第91話 カズネちゃん、無料券を持ってくる
202X年 夏休み終盤 晴れ
夏休みの、何もない午後。
予定ゼロ。移動する気力もゼロ。
俺は沈殿ゾーンに半分埋まり、ナツキはソファで寝転がり、扇風機が「俺がんばってる」みたいな顔で首を振っていた。
「タマキー」
その幸福な時間に、不穏な甘え声が飛んでくる。
「やだ」
反射で返事が出た。
まだ内容聞いてないけど、だいたい予想はつく。
「まだ何も言ってないじゃない」
「“ひまだからどっか行こー?”だろ。暑いから嫌」
寝転がったまま返すと、ソファの上から覗いている顔が見えた。
「むー」
睨んでるというか、構ってほしいという目だ。
「だってさぁ、せっかくの夏休み終盤なんだよ?どっか出かけよ?」
「ここも“どこか”だぞ。世界には“どこか”と“外”の二種類しか存在しない」
「哲学ぶるな」
言い合いながらも、俺は起き上がる気はない。
この沈殿ゾーンから一歩も動かずに夏休みを終えたい。心から。
――そんな俺のささやかな願いを、世界は今日も容赦なく叩き折る。
――ピンポーン。
「誰だよ」
「はいはーい」
俺が動かないのを見越したように、ナツキがスタスタ玄関へ向かう。
ガチャ、と鍵の回る音。
「カズネちゃん参上です!!」
元気のいい声と共に、玄関からカズネが飛び込んでくる。
続いて、ゆるい声。
「おっつー、タマキ。カズネと一緒に焼いたシフォンケーキ食べる?」
「アキハセンパイに手伝ってもらいました!!超美味しいです!」
「ありがとー。シフォンケーキスキー」
「知ってる。だから焼いた」
即答された。
俺がのそのそ起き上がると、ナツキの視線を感じる。
「……シフォンケーキの材料、あったかなぁ」
「対抗しようとしない」
アキハが即座にツッコむ。
「冷蔵庫のバターと卵の残量を確認してるだけ」
「料理ならともかく、お菓子じゃ私に勝てないでしょ」
「料理だって、最近アキハどんどん上手くなってるじゃん」
「先生がいいのよ」
キッチンで戦争が起きているが、俺には関係ない。
ないったらない。
そこへ、カズネが胸を張って一歩前に出てきた。
ホント元気だな、コイツ。
「センパイたちに!可愛い可愛いカズネちゃんからプレゼントです!ジャーン!」
両手で掲げたのは、封筒。
封筒の中から、チラチラと光沢のある紙が見える。
「それは……チケットか?」
「はい!ガトーキン〇ダムの無料券です!9枚あります!行きません……か?」
「行く!」
ナツキが反射で反応した。
早い。早すぎる。人間の反応速度じゃない。
「暑い!お出かけ!水着!タマキに魅せてやる!」
「最後の目的だけ私怨混ざってない?」
アキハが冷静に突っ込む。
「混ざってない。純度100」
「逆に怖いな」
俺はチケットの文字を見て、言葉を選ぶ。
「……ガトーキン〇ダムって、あれか。ケーキ屋付きの屋内プールってやつか」
「そうです!しかも無料!9枚!!」
「9枚ねぇ」
アキハが指を折りながら、現実に引き戻してくる。
「9枚って微妙にリアルな数字だな……」
「バイト先のイベントで、“抽選の余りの分”をまとめて貰ったんです!」
「結構、期限ぎりぎりだな、コレ」
「だから無料でもらえました!」
「メンバーは?誰が行くの?」
カズネが、一瞬だけ目を泳がせてから、にっこり笑う。
「あんまり考えてませんでした!」
「おい」
「でも!ヒカリさんには声かけました!」
「OG召喚を第一にするあたりがカズネ」
ヒカリさんの水着姿か……。
それ、反則じゃない?
