第19話 追憶の寄せ鍋 ⑧
「具材はこれくらいの大きさで切ったらいいんです?」
「うん! ばっちりやで、お姉ちゃん」
ほぼ廃屋といってもいいミルダの家の前。調理台代わりの大きな岩の上で私はキャロットを刻んでいた。
キッチンナイフを握る指に力が入る。上手く力が入らず、トン……トン……と慎重に切っていった。
食事の支度などこれまでほとんど縁がなかった。積極的に協力しようとも思っていなかったけれど、今日はなぜかじっとしていられない。
「火ぃ起こしたよ〜」
「……」
ミルダが報告がてらこちらに戻ってきた。大切な人を亡くしたばかりの彼女。その足どりにいつもの軽さがあって、私はひそかに安心する。
どちらかというと、様子がおかしいのはレイのほうだった。
「強すぎや。薪少し減らして」
「へいへい、注文が多いお子様だねぇ」
口を尖らせながらミルダは火加減を調整する。薪を減らすたびに赤い火の粉がぱっと散った。
「これくらいでどう?」
「……」
返事をしない。ミルダと出会ったころにはなかった棘をレイはこれでもかと放っている。気のせいではなさそうだ。
二人に気を取られていると、大きめの薪を両腕に抱えたままセルヴィが私の隣に立っている。
目が丸々としていた。私が野菜を刻む姿は珍しいとでも言いたいのか。
「手元に気をつけたほうがいいぞ」
「セルヴィ、あの。レイの様子が少し変で」
「……君がミルダといなくなってから大変だったんだ」
私の問いに彼は重いため息をついた。目の下に疲れをにじませている。
「私が上手く誤魔化せればよかったんだが」
セルヴィが言うには、忽然と姿を消した私にレイがすぐ気づいて探し始めたらしい。
セルヴィは薪のかたわらの書き置きとレイの父の魔石が入ったジュエリーケースを先に見つけた。
それらを隠そうとしたが遅かったようで、私に何かあったのだと思ったレイは――。
「果ての国の果てまで届くほど泣き喚いてな」
「僕、泣いてへんよっ! 子どもちゃうんやから!」
小走りで焚き火から私たちのところへ戻ってきたレイ。頬をぷくぷくに膨らませて、ぽこぽことセルヴィの脛を叩いている。
そんなに私のことを案じてくれていたなんて……。疲れ切っているセルヴィには申し訳ないが、すごく嬉しい。
「お鍋んとこ行こ!」
いくら抗議してもセルヴィにはまるで届かず、諦めたのかレイは私の手をぐいと引っ張って焚き火へ連れていこうとする。
私も、自分が刃物をはじめて握って不格好に切り揃えた野菜たちを持っていく。特にオークリーフはほとんど切れていないと言ってもいい。
レイが鍋のふたを持ち上げて覗き込んだ。白い湯気がふわりと彼の顔を包む。濃い緑色の紙のように薄いものを二本の長い棒で器用に取り出していった。
「お出汁もとれたし、お野菜入れよ」
私は刻んだ野菜を差し出す。レイは「白菜〜、にんじん〜、つみれ〜、美味しい寄せ鍋〜」と歌いながら鍋の中へ滑り込ませていった。
「しまっ、」
慌てて手で押さえたが遅かった。突風に私のプラチナブロンドの髪がはらりと流れる。
「お姉ちゃん?」
レイの動きがぴたりと止まる。人差し指が私の剥き出しになった首元へと向けられた。
「それどしたん? 怪我したん?」
血の気がさっと引いた。いまの私の首には赤い紋様が刻まれている。魔力をまとう円形の鎖。ミルダが仕掛けた爆発の魔法陣だった。
「なんでもないですよ。これは、えっと」
だが、これをレイに知らせるわけにはいかない。また泣かせたらとんでもないことになる。私は慌てて手で髪をかき集め、首元へ流した。
レイは黙っている。まるまるとした瞳がまっすぐこちらを見上げていた。これは完全に疑っている顔だ。どうしてもっとすらすらと言い訳ができなかったのか!
鍋の中でオダシがグツグツと沸く音だけが聞こえる。
「よく気がついたね、レイ。これはね、私が指を鳴らすと……ほら! 綺麗な花火が散るのさ」
沈黙を破ったのはミルダの得意げな声だった。にやにやと薄笑いを浮かべて、私の首元へ指を向ける。
「え」
パチンと指を鳴らされた瞬間、頭が真っ白になった。
「ユウナ!!」
「お姉ちゃん!!」
二人の声が重なる。セルヴィが薪を放り出し、手を伸ばしていた。
私に盾の魔法を展開しようとしている。それより早く目の前でドンと低い破裂音が聞こえ、極彩色が弾けた。火薬の焦げた匂いが鼻に入ってくる。
「君、無事か!?」
セルヴィが煙の中へ飛び込んできた。息は荒く乱れ、両手が私の肩を勢いよく掴む。
私も自分の首や顔を触った。首はつながっている。痛みもなく熱もなかった。どちらかというとセルヴィに掴まれている肩の方が痛い。
煙がゆっくりと晴れていく。
「あっはっは! みんないい顔してるね!」
ミルダが地面を叩いて笑い転げていた。最初からただの脅しだったのだ。あれは音と煙が出るだけのおもちゃのような魔法だったというわけか。
「私の魔力で人の首を飛ばせるほどの爆発なんて起こせるわけないだろ?」
「ふふ、あはっ! もう。心臓に悪すぎますよ、ミルダ」
力がどっと抜けてへたり込んだ。驚きすぎてまだ心臓が騒がしいのに、おかしさがじわじわと込み上げてきていた。口元を押さえても笑いがこぼれてくる。
「おい」
「へ?」
底知れない怒気をはらんだ声。私から離れたセルヴィがミルダの方に向き直る。怯えてミルダは笑うのをやめた。
「そこに座れ、ミルダ。今すぐだ」
「え、いや、ただの冗談で」
「座れ!!!」
怒鳴り声が焚き火の周囲に響き渡り、ミルダは悲鳴とともに膝を正して座る。
「君は自分が何をしたのかわかっているのか! ユウナに高い魔力があったとしても、万が一ということがあったらどうする! だいたい爆発の魔法など人にかけるものでは」
延々と説教が降り注ぐ。セルヴィはミルダを真上から見下ろしながら怒鳴りつけ、ミルダはすっかり震えて縮こまった小動物になっていた。
そして三人同時に気づく。バッと誰もがレイの方を向いた。
レイは突然の出来事に置いていかれていた理解がゆっくりと追いついてきたようだ。私の前にちょこんと座り、スカートをぎゅっと握りしめてくる。
肩が小さく震え始めた。息を吸う回数が、吐く回数を追い越していく。しまった。時限爆弾が秒針を刻んでいる! だがもう時すでに遅く――。
果ての国の果てまで聞こえる泣き声が爆発した。
「……オダシっていい匂いですね……」
耳がとれたんじゃないだろうかと思うほどの音量。私は遠い目でレイの背中をさするしかなかった。




