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第23話 正しさのすき焼き ③

 バーナルリーモの果て、白の森の入り口。この先にアネモネの泉があると言われている。


 視界の全てを白にする霧から薄く見える木々は荷車一台分の隙間さえ残さず道を塞いでいた。


「ここからは背負える分だけだ、二人とも」


 セルヴィが荷台から荷物を地面に下ろした。私たちは携帯食料や必要最低限のものだけを袋に詰め直していく。


「うーん、どないしよ」


 レイが調理器具の前でしゃがみ込んで唸っていた。交互に道具を持ち上げ、重さを比べてはじぃと見つめる。


「お鍋は重いしなぁ。でもこれがないとご飯も汁物も作られへんしなぁ」


 私たちの晩ごはんのために真剣に悩んでいる……抱きしめたくなる衝動を必死に抑えた。


 荷物を整理しながらレイを見守っていると、セルヴィが荷物を下ろしながら私を呼ぶ。


「……聞かないのか?」


 こちらの出方をうかがうような視線だった。シャウロの言っていたことを一番気にしているのはセルヴィなのだろう。


「聞かれたいんです?」


 あまり褒められたことではないけれど、私は問いをそのまま相手へ返した。


 セルヴィは面食らったように「え」とだけ呟く。次の言葉は続かなかった。


 当たり前だけど気になることは気になる。まあまあの時間を一緒に過ごしているのに、私はこの国のことだって、彼のことだって何も知らないと突きつけられたのだから。


 だが、私は弟を手にかけて果ての国に追放された日のことを思い出した。


 すべてを失ったあのとき。欲しかったのは薄っぺらな慰めでもなく、哀れみの滲んだ同情でもない。


 ただそばにいてもらえることがなにより嬉しかった。レイと、何だかんだ彼も、私のそばを離れなかった。


 感謝して生きることを大切にする、というレイの言葉を私は噛み締める。


 口にしなければ伝わらないことは分かっているけれど、感謝を正面から伝えるのはあまりにも気恥ずかしい。


「断っておきますけど、聞きたくないわけじゃないんですからね。それだけは忘れないでください」

「……すまない、ユウナ」


 セルヴィから顔を逸らし、もういっぱいのはずの袋に携帯食料をぎゅうぎゅうと押し込んだ。


「よし、決めたで! これだけあれば、みんなであったかいごはん食べられるわぁ」


 レイが勢いよく声を上げ、三つの道具を高々と掲げた。使い込んだ鍋と小さなお玉とスプーンが三本。


 満足そうにそれらを波のような柄の大きな布に包んでいく。包み込めきれずに布がぎゅうと悲鳴をあげていた。


「レイ、欲張りすぎじゃないか?」

「だいぶ減らしたもん!」


 結局、レイの荷物もセルヴィが背負っていた。旅の荷物の選別を終えた私たちはいよいよ白い森の入り口に立つ。


「アネモネの泉……本当にあるんでしょうか」

「その前にこの森を抜けられるかどうかだ。少しでも気を抜けば森に取り込まれてはぐれてしまうぞ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、レイが私とセルヴィの間にするりと身を滑り込ませた。ぐっと背伸びをして左右に両手を伸ばす。


「これで大丈夫! 手、繋げば絶対に離れへんから」


 私の右手とセルヴィの左手をそれぞれぎゅっと小さな手が握りしめてきた。私とセルヴィは思わず顔を見合わせて笑ってしまう。


「これなら安心だ」

「手を離さないでくださいね、レイ」


 私もセルヴィも小さな手のぬくもりを失わないように力を込めて、しっかりと握り返した。


 繋いだ手を離さないよう、私たちは白い霧へと踏み入れる。


 森の中は静まり返っていた。露で濡れた落ち葉を踏みしめる音がいやに耳に残る。どれくらい歩いただろうか。


 ふっと、右手の感覚が突然消える。


 握っていたはずのレイの温もりが最初からなかったように霧に溶けていった。


「真っ白やぁ!」


 レイの楽しげな声はすぐ隣から聞こえるのに、足音だけが遠ざかっていく。


「待って、レイ!」


 私はもう一度レイの手があったであろう場所を掴む。だが、触れたのは霧の塊だけだった。


 二人の足音が完全に聞こえなくなっていく。


「セルヴィ、どこなんです!?」


 周囲を見回しても白、白、白。一歩先すら判別できない。下手に動けば迷い込んでしまう。


 私は足を止めた。息を殺し、五感をできるだけ研ぎ澄ます。耳にまとわりつくような不自然な風が吹いた、その時。


「……ね……ゃん」


 霧の奥から懐かしい声がした。聞き間違いだろうか。白い霧がゆらりと揺れ、奥から一人の少年が姿を現した。


「お姉ちゃん」


 忘れるはずのない声が私を呼ぶ。


「リム……」


 私の手でその命を終わらせた弟、リム・フォリオ。


 背丈も、面影も、最後の別れから寸分も違わない。目の前の弟はあの日の姿のまま立っていた。


 それが森が作り上げた幻であることの何よりの証明だ。彼はもうここにいないという変えようのない事実が、私の頭を冷静にさせた。


 私は幻影の弟に語りかける。


「リム。私ね、果ての国にきたの。お父様に追い出されてしまって……当然よね」


 長い看病の日々を思い出した。床に伏せったままのリムはいつも私の話をこうして聞いてくれていた。


「もう何もかも、どうでもいいって思っていたんだけど。そこで出会ったの」


 言葉を一つ紡ぐたびにリムは何度も頷いてくれる。何も言わないけれど、私の知っている優しい笑顔を見せた。


「小言が多くてお母さんみたいなセルヴィ、一生懸命にご飯を作ってくれるレイ。その人たちと一緒にアネモネの泉を探して……冗談だと思うでしょう? 本気で探してるの」


 レイの不格好だけれど温かいオニギリの味が蘇る。リムにもあのオニギリを食べてほしかった。


 このまま彼がずっといてくれて、レイとみんなと一緒に晩ごはんを食べられたらいいのに。


 その言葉をギリギリのところで飲み込む。霧の中、二人だけの時間が流れていく。


「ねえ、リム。あの時……」


 死の間際、あなたは何を思っていたの?


 聞こうとして、やはりやめた。目の前の弟はどこまでも穏やかに微笑んでいる。どんな答えが返ってきても、それはリムの言葉じゃない。


 幻は幻なのだ、どこまでいっても。


「ふふ、なんでもないわ」


 私は自分の胸に手を当て、瞼を閉じる。胸には引き裂かれるような悲しさがある。それでも──。




「この悲しさこそが私が幸せだった証」




 自分の過去のすべてを慈しむように、両手を胸の前で掲げる。もう行かなくちゃ、レイとセルヴィの元へ。


 眩い雷の魔力がパチパチと集束していく。


「私とまた──家族になってくれる? リム」


 言葉と同時に激しい雷光を手のひらで炸裂させた。幻の霧が一気に散っていく。


 私に応えるように幻の弟の唇がかすかに動いた。何かを言っているように見える。


 声がここまで届くことはなかったけれど、彼もまた私に会いたいと思ってくれている。


 そう信じていいだろうか。


 光が収まると綺麗に霧が晴れていた。周囲には本来の姿であろう静かな森の景色が戻っている。




 ほっとするのも束の間、森を切り裂く叫びが聞こえてきた。


「来るなっ!!」


 セルヴィの声だ。だがいつもと様子が違う気がする。嫌な予感がして、私は声のした方へ駆け出した。

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