「昨日バー寄ったら、ヒカリさんがいたので!!」
「なるほど」
「ちなみにマスターも誘ったのですが断られました!!!」
「マスター誘ったの!?」
「カズネにしかできない技ね……」
俺とアキハが戦慄する。
カズネのこういうところ、本当に尊敬する。
「あと、フユミちゃんとメグミちゃんは誘いたいなーって」
「行くかな、あの怠け娘二人……」
誘えば来そうだけど、「眠いから行きたくないです」が全然ありうるタイプだ。
夏休み終盤で、寝だめモードに入ってる可能性も高い。
「タマキセンパイが行くならあの二人も行くから、ここに持ってきたんですよ?」
カズネが当然のように言う。
「……え?」
俺は、封筒の束を見る。
次に、カズネを見る。
最後に、ナツキを見る。
「俺も行くの?」
「センパイは必須ですよ?」
0秒で返ってきた。
「女の子だけで行けよ」
「だめ。タマキの連行は決定事項だゾ♡」
今度は、ナツキが0秒で返してくる。
「いつ決定した」
「決定事項だゾ♡」
「女だけの方が……」
「決定事項だゾ♡」
「お前は村人Aか」
無限ループに入りかけた俺達をアキハが、優しく救った。
「諦めなさい、シフォンケーキあげるから」
「俺を餌付けで落とすな」
「落ちるでしょ?」
「……俺は弱い」
「弱いのは最初から知ってる」
美味しいケーキは正義。
カズネは、さらにテンションを上げて両手をぶんぶん振った。
「じゃあ!じゃあ!!みんなで新しい水着も買いに行きましょうよ!!」
「いいわね」
「前に買ったやつでもいいんだけど、せっかくだしねぇ」
アキハとナツキも乗り気のようだ。
「決定ね。メンバーはカズネが……まあ、券持ってきたんだから当然なんだけど決めていいわよ」
「やった!!」
「それと」
ナツキが、さらっと悪魔みたいな笑顔で続ける。
「カズネの水着代はタマキが出すから無料ネ♡」
「……え」
カズネが固まる。
アキハが即座に言う。
「まぁ、いいんじゃない?どうせタマキ、カズネに何か返さなきゃなって思ってるでしょ」
「……いや、まあ」
俺は頬を掻きながら、カズネを見る。
「何かカズネにやろうとは思ってたけど」
「え、あの、いいんです?本当に……?」
カズネが、急にしおらしい。
普段の勢いはどこいった。
「水着って、そこそこしますし……
タマキセンパイ、なんかいつも色々出してくれてる気がして……」
「大丈夫」
俺は、カズネの頭に手を乗せて、軽く撫でる。
こいつ、こういうときだけ一瞬で“後輩”になるのずるい。
「カズネの新しい水着、期待してる」
「……」
耳まで赤くなるの、早いな。
「……じ、じゃあ!!絶対可愛いって言わせて見せますね!!!」
「今も可愛いぞ?」
「もっと言わせます!!」
「脅迫だろそれ」
ナツキが腕を組み、うんうん頷く。
「いいね、その意気。タマキの語彙力を“可愛い”以外奪ってやろう」
「やめろ、俺の語彙力を奪うな」
アキハが、こちらをちらっと見る。
「タマキ、水着購入デーは不参加ね」
「え」
「金だけ出して」
「…………はい」
いや、まあ。
その方がいいだろうな。
「だって、タマキがいると、みんな遠慮して本気で選べないでしょ」
「本気ってなんだよ」
「タマキの反応は当日のお楽しみだゾ♡」
「“楽しみ”おかしくない?」
「じゃ、水着購入デーは女子会」
「水着購入女子会!!!」
「なんでそんなにテンション高いんだ、カズネ」
「だって、“自分の水着代を他人に出してもらう女子会”って、
人生でそう何回も経験できるイベントじゃないじゃないですか!!」
「言い方よ」
いや、間違ってはいないけど。
俺はソファに倒れ込み、天井を見た。
その瞬間、ナツキが俺の横にぴったり寄ってきた。
「ねえタマキ」
「なに」
「“期待してる”って言葉、私にも言って♡」
「知らん」
「プール当日、期待しててね?」
「話を飛ばすな」
「飛ばしてない。泳いでるだけ」
「泳ぐな」
「楽しみにしててね♡」
夏休み終盤。
もう十分すぎるくらい色んなことがあったはずなのに、
まだまだ、楽しみが増えていく。
「……まぁ、いいか」
「なにが?」
「いや、“夏休みだし、ちょっとくらい馬鹿騒ぎしてもいいかな”って」
「いいに決まってるでしょ」
そう言って笑うナツキの横で、
カズネがチケットを大事そうに封筒に戻し、
アキハがシフォンケーキを皿に乗せる。
――ガトーキン〇ダム。
女性陣+俺でプール。
考えなきゃいけないこともある気がするが、シフォンケーキが美味すぎて、もう半分くらいどうでもよくなっている自分がいた。




