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第31話 正しさのすき焼き ⑪

「ユウナ!? 指、切り落としちまったじゃないのかい!」


 ミルダが血相を変えて叫び、私の切った左手を両手でぎゅっと包み込む。彼女の手のひらからじんわりとした温かさが流れ込んできた。

 優しくてあったかい──そんな魔力の波。指先に開いたはずの傷口が、あっという間に塞がっていく。


「ありがとうございます、ミルダ」

「驚かさないでよね……気をつけて」


 森の中でシャウロを治療した時にも感じた、あの魔力に違いなかった。回復魔法はいまだ原理の解明されていない魔法の一つで、女神を信仰する清らかで優しい心を持つ者にしか発動できないと言われている。

 どうしてミルダが使えるのだろう。聖女の証とまで言われている回復魔法を。彼女の横顔をじっと見つめてしまう。


「なんだい? そんな見ても何も出ないよ」

「ミルダ、その、あなたの魔法って……」


 ミルダの体がびくりと跳ねた。ちょうど薪を抱えて近くを通りかかったセルヴィも一連の流れを見ていたようで、呆気にとられている。

 

「そうだよ! 回復魔法だよ! ウチが使えたらおかしいってのかい!?」

「馬鹿者っ、薪に火がついたらどうするんだ!」


 ミルダはなぜか顔に血の気を上げて、勢いのままセルヴィへ火の魔法をぶつけた。私もユウナも何も言ってないだろとセルヴィが情けない声をあげて逃げる。

 レイとシャウロ、ミルダとセルヴィ、みんなが言い争う声が入り混じって夜に溶けていく。ひとりきりで食事を拒んでいた自分の周りが、いつの間にかこんなにも騒がしい。

 ずっとこんな風に旅をするのもいいかもしれない。


 甘く、それでいて香ばしい湯気が鍋の中から一気に立ち上ってきた。黒い液体──ショウユというらしい──と砂糖が熱でとろりと溶け合い、ぱちぱちと泡立てて踊るたびに香りは濃くなっていく。


「ひい、ふう、みぃ……ひい、ふう、みぃ……」


 私たちは鍋を囲み、今か今かと出来上がりを待っていた。

 レイが何かを数えながら身を乗り出して煮立つ肉を覗き込んでいるので、私も鍋の中を覗く。鍋の熱気が頬をじりじりと炙ってきた。上質な肉の脂がじわりじわりと溶け出している。


「お姉ちゃん、大変やわ」

「どうしたんです? レイ」


 深刻な声で切り出すので、思わず身構えた。いつものぽやぽやではなくとても引き締まった顔だ。

 どうしたんだろう。具材が足りなかったんだろうか。


「お肉がな……六枚やねん!」


 んん? 六枚?

 レイは言葉で六枚と言っているのに手のひらを思い切り広げて五の形を作っていた。一応、鍋を確認すると六枚の肉がある。

 そして鍋の周りに緊張が走った。大人たちの間でちらと視線が交わされる。誰も口を開かないまま、駆け引きがすでに始まっていた。

 ここに大人は四人、子供が一人の計五人。つまり、この極上のお肉が一枚だけ余る計算になる。

 

