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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第96話 夏休みは、あと少し

202X年、夏休み終盤


① カウントダウンin会議室


 夏休みが明けたら、三週間で学校祭本番。


 数字で言われると、急に現実が重くなるやつだ。

 俺は今日も、ヒカリさんの勤める会社で打ち合わせをしていた。


 会議室。白い机。プロジェクター。資料。

 そして、俺に優しくないスケジュール表。


「――うん、じゃあ、こんな感じで」


「はい。よろしくお願いいたします」


 俺が頭を下げると、会社側の担当の方も「こちらこそ」と微笑んでくれる。

 会議室に一瞬、達成感の空気が流れた。


「ふぅー……良い感じね」


 担当の方が先に退室し、扉が閉まった瞬間。

 ヒカリさんが、椅子に背中を預け、きれいなため息をついた。


「はい、順調ですね」


「でしょ」


 “仕事の顔”のヒカリさんは、とても頼もしい。

 美人は変わらないが、綺麗より先にカッコイイが来る。


 ……だからこそギャップがヤバいのだが。


「……ねえ、タマキくん」


「はい?」


 ヒカリさんが、椅子を少し引いて、こちらの方に体を寄せた。


「学校祭、本番期間中は完全フリーなんだって?」


「あ、はい。ショー本番中は流石に入りますが、それ以外は仕事無しです」


 押し付けたとも言う。


「いいな~。流石に私はそれは無理だなぁ。

 ショー前は打合せから逃げたら怒られるし、ショー後はインタビューの予定も入ってるし」


「本当にお疲れ様です。何か出来ることがあったら言ってくださいね」


 この人、本当にすごい人なんだよなぁ。


「じゃあ、ギュってしていい?」


 ……前言撤回。


「会社ではやめてくださいって、前も言いましたよね?」


「えー。だってさぁ」


 ヒカリさんは頬杖をつき、頬を膨らませる。

 仕事の顔のまま、子どもみたいなお願いをしてくるのが、反則だと思う。


「最近、朝起こしてもらった後遊ぶ時間ないんだもーん」

「朝素早く起きたら余裕ありますよ?」

「それは無理」


 諦めないでほしい。

 約束どおり、時折起こしに行くのだが、

 相変わらず、下着姿で悪戯してくるので、非常に寿命が縮む。


「ね?」


 ヒカリさんは、確信に満ちた笑顔を作る。


「だから、ギュー」


「……」


 俺は黙る。

 黙るけど、断る理由が会社以外にないのが、問題だ。


 いや、会社なんだけど。


「……ヒカリさん」


「なぁに?」


 返事だけは完璧に可愛い。

 可愛いが、危ない。


「仕事の場所で“ギュー”はダメです」


「じゃあ、廊下?」

「見られますよ?」


「じゃあ、エレベーター」

「余計危ない匂いがします」


「じゃあ、非常階段」

「俺の理性を殺す気ですか?」


 ヒカリさんが、口を尖らせた。


「タマキくん、いじわる」

「“常識”です」


「プールで『なんでもする』って言ってたじゃないー」


 言った。

 言ったけど。


「家で、とも言いましたけどね」


 俺がそう返した瞬間、ヒカリさんの目が、少しだけ悪い色になる。


「会社でも、って言った?」


「言ってません」


「じゃあ、“今だけ例外”」


「例外は認めてないです」


 きっぱり言ったはずなのに、

 ヒカリさんは「うんうん」と聞き流して、俺のネクタイの位置を直す。


「五秒」


「短い」


「短いからいいの。五秒」


「……」


 俺が答えを出す前に、ヒカリさんが腕を広げた。


「はい、タマキくん。社会人の五秒休憩」


 ……この人、社会人として危ない気がする。


 でも。


 夏休みが終わる。


 そのことが、少しだけ胸の奥をざわつかせた。


 ……会議室の外から足音は聞こえない。


 俺は、小さく息を吐いて。


「……五秒だけですよ」


 そう言って、近づいた。


 ヒカリさんは、勝ったみたいな顔をして、ぎゅっと抱きしめてくる。

 やわらかい。あったかい。良い匂いがする。

 脳が溶ける。


「いーち」


 耳元で数えるな。


「にー」


 耳に息をかけるんじゃない。


「さーん」


 やめろ。理性が。


「よーん」


 この人、絶対わざとだ。


「ごー」


 ぱっと離れる。


 俺が一歩引いた瞬間、ヒカリさんは、何事もなかったみたいに資料を手に取った。


「はい、休憩終わり」


「切り替え早すぎませんか」


「仕事できる女なので」


「今の五秒で、俺の理性が三日分削れましたけど」


「削ったの。いい顔」


「褒めないでください」


 ヒカリさんは楽しそうに笑いながら、俺の背中を軽く押した。


「さ。次の打ち合わせ行ってらっしゃい」


「はい」


 会議室を出る直前、彼女が小さく言った。


「学校祭、楽しみにしてる」


「……はい」


「タマキくんも」


「はい」


「学校祭、ちゃんと“楽しい”にしなさい」


 言い方が、命令じゃない。

 でも、抗えない類いの言葉だ。


