしたくなかった。




