第35話 本音のみたらし団子 ④
シャウロの作り出した空間から私たちは乱暴に弾き出された。なす術もなく地面に這いつくばる。手のひらいっぱいにざらざらとした冷たい砂の感触が残った。
「ここ、どこやろ?」
「公園みたいですね……」
王都の城壁の外、さびれた公園の敷地内だ。かつては子どもたちの声が絶えなかったのだろうが、今や木製の遊具は一つ残らず朽ち果てている。
「座標をミスっちゃったみたいね。ちょうどいいわ、ここで休憩しましょ」
シャウロは懐から扇子を取り出して、首元へ風を送っていた。あおぐ動きがやけに忙しない。大粒の汗が厚みのある化粧をじわりと崩していた。
とっさに空間魔法を発動させた代償だろう。毎回造作もなく彼は使っているが、転移を成功させるには尋常でない量の魔力が必要なのだ。疲れが出るのも無理はない。
崩れかけた石造りのベンチに三人で腰掛ける。レイは日向かしの国特有の長い袖を固く握りしめていた。ネレアラとあれだけ対峙したのだ。どれほど怖かっただろう。私はレイを安心させるために、そっと彼の手を包み込んだ。
「もう大丈夫ですから、安心してください」
「でも、お姉ちゃんが大丈夫って言うとき大丈夫じゃないやん」
痛いところを突かれた。「うっ」と言葉を詰まらせていると、扇子の下から爆笑されてしまう。
「そんなことは……」
「もっと言ってやんなさい、レイ」
扇子から立つ風に乗って、彼が纏う濃密な香水の香りが漂ってきた。空気を華やかに塗り替えていく。木々がざわめき、遠くから王都の鐘の音がかすかに届いた。夕暮れだけでなく、私たちに平穏が訪れたことを告げるように。
「それにしても、さっきのあんたは最高にイカしてたわ」
「烏賊?」
「あの男に真正面から啖呵切ってたじゃない」
シャウロが小気味よい音を立てて扇子を閉じ、その先端でレイの頬をうにうにと小突く。レイはむふんと胸の前で腕を組んでいた。褒められて伸びるタイプだ。
シャウロは再び懐へ手を差し入れ、金属製の黒い四角い箱を取り出した。中央には大きな丸いレンズ。
「はい、頑張ったご褒美よ」
レイがおずおずとそれを受け取る。ずしりとした金属の重みを感じながら、箱を上下左右ありとあらゆる方向から覗いていった。
「これ、なんなん?」
「魔導カメラよ。いま目の前にある景色を、そのまま紙に写し取れるの」
シャウロは私に魔導カメラを向け、側面にそっと指を添える。カシャッと鳴ったかと思うと、ジィーと無機質な音とともに私が写った紙──写真──が出てきていた。
写真にろくな顔で写ったためしがない。勝手に撮らないでほしかったが、レイに説明するためなら我慢しよう。
「ここを覗いて、丸いところをカチッと押すだけ。簡単でしょ?」
「お姉ちゃんがおる!?」
「写真って言って、思い出を形にして残せるの」
レイはすごい、すごいと目をしばたたかせ、魔導カメラを離さない。カシャカシャと連続で撮っていた。
撮るたびに魔力が消費されるので、本当に残したいと思ったものだけにしなさいとシャウロが注意する。はぁいと返事したレイは私の顔をちらりと見上げた。
「僕、あっちのお花撮ってくる! お姉ちゃん、ちょっと待っててな!」
彼は公園の草むらへ駆けていく。草を踏みしめる軽やかな足音が、あっという間に遠ざかっていった。残された私はたまらずシャウロに質問する。
「どうして魔導カメラなんです?」
高度な魔導具ほど値が張るものだ。中でも魔導カメラは最新鋭で、その市場価値の高さは私でもよく知っていた。
ほいほいと子どもに与えられるものではないのだ。やはり、シャウロはただの行商人ではないのかもしれない。
「だってあの子、あたしのスクーターにずっと興味津々だったじゃない」
「確かに」
そういえば白の森を脱出したときも、今日の朝も魔導スクーターに座っていた……ほんの些細な仕草まで見逃さないのは、さすが商人といったところか。
「だから王都に来たんだけど、ユウナに悪いことしたわね。ごめんなさい。ただ息抜きしてほしかっただけなの」
「気にしないでください」
ネレアラとの遭遇は事故みたいなものだ。彼を責める気になど到底なれなかった。
シャウロは遠くで魔導カメラを片手にはしゃぐレイを眺めている。西に傾いた夕陽の残光が和やかな彼の顔に差し込んでいた。
