第28話 正しさのすき焼き ⑧
立ち込める霧が一段と濃くなり、視界を遮ってくる。見上げなければその全貌すら捉えられない巨躯が、濃霧の中でうごめいていた。
竜だ。
伝説の名に恥じぬ重圧が、全身を縮み上がらせてくる。呼気だけで命の危険を感じた。少しの油断も許されない。
竜と向かい合う時間が続く。だが、巨大な影が姿を現してこちらへ向かってくる気配がない。竜はただ佇んでいる。
(なぜ襲ってこないんでしょう……)
私たちは竜の縄張りに侵入したはず。ミルダの話では近づけばすぐに攻撃されるのではなかったか。
不自然なところは他にもあった。周囲に漂うべき魔物特有の粘り気のあるどろりとした臭気がない。鼻をくすぐるのは知らない清涼な花の香りだ。
そして、竜の意識が私の腰のあたりに向いていた。レイの父親の魔石に反応している?
「──っ、来るぞ!」
ぶるり、と竜の激しい鼻息が地面の土を巻き上げる。セルヴィが私の前に立ち、いつもより大きい光の盾を作り出した。
それと同時に、爆風を引き連れた竜の鋭い爪が真上から激突する。セルヴィは両足を大きく広げて衝撃に耐えた。足が地面を削りながら後方へずれていく。
「唸れ、轟け……」
私は魔力を上げるために詠唱する。そんなこと普段なら絶対にしない──すれば相手がタダじゃすまない──が、竜が相手なら無詠唱のほうが失礼というものだろう。
「雷よ!」
私は両手を突き出し、体内に溜めた魔力を暴発させて解き放つ。青白い雷撃が太い束の矢となって竜の左翼を撃ち抜いた。
「ユウナ、あれが竜なのか……?」
セルヴィが唖然として聞いてくる。
衝撃波で崖底の霧が根こそぎ吹き飛んでいったからか、竜の姿がはっきりと見えてきたのだ。
全身が白銀の鱗に覆われた竜。澄み切っていて純度の高い魔力に覆われている。アメジストの瞳が吸い込まれてしまうのではと錯覚するほど美しかった。
撃ち抜かれた竜の翼から肉の焦げる臭いはしない。代わりに、見たこともない形をした淡い桃色の花びらがはらはらと舞い落ちていく。
「なるほど。この竜は召喚獣です、セルヴィ」
「初めて見た……本当に存在するんだな」
「そんなの私もですよ」
「召喚獣ならば近くに操っている術者がいるはずだ。まず術者を探し出して──」
盾を構えたまま話す彼の言葉を、私は雷を打ち出すことで断ち切った。再び手に魔力を集め、先ほどの比ではない雷をまとった球がバチバチと音を立てて膨れ上がっていく。
「竜を痛めつけられれば術者にもそれなりのダメージがいくはずです。つまり攻撃は最大の防御、ですよ」
胸を張ったその瞬間、竜の巨大な翼が大きくしなった。すさまじい突風が狭い空間を吹き荒れ、舞い上がった土煙に思わず腕で顔を覆う。
「ユウナ!」
そして自分の体も風に押し上げられていることに気づいた。自分の体が浮き上がらないように地面に盾をめり込ませて、セルヴィは私の腕を掴む。
「君っ、軽すぎる! お酒ばっかり飲まないでもう少しご飯食べなさい!」
「はぁ!? レイのご飯はちゃんと食べてますし、お酒も飲んでません! どこかの誰かさんが没収するからっ!」
吹き飛ばされそうな暴風の中で、何かが宙を舞っているのが見えた。それは竜の背後の岩場に引っかかってしまう。見覚えのある木の人形だった。
風に煽られ今にも竜の巨大な足元へ落ちてしまいそうだ。
「人形! 人形がありましたよ、セルヴィ!」
私の声の方向にセルヴィは目を向けた。普通に近づけば私たちが竜の餌食になるか、竜の翼が巻き起こす風で人形が遠くへ吹き飛ばされるかのどちらかだ。
そもそも木の人形にどれほどの耐久性があるのかもわからない。竜を守るように消えていたはずの霧も戻ってきている。もはや一刻の猶予もなかった。
「このままだと人形が壊れてしまうかも……」
「攻撃は最大の防御、か。たまには君の言うことも聞いてみるべきだな」
焦る私とは対照的に彼は落ち着き払った様子で考え込んでいる。視線が竜と人形の間を静かに行き来していた。
戦況を打開するために、風の向き、竜の動き、人形の位置を読んでいるのがわかった。
「欲しいものを得るためには痛みが必要とはよく言ったものだ」
セルヴィは魔力が凝縮された盾の向きを変える。あろうことか、竜がいる方向ではなく私の方へ向けて展開した。
「ユウナ、私に雷を撃ってくれないか」
「…………私、そんな趣味ないです」
急にどうしたんだろうか。人の趣味に口を出すつもりはないけれど付き合わせないでほしい。痛みが必要と言われても私に加虐癖はない。
気まずい時間が流れる。黙っていたセルヴィが動き出したかと思えば、私の頭に彼の手刀が勢いよく振り落とされた。