「……はい」


「うん。いい返事」


 夏休みも残り数日。

 秋の準備は、こういうところから始まっている。





② 夏の終わりinバー


 夏休み最後のバイト日……なのに、最初から最後まで、一人も客が来なかった。


 この店は、こういう日が時折ある。

 街の夜が、みんな一斉に“今日は休み”って言ったみたいな夜。


 ――正直、逆に落ち着かない。


「今日は客がいなかった。あなたの顔も、少し退屈そう」


「正直、そうですね」


「でしょうね」


 マスターは笑った。

 笑い方が、いつもより少し優しい。


「“とっておき”を出してあげる」


「とっておき?」


 深い琥珀色のボトル。


「座りなさい」

「はい」


 大人しく、カウンターの外に出て、座る。


「メニューには載せてないわ。特別な時にしか出さないやつ」


 氷を入れたロックグラスを用意して、マスターは静かに液体を注ぐ。


 口に含む。


 最初に甘さ。

 そのあとに、じわっと温度と香り。

 最後に、喉の奥をなぞるような少しの熱さ。


「……うま」


「でしょ」


 マスターは、同じ酒を自分にも注ぐわけではなく、

 ただ、こちらを見る。


「タマキくん」

「はい」

「この夏、ちゃんと楽しい?」

「……楽しいです」


 少し考えてから、素直に答えた。


「嫌なことも、嬉しいことも、胃が痛くなることも、変な幸福もありましたけど」

「そうね」

「でも、“今の時間”は楽しいです」


 函館へ弾丸で行ったり。

 誰かの誕生日プレゼントに悩んだり。

 誰かの実家に行ったり。

 バーでちょっとワンオペして困ったり。


 そういう全部が、混ざって。


「それならいいわ」


 マスターが頷き、ふと、いつもより低い声で言う。


「――そろそろ休みは終わりよ」


「……はい」


 グラスを持ったまま、返事をする。


「いい加減、決めたかしら?」


 その一言で逃げ道が全て消える。


 俺は、少しだけ考えてから言った。


「決めるってことは決めました」


「……そう」


 それだけで通じる関係が、怖い。ありがたい。

 マスターは、深掘りしない。


 だから、少しだけ言える。


「上手くいかなかったら……バイト、数日休んでいいですか?」


 我ながら、情けない頼み方だと思う。

 でも、今はそれでいい。


 マスターが、珍しくかすかに笑う。


「そうなったら、客として来なさい。慰めてあげる」


 俺は、少しだけ胸の奥が軽くなるのを感じた。

 いろんな人に救われている。

 救われすぎて、返し方が分からないくらい。


「それはそれで、貴重な体験になりそうで気になるのですが」


「軽口を叩ける程度には、夏休みで成長したわね」


「はい」


 俺は素直に頷く。


 成長って、もっと派手なものだと思ってた。

 でも、今の俺の成長って、多分こういうやつだ。


 失敗するかもしれない未来を見ながら、

 それでも、冗談を言える。


 怖いって言える。

 休みたいって言える。


 決めたって言える。


「……溺れないよう頑張ります」


 グラスを傾けながら、素直にそう言った。


「誰の感情にも、誰の好意にも、自分の罪悪感にも、“溺れないように”」


 そう付け足したら、

 なんだか少し格好つけすぎな気がして、

 グラスの中を見つめた。


「ええ。

 溺れないで、でもちゃんと“自分で選んで”」


 マスターがラベルを優しく撫でて、特別なボトルを棚に戻す。


「――退屈しないハッピーエンド。

 見せてちょうだい、タマキくん」


「ハッピーエンド、ですか」


 その言い方は、

 まるで、物語の読者みたいだった。


「少なくとも」


 マスターが、こちらを一瞥する。


「“誰も幸せじゃない終わり方”だけはやめてほしいわ」


「……努力します」


「努力でどうにかなるかどうかがポイントよね」


「プレッシャーがすごいです」


「期待よ。溺れないくらいには、泳げるようになったわよ、あなた」

「そうですかね」

「少なくとも、私が店を預けられるくらいには」


 嬉しさを誤魔化すように、グラスの底に残った琥珀色を一気に飲み干す。


 喉の奥が、少しだけ熱くなる。

 ヤバい、超嬉しい。


「でも、“泳いでるうちにどこかに辿り着いた”ってだけじゃ、つまらないわ」

「……はい」

「ちゃんと、自分で選びなさい」


 その言葉は、

 この夏の間にいろんな人から言われてきたことと、どこかで繋がっていた。


「選んで、笑いなさい。

 “ああ、ちゃんと面白かった”って」


 マスターが、空になったグラスを片付ける。


「それが、私の好きなハッピーエンド」


 ――“退屈しないハッピーエンド”。


 決めた。

 でも、決めるって、怖い。


 決めたら、失敗した時に逃げられない。

 決めたら、うまくいった時に、もう戻れない。


 夏休みが終わるって、そういうことだ。

 ――終わった先で、俺がちゃんと“決めたこと”を実行できるかが怖い。


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