「ま、この最高級のお肉を用意したのはあたしなんだから。当然、ねぇ?」


 シャウロが腕を組み、誰よりも先に主張した。


「アンタ誰に怪我の治療をしてもらったと思ってんだい?」


 ウチがいなかったら今ごろユウナにぶっ殺されてるよ。なんて余計な一言を挟みつつ、自分の実績をシャウロに突きつける。


「霧を自力で突破したのは私ですよ」


 私も黙っていられず、すかさず言葉を挟んだ。そこまで執着しているわけでもないが、ここまで上等な肉はそう口にできるものではない。


 一歩も譲らない三者の睨み合いの中、重々しい咳払いがひとつ。


「私は竜を倒したが?」


 ──勝てない……。


 セルヴィがこれ以上ないほど堂々と言い切った。圧倒的すぎる武勲を前に、私もミルダもシャウロもぐっと言葉を呑み込む。


「じゃあ、いっちばん頑張ったセルヴィお兄ちゃんはお肉二枚やね!」


 レイがセルヴィの器へつやつやと輝く肉を二枚取り分ける。肉を受け取るセルヴィの口元には隠しきれない喜び。私は彼の器に冷ややかな視線を注ぎ続けた。


「セルヴィっておいくつなんです?」

「なんだ急に。二十二だが」


 ──じーーーーーーっ。


「レイは何歳になるんです?」

「五歳!」


 レイは意気揚々と三本の指を上げていた。多分、三以上の数字を感覚として掴めていないのかもしれない。


「日向かしの国は生まれた時が一歳って計算するから、多分まだ四歳ね」


 思っていたよりもずっと幼かったレイ。出会ったとき彼は一人だった。魔石となってしまった父の横でどれだけ寂しかったろう。


「結構お子様なんだ、レイは」

「お子様ちゃうもん! ミルダ、ごはん抜きにすんで!」


 話を聞きながら、セルヴィはスプーンを止めていた。自分の器を睨んで固まっている。気づいたな、とどめだ。

 私は彼にだけ聞こえるように小さく小さく囁いた。


「……大人気ないですね」


 セルヴィの体がぴしりと凍りついた。ギリギリと奥歯を鳴らし、器を顔より上に持ち上げて震わせている。

 ぐ、ぐぅと唸るような声を漏らしながら、肉の一枚をレイの器へと移した。


「レイ、お肉は君が食べるといい……大きくなれ」

「ええの!? セルヴィお兄ちゃんありがとう!」


 レイは両手を叩いて、セルヴィから移された肉を嬉しそうに見つめている。

 くすくすと笑う私をセルヴィは口惜しそうに睨んできた。落とし穴に巻き込まれたささやかな仕返しは成功だ。



「「「「「いただきます!!」」」」」



 みんなでレイから教わった食前の挨拶をする。私たちは一斉にまだ熱の残る器へとスプーンを伸ばした。

 生卵に肉をくぐらせると聞いて戦々恐々としていたが、口に含むと肉の濃厚な旨みがじゅわりと広がる。

 ショウユと砂糖の甘辛さで噛むごとに口の中が幸せになった。


「領主様、がっつきなさんな。喉につまるわよ」

「うっ、すまない……しかし、あま、いやしょっぱい? なんとも形容しがたい味だ」

「でも、すごく美味しいです。甘いものはあまり得意ではないんですが、これだと食べれます」

日向(ひむ)かしの国ってのはいいもん食べてんだねぇ」


 あまりの美味しさに言葉を忘れてハフハフとスキヤキを食べていく。

 ふと、レイの手元に目が止まる。いつも二本の長い棒を器用に操って食事をしているのに、何度も先を滑らせて白い塊を崩してしまっていた。具材が柔らかすぎるせいだろうか。

 指が不自然にこわばっているようにも見える。


「レイ、どうしたんです?」

「なんか……うまいこと動かへん」


 自分の小さな手を不思議そうに見て、閉じたり開いたりを繰り返していた。きっと疲れが出たのだろう。果ての国は寒いから、引き攣っているだけかもしれない。


「マッサージしましょう。手を出してくれますか?」

「うん! お姉ちゃん」


 私はレイの小さな右手をそっと包み込み、ゆっくりと揉みほぐしていった。その感触で沈んでいた記憶が浮かび上がってくる。リムの手もこうしてよく揉んでやったものだった。


「えへへ……ありがとう! ちょっと良くなった気がするわ」


 レイはお返しやと私の手を見ようみまねでマッサージしてくれる。様子を見ていたのだろうか、セルヴィがスプーンを荷車からもってきてくれた。


「これを使いなさい、少しは食べやすいだろう」


 もぐもぐとスキヤキを頬張るレイを見つめる。


 ──まさかね。


 私は胸のざわめきを押し殺すのに必死で、もうスキヤキを食べることができなかった。

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