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第12話 追憶の寄せ鍋 ①

 旅立ちの朝は鍋とお玉を打ち鳴らす音から始まった。寝ぼけた頭が一瞬で夢から現実に引き戻される。


 人を起こす時は鼓膜ごと叩き割るべしという決まりでもあるのか、この国は。


 無表情な侍女が旅に適した裾の短いドレスやしっかりとした造りのブーツを黙々と用意してくれる。これなら徒歩での長旅にも十分耐えられそうだった。


 支度を終えると彼女に礼を言い、広間へ向かう。そこには既に起きているレイとセルヴィの姿があった。


「お姉ちゃん、おはよう!」

「やっと起きたか」


 レイの旅支度を手伝っていたセルヴィは、私に向かって困り顔とも呆れ顔ともつかない表情で眉を下げる。


「ええ、セルヴィのおかげで最高の目覚めでした」

「それはなによりだ」


 無理やり叩き起こされて機嫌の悪い私は目一杯の嫌味を込めた。彼はまるで動じず、軽く鼻で笑うだけ。


 侍女が訳のわからない起こし方をしてきたのはこの人の入れ知恵だ、絶対。


「君が早く起きないからとんでもないことになっているんだ」

「アベロさん待ってるからはよ行こ?」


 屋敷の玄関へ出るとアベロと数人の執事たちが見送りに整列して待ち構えていた。朝の光の中、彼らの表情はやけに晴れやかだ。


「旦那様、奥様! お待ちしておりました」

「……なんです、これは」


 私の胴体ほどもある分厚い羽毛の寝袋が視界を埋めてくる。


「果ての夜風は体に障りますから、こちら長旅にも耐えられる寝袋にございます」

「そういうことを聞いてるわけじゃなくてですね」


 視線を巡らせ、荷台を見た私は言葉を失った。大人数が何日でも過ごせそうな大型テントに山と積まれた食材。隙間という隙間が埋め尽くされている。


「レイ坊ちゃま、昨日はお心遣いありがとうございます。わたくし感動で涙が止まりませんでした!」

「わぁ! ごはんいっぱいや!」

「まだまだ必要なものがございましたらお申しつけくださいませ」

「これ、誰が運ぶと思ってるんです?」


 私は荷車の縁を叩き、これ以上積む気はないと訴えた。この荷車は魔導具を介した私の魔力で動く。これ以上積まれたら旅の前に私が倒れるぞ。


「諦めなさい」


 セルヴィもため息混じりに苦言を呈する。


「領民に支給する食糧もあるじゃないか。物資が多すぎると有事の際の機動力も落ちる。置いていくぞ」

「そ、そんな!」


 主人の言葉に執事はようやく肩を落として引き下がった。アベロは荷物の山を名残惜しそうに何度も振り返りながら、それでも黙って道を開けた。


「じゃあ、アベロさん行ってきまーす!」

「どうかご無事で……!」


 荷物の選別を終え、私たちはついに歩き出した。伝説とセルヴィの案内を頼りに目指すのは、果ての国のさらに果てにあるアネモネの泉である。


 街の外は緑の草原がどこまでも広がっていた。荷車についた魔導具が魔力を吸い取り、車輪はゆっくりと後ろをついてくる。


 私はあることに気づき足を止めた。魔力でつながれた荷車もつられて止まる。


「レイ、そろそろ荷車に乗りませんか?」

「いける」


 アベロが用意した大量の物資は流石に乗せられない。というか乗せたくない。だが、子ども一人分の重さくらい私の魔力なら誤差のようなものだ。


 だからレイを、レイを荷車に乗せたい……!


 一日中歩き続ければレイの足は限界を迎えるだろう。


 日が上がりきらないうちに距離を稼ぎたい私とセルヴィはもちろん足が速くなる。追いつこうとするレイの負担は言わずもがな。


 セルヴィも同じことを考えているようだった。


「疲れただろう? 旅は始まったばかりだから無理をするべきじゃない」

「いやや。僕、まだ歩けるもん」


 そう言いながらも歩幅は少しずつ小さくなっていく。俯いた顔は見えないが、唇を噛んで我慢しているのが分かった。


 普段の聞き分けの良さはどこへ行ったのか。レイは頑なだ。思わず駆け寄ると、短い手を精一杯伸ばして私の首にしがみついてくる。


 ……私たちと離れたくないのよね、多分。


 魔石となった父親から離れて数日。一緒に過ごしてきてレイの身体接触が明らかに増えていた。


 無意識の寂しさからくるものだろうか。何もしてやれない自分がもどかしい。


 すると、セルヴィが背を向けてしゃがみ込む。


「おいで」


 優しい声だった。彼の言葉を合図に、レイは迷いなく彼の背中に飛びつく。いつもと違う高い視界に声を弾ませた。


「僕、お姉ちゃんより背ぇたかいわぁ!」

「ふふ……大きくなりましたね、レイ」


 レイをおぶったままセルヴィは歩調を乱すことなく進む。息一つ乱れていないのは、流石としか言いようがなかった。




♢♢♢




 セルヴィはいきなり歩みを止めた。


「……どうしたんです? 休憩しますか?」


 彼は答えず、風の音に耳を澄ませている。草の揺れる音が妙に大きい。


「静かすぎる」


 短い呟きが風に消える。レイを背中から下ろし、自分から離れないよう言い聞かせていた。


「この先にはかつて輝石病で滅んだ集落の跡地がある」


 セルヴィがそっと手袋を引っ張る。盾を展開するため、魔力を集めていた。


「野盗、ですか」


 セルヴィは前方の草むらから目を離さない。私も荷車へ分け与えていた魔力を断ち切り、指先へ集中させる。


 草むらがひときわ大きく裂けた。赤い閃光の影が飛び出す。


 燃える赤い髪を揺らした一人の少女。懐から短剣を引き抜き、切っ先をこちらへ突きつける。


「おい、お前たち! 命が、惜しくば、その荷車の中身を……すべて置いていけ……ッ!」


 何かがおかしい。


 肩が激しく上下しすぎている。言葉と言葉の隙間に荒い息が漏れていた。


 突き出された短剣の刃先は息と共鳴するように震えている。疲弊が全身から溢れ出していた。


「なぁなぁ、大丈夫なん?」


 セルヴィの足の隙間から顔を覗かせたレイが沈黙を破る。少女はレイに気づくと剣先を迷わせるが、プライドを投げ捨てるように顔を歪めた。


「……全然ッ! 大丈夫じゃ、ない!」


 少女は頭を抱えて半泣きで叫んだ。


 ズズズと地鳴りが近づいてくる。足元の土がわずかに跳ね、荷車の車輪がカタカタと揺れた。


 セルヴィが一歩前に出て、私とレイを背中に庇う形をとる。


「お願い、助けて! 魔物に追われてるのよーッ!!」


 悲鳴とともに、土煙が立ち上った。


 少女は全力でこちらへ向かって走ってくる。その背後から巨大な魔物の群れが押し寄せてきていた。


「馬鹿者ッ! こちらに引き連れてくるんじゃなーいっ!!」

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