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第18話 追憶の寄せ鍋 ⑦

 ラビの身体から魔石が剥がれ落ちていく。剥がれた魔石は灰となって消えていった。


 ベッドに残された輝石病に蝕まれる前の彼を目にして、ミルダは声を失っている。


「私が殺しました」


 自分の口から出た残酷な言葉は驚くほど抑揚がなかった。


 首に仕掛けられた爆発の魔法が発動するのを待つ。激昂した彼女が飛びかかってくるだろうとも思った。


 だが、ミルダは微動だにしない。怒号も嘆きも何も返ってこなかった。目を閉じているラビの近くから離れない。


「……ラビ」


 こぼれた声は震えていた。手のひらで彼の顔を包み、眠る赤子を慈しむように優しく撫でていく。


「もう、痛くない?」


 片時も離れず、苦しみを隣で見てきたミルダ。二人の痛々しいほどに穏やかな横顔を見ていられなかった。


「――っ!」


 ごくりと唾を飲み込む。いまのミルダはあのときの私だ。冷たくなった弟の傍らで立ち尽くすことしかできなかった自分。


 このままでは彼女も生きる気力を失ってしまう。それだけは避けなければ。


 いま私にできることを考えなければ!


「あなたも失ったんですね、ミルダ……私と同じように」


 爪を手のひらに食い込ませ、拳を握りしめた。こっちを、私を見てミルダ。あなたの生きる理由になってみせるから。


「憎いでしょう? 私が奪ったんですよ、あなたの大切な人を! 彼は生きたいと願っていたんです、最期の最期まで。私に殺されたこと、さぞ無念でしょうね」


 挑発する言葉をわざと並べ立てる。ミルダの背中がほんの少しだけぴくりと動いた。それでも彼女は振り返らない。


「私はアネモネの泉を見つけるまで死ぬ訳にはいきません。ですが、目的を果たしたら……」


 必死に言葉を重ねていく。憎んでほしい、復讐を誓ってほしい。何でもいいから、彼女に生きていてほしい。


 生きる理由が私への憎悪であったとしても、そこにいてさえくれれば。


「あなたに殺されたっていい」


 今度はミルダの肩が大きく揺れた。長い沈黙が私たちの間に落ちていく。


「バカにしないで」


 ミルダはゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩いてくる。その足取りにあるのは言葉にならない確かな怒り。


「ラビはそんなこと言わない」


 私の目の前で足を止めて肩を大きく揺らしている。唇は震え、荒い呼吸が繰り返されていた。


「自分がどれだけ苦しくても誰かの死なんて願わない!」


 なぜ彼女が怒っているのかわからなかった。いやわかりたくなかった。


「……アンタの弟はそうなの?」


 その問いに私は息を呑む。


「自分が死んじゃうからってお姉ちゃんにも死んでほしいっていうヤツなの!?」

「違う!」


 首を激しく横に振って叫ぶことしかできなかった。弟はそんなことを望まない。それでも認めたくなかった。


「そうでしょ? ウチらが大好きな人たちは、ウチらに生きてほしいって祈るの」


 自分が逃げていただけの現実。罪と向き合うふりをして自分勝手に幸せになっていただけの私にミルダは怒っている。


 彼女は泣くまいと天井を仰いだ。それでも大粒の涙が次から次へと伝い落ちていく。


「ウチの家族をバカにしないでよ……」


 ミルダは再びベッドの傍らへと戻り、ラビの冷たい手を握りしめた。


 私も横たわるラビの安らかな顔を見つめる。また自らの手で看取った弟の姿が重なった。彼もきっと同じような顔をしていたはずだ。


 誰よりも不幸であれば許される気がして、ずっと自分を罰することばかりを考えていた。それが楽だったから。


 弟が私の苦しみを願うはずなんて、ないのに。


「……ごめん、なさい」


 視界が歪んでいく。息を吸うたびに喉が震えて目の奥が熱くなった。


 許して欲しい。けれど、誰に?

 

 幸せだった時間は確かにあったはずなのに、それを忘れてたくさんの人を傷つけてしまった私は許しを乞う相手が見つからない。




「お姉ちゃん!」




 迷い子のように座り込んでいると、背後の扉が大きな音を立てて開く。荒い足音とともに人が飛び込んできた。


 私に勢いよくぶつかってきたレイ。必死に、何度も私を呼ぶ。わんわん泣きじゃくっている彼の小さな背中をそっと抱きしめた。


 私もレイも生きている。初めて会った時に食べたオニギリと同じであたたかい。


「ユウナ、無事か!」


 遅れて入ってきたセルヴィが室内をひと通り見渡す。私とミルダの様子も確認し、それからラビの横たわるベッドへ近づいていった。


 何も言わず、ただ右手をかざす。淡い光が放たれ防御魔術がベッドの空間を包み込んだ。透明な盾の壁がラビを守っている。


「弔うまでにその身が傷ついてはいけない」


 ミルダは小さく頷き、唇を噛み締めていた。盾の光にもたれかかるようにして目を閉じる。


 セルヴィはきつく眉間に皺を寄せていた。泣いてしまいそうな顔で床へ視線を落とした。


「すまない……」


 誰に向けたものかわからない呟きが消えていく。領主として民を守れなかった悔恨の重さが、彼の肩を沈めているように見えた。




 ♢♢♢




 紅い空にうっすらと月が見えていた。ラビを弔う私たちにどこまでも冷たい風が吹きすさぶ。廃村の片隅に小さく土を盛り、粗末な墓標を立てた。


 ラビの最期の言葉を思い出す。彼の望んだことを叶えてあげたいが、難しいということも分かっていた。


「このあたりにリコリスなんて、咲いていませんよね……」

「りこりすって何なん? お姉ちゃん」

「燃えるように赤い、綺麗なお花なんです」


 夕闇が迫る中、ミルダが墓の前で佇んでいる。その髪が本物のリコリスのように、鮮やかに浮かび上がっていた。


「彼が赤い花を供えてほしいと言っていたので」

「ふぅん」


 ミルダは懐からナイフを取り出す。躊躇いなく自分の鮮やかな赤髪を一房、切り落とした。


「赤い花はないから、代わりに」


 麻紐で束ねた髪を小さな木箱に収め、墓の前にそっと置いた。きっと彼女の赤い灯火がラビを導いてくれるだろう。


「またね。ラビ」


 夜の闇が集落を包み込んでいく。私と手を繋いでいたレイがくい、と引っ張った。寒さから鼻を赤くして私の顔を覗き込む。


「お姉ちゃん、晩ごはんにしよ? まえ、食べられへんかったからお鍋がええよね」


 セルヴィは黙って頷いた。ミルダはバツが悪そうな顔をして頬を掻いている。


「出発は明日にしよう。暗い森の中は危険だ」

「美味しいごはん食べよな!」


 私たちはどうしようもなく生きていて、生きている限りお腹は空く。それがたまらなく悲しかった。


 いなくなってしまった人たちは食べることができなくて。もう大切な人にしてやれることは何もないということが、たまらなく寂しかった。


 それでも私たちは越えていくのだ。たくさんの夜を。

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