第16話 追憶の寄せ鍋 ⑤
うっすらとした陽光が閉じた瞼の裏を白くする。部屋に視線を巡らせるがミルダの姿はどこにもなかった。
「起きたか、女神さん」
ベッドから上体を起こしたラビが私に声をかけてくる。
「おはようございます。あの、体調は」
私は変に気を遣わせないよう、自然な挨拶を返した。
ラビは鼻の頭をこすって笑っており、昨晩のような苦悶は感じられない。その姿に少しだけ胸を撫で下ろした。
「昨日はありがとな。女神さんの魔法のおかげで、よく眠れたよ」
「よかった、本当に……」
激痛を和らげること。輝石病に蝕まれている人間にとって、ほんの悪あがきに過ぎない。それでも、私にできることをするだけだった。
「ミルダがどこに行ったかご存知です?」
さぁなあ、と言ってラビは天井に目を逃がす。
「アイツいつもフラフラしてやがるから。もうすぐ昼になるってのに」
困った。私には料理の心得が欠片もないし、そもそも自分のために食べ物を用意するという発想自体ない。腹が鳴る気配もない。
ただラビに食事を用意しないのはまずい、気がする。私がうんうん唸って突っ立っていると、ラビがベッドの脇にあった杖の先をこちらへ向けてきた。
「なあ、女神さん」
ウインクをして、悪戯を考える子供のように笑う。
「アンタ、酒はいける口かい?」
ごくり、と私の喉がひとりでに鳴る。セルヴィに長らく没収された、懐かしく甘美な響き、お酒!?
「ええ。嗜む程度には」
「やっぱりな」
私は高ぶる感情を気取られないように、落ち着いて返事をする。それでも、にやついてしまうのを止められていなかったようだ。
ラビは私の様子を見透かしたように、手でグラスの形をつくった。
「地下にいいやつが眠ってるんだ。付き合ってくれよ」
教えてもらった地下から、埃を被った瓶を腕の中に抱えられるだけ抱えた。一本も残すつもりは毛頭ない。
部屋に戻り、色とりどりの瓶をごとりと並べた。
「全部持ってきたのかぁ!?」
「どのお酒も美味しくいただかないと」
ラビは目を丸くして、それから吹き出すように笑った。
私は地下から見つけてきた薄汚れた硝子杯に酒を注ぐ。まずラビの杯を満たし、それから自分の杯に溢れるほど注いだ。
「それでは、この出会いを祝して」
「おっ、いいねぇ。乾杯!」
硝子の澄んだ音とともにためらうことなく杯を傾けた。一口で一気に飲み干す。
「美味いっ。やっぱりこれだな」
「良いお酒ですね」
ラビも満足そうに喉を鳴らした。きっと彼も食事をほとんど摂れないのだろう。身体が液体しかもう受けつけないのだ。
私は二、三、四杯目と重ねる。どれだけ飲んでもまるで変化などない。
「女神さん顔色一つ変えないねぇ。ミルダが言ってた通り、魔力が高いんだな」
酒には魔力が含まれている。普通の人間なら一、二杯で酔ってしまうのだ。
魔力が高すぎる私の身体は酒に含まれる程度の魔力をことごとく分解してしまう。悲しいかな、どれだけ飲んでも酔うことは絶対にできない。
「ミルダとラビさんって仲がよろしいですね」
「腐れ縁……幼馴染だからな」
ラビは可笑しそうに杯をゆらゆらと揺らした。
「昔は、この街ももっと賑やかだったんだがなぁ。みんな、いなくなっちまった」
「輝石病で滅んでしまったということですか」
「いや? 領主様がさ、手を尽くしてくれたんだよ」
彼の目は遠い過去の集落を見ているようだ。言葉がぽつりと落ちていく。
「あの人、泣きそうな顔しながらみんなを街へ避難させてたんだ」
その言葉に、私は彼の屋敷で食事をともにしたときのことを思い出す。セルヴィはここでも、一人でみんなを守ろうとしていたのか。
「オレにも街へ移るように言ってくださったんだけどな。もう動けなかったから断ったんだ。アイツも逃げればいいのに、ずっとここに残りやがる」
ラビは再び杯を傾けようとした。指先がビクリと跳ね、硝子杯が床に落ちた。
「あ……っ、が、は……」
ラビの顔が歪む。胸元を強く掻きむしり、ベッドの上で激しく身を震わせた。呼吸がどんどん荒くなっていく。
「ラビさん!」
昨夜の魔法の効き目が完全に切れたようだ。私は落ちた杯を拾うこともせず、ラビの前に膝をつく。
昨日と同じ魔法を体内に流してみるが、もう効いていない。痛みが、ほんの少し和らぐ程度になっている。
「……もう末期なんですよね」
私の問いに、ラビは荒い息を繰り返しながら無理やりに笑みを作っていた。衣服の隙間から覗く肌は硬く鈍い光を帯びはじめている。
「おお、さ、すが女神さん。よく、分かるね」
「弟が輝石病だったので」
かつてまったく同じ光景を目の前にした記憶が、私の中で暴れ出そうとしていた。
「まだ、顔まで魔石になってないのが……救い、かな」
首元から上は確かにまだ人間の肌のままだ。途切れ途切れに深く息を吐きながら、強張った顔のまま笑う。
「もう、足も身体もまともに動かないんだ。ミルダにこれ以上……迷惑を、かけたくない」
ラビは動かない自分の足を恨むように見つめた。彼の呼吸が徐々に浅くなっていく。
「ごめん、やっぱウソ……石になんてなっちまう格好ワリィとこ、見せたくねぇ」
口元が震えていた。彼が次に言おうとしている言葉が痛いほど分かってしまう。言わせたくない、その先だけは。
「大丈夫です」
笑え、笑え! 私にできることなんて何もない。せめて励ますことくらい、するんだ!
「また私の魔法で痛みを和らげますよ。何度だって……だから投げやりにならないでください」
自分の口から出たその言葉の軽さに吐きそうだった。ラビは上っ面の綺麗事を静かに見透かしている。
鳥肌がたった。いま自分はまったく反対のことを考えてしまっている。
「女神さん……頼みがあるんだ」
魔石の腕が私に縋りついてきた。間違いばかりの過去が私の首を絞めてくる。
彼の声が頭の中で反響してうまく息が吸えない。
「俺を助けてくれないか」