「あれくらいのお年頃は魔導具とか大好きなのよ。特に男の子はね」
「もしかしてシャウロ、お子さんがいるんです?」
風が止む。問いが、私の口をついて出てしまった。
子どものことを熟知しており、扱いに慣れている。何よりレイに向ける眼差しが父親のそれだ。シャウロは手にした扇子で口元を隠して言った。さっきまで忘れていたことを急に思い出した、そんな風に。
「レイくらいの年齢よ──生まれていたらね」
そんな顔しないでよ、とシャウロは笑っていた。私は笑えなかった。
「ごめん、なさい……」
反射で謝罪だけは絞り出せた。どうして余計な詮索などしてしまったのだろう。不用意に他人の傷口に触れる真似だけはしたくなかった。これではどこかのネレアラと同じだ。最低だ、私は。
果ての国の現状をあれほどセルヴィから聞いていたのに。また間違った。自責の念がぐるぐると渦巻いて止まらない。地面に伸びる自分の影に顔を伏せることしかできなかった。
「ユウナ、あんたそれ癖なの?」
扇子をたたんで、それで私の頭を叩いてくる。痛みで顔を上げると、シャウロの人形と目が合った。カタカタと人形が話しているのはいまだに慣れない。
「癖?」
「気づいてないのかしら。なんにも言わないで、全部自分が悪うございましたって顔すんの」
言い返せなかった。声にするのが怖くて、私は黙る。だって今みたいに誰かを傷つけてしまうかもしれない。
「あんまり悲劇のヒロイン面されるとイライラするわ」
「……そんなつもりは」
『すっごく悪いやつなの、ユウナは』──呪詛じみた言葉が頭の中で何度も反芻された。悪い私は何も言わない。本音など土に埋めて、言わないほうがいい。
「お姉ちゃん! 見て見て!」
先ほどの魔導具を高く掲げながら、レイが勢いよく戻ってくる。草むらをかき分けてきたのか、顔や服の至るところに泥がついていた。
「上手いこと撮られへんかったけど、なんかおもろいなぁ!」
抱えきれないほどの写真たちを受け取る。そこに並んでいたのは、激しい手ブレのせいで花の形すら留めていない抽象画の数々だった。地面を這う虫の姿も、もはや流れ星だ。
そして最後の一枚には紙からはみ出さんばかりの目を瞑ったレイの顔が写り込んでいた。口が半開きになっている。
「お姉ちゃん、どれが一番ええ写真やと思う?」
「私は」
あまりに不格好な写真。笑うことが我慢できなくて、息が漏れる。目頭が熱くなって、鼻が痛くなってきた。
「お姉ちゃん?」とレイはじっと不思議そうに見てくる。レイの手前、ぐっと目に力を入れて我慢した。そんな私の努力などくだらないと、シャウロは片手で頬を鷲掴みにしてくる。
「あんたの声を聞きたいの。そう思ってるやつは一人じゃないのよ?」
彼は肩の人形をとんとんと指でたたいた。自らの声を失っているシャウロが、私に声を出せと言ってくる。
反応の薄い私の気を引こうとして、レイが「お姉ちゃん、これ! 綺麗やろ?」とポケットからくしゃくしゃになった四つ葉のクローバーを取り出した。あの時も、この子は言ってくれていた。『お姉ちゃん、言うて』と。
「だからちゃんと言いなさい」
「私、は……」
シャウロの手が頬から離れた。言いたい、けど堰を切ったように涙が零れてえずいてしまう。袖で拭っても拭っても流れ続けた。
「お姉ちゃん、なんで泣いてるん? お願い、泣かんといてぇ……」
レイは手にしていた魔導カメラを落とし、顔をくしゃくしゃにして私にしがみついてくる。紫の瞳からも涙が次々と溢れ出していた。私たちは強く抱きしめ合って、互いの体温を確かめ合う。
「果ての国にっ、帰りたい……! みんなと、セルヴィと……レイと一緒にいたいっ!!」
喉を引きちぎるようにしてやっと自分の思いを吐き出した。レイと声を上げて、泣きじゃくる。
「うんっ、僕、お姉ちゃんとおる! 一緒におるよぉ!」
自分のことは自分が一番、嫌いだ。本音を言うだけなのに醜く泣いてしまう自分も大嫌いだ。そんな私を受け入れてくれる人がいるのに、勇気も出せない救いようのない自分になるのはもっと嫌だ。
「よくできました」
人形が紡ぐ優しい声と共に、シャウロが力強く手を打ち鳴らす。生温い雫が頬を伝っていくのを感じながら、ずっと聞きたかったセルヴィの声が遠くから響いてきた。




