第21話 正しさのすき焼き ①
ミルダの集落を出発してから数日が経った頃。そろそろアベロが持たせてくれた食料が底をつきかけていた。
「ミルダ、いつになったら行商人に会えるんです?」
「大体このあたりをウロウロしてるんだけどねぇ」
彼女は首を傾げ、ずれた荷物を背負い直した。街道の脇には崩れた民家の残骸が転がっている。繁栄の痕跡すら風化してしまった地を私たちはわき目もふらずに進んでいた。
「もうすぐ白の森だ」
セルヴィの視線の先に樹海が広がっている。白く濁った巨大な壁がそびえ立っているようだった。果ての国のとうとう果てまで私たちは辿り着こうとしているらしい。
「あそこはね、どれだけ進んでも気づいたら同じ場所に立ってるらしいよ」
「迷ってしまうということですか」
ミルダは声をひそめた。白の森は果ての国で暮らす人々も足を踏み入れない禁足地のようだ。
「それだけならまだいいけどね。森から出てきた人間はみーんな虚ろな目をしていたってさ。まともに戻ってきたヤツは一人もいないって話だよ」
荷車の上で、レイがびくっと身をすくめた。顔色があきらかに良くない。ミルダはにやりと悪い顔をして茶化しはじめる。
「レイ〜? もしかして怖くなっちゃったぁ〜?」
「ぜんぜん怖くあらへん! だ、大丈夫や、僕がこのお玉でお姉ちゃん守ったる!」
レイはお玉を両手で構え、ありったけの力で空を薙ぎ払った。渾身の一振りを、小さな体で何度も何度も。
「森に入る前に少しでも補給しておきたかったんだがな……」
セルヴィは腕を組んだまま荷車をじっと見つめている。今の私たちの手持ちの食料は心許ないどころではない。一度引き返すべきか、それとも進むべきか。決断を迫られた時だった。
──ヴーン、ウゥーン!
風に乗って聞き慣れない音が空気を揺らす。地鳴りとも、魔物の鳴き声とも違う。重く低い塊がこちらに近づいてきているようだ。
「なんの音やろ……?」
荷車の縁を強く握るレイ。セルヴィは荷車を中心に盾を展開して迫る何かを警戒する。私も魔力を手のひらに拾いあげつつ音の正体を探った。
「あ、この音」
そんな状況でミルダだけが呑気な声を上げた。
「間違いない、あいつだ!」
「あいつって誰なんです?」
「行商人だよ、シャウローっ! こっちだよーーっ!」
彼女は勢いよく腕を頭上へ高く突き上げる。手から放たれた火の魔法が空の高みでパチンと弾けた。吸い込まれそうな空の青に赤い花が一瞬だけ咲いて散る。
──ドッドッドッドッド……!
振動は一気に激しさを増し、私たちの元へとなだれ込むように近づいてきた。灰色の煙を巻き上げながら鉄の塊が地面を削って突っ込んでくる。金属のうねる音を引き連れた乗り物が私たちの目の前でぎりぎり止まった。
「久しぶりじゃない、ミルダ」
「シャウロ! 相変わらず変なもんに乗ってんね」
乗り物から降りてきた男は、鮮やかな羽飾りと金の糸で刺繍が施された衣装をまとっていた。果ての国に似つかわしくないほど華やかだ。行商人というよりは劇団員のように見える。
衣装に負けない大柄な体格と濃い化粧を施した行商人は私たちのことも品定めしているようだった。
「あなたがミルダの言っていた行商人なんです?」
「そうよ、あたしはシャウロ。この最果ての地を飛び回る、美しき旅の商人!」
私は野太い声の出どころを探した。彼の喉は一切動いておらず、声は別の場所──その肩から聞こえていた。見れば、肩に乗った古びた木彫りの人形の顎がカタカタと開閉している。魔法で喋らせているのは明らかだったが、なぜわざわざ人形に喋らせるのかは謎だ。
「あ、あの」
レイが私の背後から恐る恐る顔をのぞかせる。シャウロの肩の人形の動きが不気味なんだろう。少しわかる気がする。
「お米とか、お醤油とか……日向かしの国の食料ってありますか?」
「あらやだ! お目が高いわね」
シャウロがひらりと手を振った。すると何もなかった空間からずっしりとした麻袋やガラスの瓶が次々と地面に現れる。空間を越えて物を移動させる、空間魔法だ。目にするのは初めてだった。
膨大な魔力と繊細な魔力操作が必要とされるため、使い手は世界に数えるほどしかいないと聞いたことがある。
「うちの品揃えをナメてもらっちゃ困るわよ。世界中の品を取り揃えているんだから!」
白い粒が袋の隙間からさらさらとこぼれ落ちた。ふわりと香ばしい豆の匂いが鼻をかすめる。レイは目の前の光景に驚きの声を上げ、駆け寄って麻袋に両手で触れると顔をほころばせた。
「ほんまに日向かしの国の食材やぁ! お米も、お醤油も、厚揚げもあるやん!」
「見たことのないものばかりですね」
お酒はあるだろうか。ふと、そんなことを考えているとセルヴィがひどく静かなことに気づいた。
「でも残念」
歓喜の時間は唐突に断ち切られる。シャウロがパンと両手を叩いた。その瞬間、地面に並んでいた品々が謎の空間に落ちていき視界から掻き消える。
「なくなってもた……」
「ちょっと、シャウロ! 何すんのさ!」
レイがさきほどまで食材の並んでいた地面を呆然と見つめる。そこにはもう何もない。ミルダもたまらず声を荒らげていた。
「あんたたちには売れないわ」
「理由を聞いても?」
私は冷静を装って問いかける。実力を行使するにはまだ早いはずだ。いつでも感電させる準備だけはしておく。
「理由ですって? そんなの一つしかないわよ」
カタカタと人形は不快な音を出し、私の隣に立つセルヴィをねめつけた。
「旅行だなんて、ずいぶんお気楽なのね? 領主様は」




