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第30話 正しさのすき焼き ⑩

 空間魔法に飲み込まれ、世界はぐるぐると渦を巻いていた。目の前に広がる極彩色に上下の感覚さえ怪しくなる。

 このままでは間違いなく胃の中身が逆流してしまう。とっさに手で口を覆うと腰に強烈な衝撃が走った。

 私は地面に叩きつけられ、仰向けで倒れている。軋む体に鞭打って起き上がると、魔導スクーターにもたれかかるシャウロとその椅子部分にちまっと行儀よく座るレイの姿が見えた。


「シャウロ……なぜ私まで……?」

「偶然よ偶然! ちょっと座標が狂っちゃったみたいだわ」


 シャウロは豪奢なピアスを指先でくるくると弄びながら、人形と一緒にケラケラ笑っている。

 わざとだ。

 私たちは彼の声を出すための──それだけではなさそうな──大事な人形を取り返した。辛くあたったセルヴィに素直になれないからって、この行商人は私を巻き添えにしたのだ。


「ぐっ……ユウナ、そろそろどいてくれないか」

「セルヴィ! そんなところにいたんです!?」


 文句を言おうと勢いをつけたら、私の下から短い呻き声が漏れ聞こえた。慌てて下敷きにしていたセルヴィの上から退く。

 両手で背中をさするセルヴィ。空間魔法の渦の中では、あの鉄壁の盾魔法すら発動させる余裕などなかったのだろう。

 先ほどの凛々しさはどこへやら、見るも無残にぼろぼろだった。だが私は一言、彼に物申さなければ気が済まない。


「何か言うことはないんです?」

「皆目見当がつかないな」

「あなたが引きずり込まなかったら私は落ちなかったんですけど?」

「……ひとまず森を出られてよかった」

「ふざけないでください!」


 ミルダがのけぞりながら笑っている。セルヴィは澄ました顔で体中に付いた土を払っていた。この怨み、倍にして返してやる……!

 森に充満していた霧の恐怖からようやく解き放たれ、ここにいるみんなが安心した時だった。


 ──ぐぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


 地響きにも似た重低音が鼓膜を震わせる。私は反射的にレイを見た。森の中では時間の感覚が失われていたから、もう夜だと気づかなかったのだ。

 お腹が空くのも当然よね、と心の中で呟きながら彼の頬をもちもちとこねくり回す。


「レイのお腹の音を聞くとなんだか安心します」

「僕ちゃうよ? シャウロさんにお菓子もらって食べてたもん」


 レイはシャウロに貰ったというクッキーの袋を見せてくれた。じゃあ、あの魔物の咆哮にも劣らない腹の音は一体どこから?

 シャウロとミルダがなんとも言えない生暖かい目で一点を見つめている。その先を同じように辿ると──。


「ち、違……っ、私ではない! こっちを見るな!」


 両手を激しく振り回してセルヴィは必死に弁明した。大粒の汗をうっすらと浮かべながら、顔を真っ赤にしている。嘘をついているのは明白だった。


「もう夜やからみんなで晩ごはんにしよ!」


 セルヴィを気遣って明るい声で宣言するレイ。本当に優しい子だ。

 私は荷車から食料の入った袋を覗き込んだ。中にはぺしゃんこになった布地の感触だけ。旅の備蓄はすっかり底を突いていたのを忘れていた。


「手持ちの食材が何もありませんから、まずは調達に行きましょう」

「またお鍋にしよか、お姉ちゃん!」

「調達ったって、ここらへん何もないよ?」

「ハテノダケとかあるでしょう、ミルダ」

「ハテノダケぇ!? 毒あるじゃん!」


 誰がいっぱいとれるか競争やぁ、とぴょんぴょんと飛び跳ねるレイの前に大きな影が立ちはだかった。

 シャウロだ。腰に手を当てて、私たちを見下ろしてくる。


「あんたたち、さっきから聞いてれば愚かね!」

「シャウロ、あんた……怪我人なんだから大人しく寝てな?」

「この世界一の行商人、シャウロ様がいるのよ!? ハテノダケの鍋なんてちゃちなもの許さないわ!」


 厚い口紅がのった唇が弧を描いた。シャウロは舞うような手つきで右手をひらりと払う。空間が波紋を描き、その中心に穴が出現した。

 穴から見たこともないものが次々と零れ落ちてくる。先が白い長さのある野菜、白くてふるりとした四角い謎の塊や見たことのない文字が刻まれた大瓶もでてきた。瓶の中には真っ黒な液体が入っている。

 最後に滑り出てきたのは輝く薄い肉だった。見事な赤に白い霜のような網目模様が美しい。


「これって、もしかして……!?」


 レイはその場にへたり込み、所狭しと並べられた食材に釘付けだ。

 その様子をみて、シャウロは満足げに前髪をかきあげた。びしいっと私たちに人差し指を向けてポーズを決める。




「そう、すき焼きよ!!」




 私とミルダ、そしてようやく腹の虫を黙らせたセルヴィの口から「スキヤキ……?」と声が漏れる。頭に疑問符をのせて。


「日向かしの国のな、すっっっごく高級なご馳走やで!」


 高級なご馳走。それだけ聞いてもごくりと唾を飲み込んでしまうのに、はじめて見る特上の薄切り肉が私たちをとらえて逃さなかった。


「みんな森から無事に帰ってこれたんだ、祝いのメシを作ろうじゃないか!」


 ミルダの合図を待っていたように、私たちは一斉に食事の準備に取り掛かる。

 役割分担はあっという間に決まった。味付けはレイとシャウロが、野営の準備はセルヴィが引き受け、私とミルダは並べられた食材を切る係に回った。


「すき焼きはお肉を先に焼くんや!」

「調味料を先に入れる方が美味しいわよ!」

「お肉先に焼いた方が香ばしいし、味濃くなるもん!」


 鍋の前では日向かしの国の伝統を巡る熱い論争が繰り広げられている。「うっさいガキンチョね、この鍋奉行!」とシャウロが声を張り上げていた。

 私もレイに負けていられない。白くて長い未知の野菜に料理用ナイフをあてがい、勢いよく右腕を頭上まで振り上げた。


「まちな!? 危ないだろ!」


 ミルダが横から私の手首をがっしりと掴み、振り上げた腕を止める。


「料理っていうのは勢いさえあればいいと、どこかの誰かが言っていた気がします」

「二度と参考にするんじゃないよ、そんなやつ」


 私は渋々と腕を下ろした。半透明で奇妙な紐の束に首を傾げつつも、どうにか野菜とプリンのような白い塊を切り進めていく。

 集中が切れてしまったのか、手元がわずかに逸れて刃先が私の左の指をかすめた。

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