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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第89話 マスターがいない二時間【後編】

 その時。


 ドアベルが鳴り、

 低い声が、店に入ってきた。


「――なんだ。面白い空気だな」


 ……リン先輩だ。


「え、なに、誰?」

「……客?」

「店、用心棒いるタイプ?」


 客の目が一気に吸い寄せられる。

 それだけの存在感と体格の大きさがリン先輩には、ある。


 すっとバー全体を見回すのがわかる。

 彼が状況を把握するのに、数秒もいらなかった。


「悪いけどさ」


 声は柔らかいのに、怒っているのがわかる。

 空気が、変わる。


「ここ、俺の“行きつけ”なんだわ」


 ドアから、一歩だけ中に入ってくる。


「“ここで暴れた”って覚えられたくないんだよね、俺」


「は?誰だよ」

「関係ねーだろ」


 リン先輩が、笑った。

 でもそれは、楽しい笑いじゃない。


「ここ、静かに飲む店なんだわ。わかる?」


「いや、別に……」


「わかんない?」


 リン先輩が、首を少し傾げた。

 その仕草が、妙に静かで、妙に怖い。


 男たちが、ようやく“ヤバい”を理解した顔になる。


「え、なに……」

「や、別に……」

「ちょっとテンション上がっただけじゃねーか」


 目の前の男が、ほんの少しだけ震えた。


「……っ」


 掴んでいた腕から、力が抜ける。


 俺は、ゆっくり手を離した。

 そのまま、一歩だけ下がる。


「わかりやすく言ってやる。――帰れ」


 喧嘩にはならない。


 喧嘩にならないまま、“負け”を確定させる圧。


「んだよ、俺ら客だぞ」

「楽しく飲もうってだけじゃん」

「ちょっと、触ろうとしただけじゃねーかよ」


 三人組が反論するが、

 カウンターの端から、氷のように冷えた声が飛んできた。


「さっきから見てたけど」


 カオル先輩だ。


「今の、完全にナンパの範囲超えてたわよ」


 グラスの縁を指先でなぞりながら、にこ、と笑う。


「触られそうになった側と周りが不快だった時点でアウト」


 ゆっくりと、三人組を睨みつけるような目で見る。


「ねぇ、リンが口で言ってくれているうちに帰った方が、賢いわよ?」


 三人は、互いに顔を見合わせた。

 もう一度、リン先輩を見る。


 その中に、“勝てない”って理解が走る。


 理解は遅いけど、ゼロじゃない。


 男の一人が、舌打ちする。


「……もういいわ。出るわ」

「ちっ、つまんね」

「行こ行こ、別の店!」


 三人分の背中が、早足で入口に向かっていく。


 リン先輩は、何もしなかった。

 ただ、ドアの前で道を空ける。


 からん、とベルが鳴って、音が消えた。


 静寂。


 ジャズが、やけにクリアに耳に入る。



 最初に出てきた声は、自分のものだった。


「みなさん、すみません。

 空気、悪くして」


 深く頭を下げると、視線が集まる。


 笑顔を作れ。作れ。

 大切なものはリン先輩が守ってくれた。

 せめて、せめて。


「お詫びに、なんか作ります。なんでも――」


「タマキ」


 リン先輩に、短く名前を呼ばれて、動きが止まる。


「お前、何か間違ったことしたか?」


「……いや、でも」


「客を守ろうとした店員に、俺は文句ねーよ」


「同意。むしろ、ありがとうって言う立場かな」


 OLさんが、短く言って、グラスに口を付ける。


 カズネが、心配そうに覗き込んでくる。


「タマキセンパイ、大丈夫ですか?」


 怖い思いをしたのはカズネなのに。


 ――俺がもっと早く止められてたら。

 俺がもっと上手くやれてたら。


「カズネ、ごめん。怖い思いさせた」


 そう言うと、彼女は激しく、でも小さく首を振る。


「センパイが!止めてくれたので!触られてません!」


「だから、ありがとうございます!」


 カズネが笑顔を浮かべてくれる。

 ……いつもの、見てるだけでこっちも明るくなる笑顔じゃない。


「リン、遅い」

「連絡見てソッコーで走ってきたっつーの。むしろもっと早く呼べ」


 カオル先輩が、カウンターに頬杖をつきながらリン先輩に笑いかけ、リン先輩が答える。

 あまりにもタイミングが良いと思ったらそういうことか。


「正直助かりました、ありがとうございます」

「いーってことよ」


 リン先輩は、そのままカウンターにもたれた。


「おい、タマキ」


「はい」


「お前、今回は殴らなかった。そしてカズネも守った」


「……はい」


「なんだよ、二個も守ったじゃねぇか。よくやった」


 リン先輩が、俺の頭をぽん、と叩いた。


「……」


 さっきから目の奥に溜まってたものが、一気にこぼれそうになった。


 でも、それは、カズネやカオル先輩やリン先輩のおかげで、俺は何も……


「……ってか、ここに美人並べといたら、そりゃ来るだろ。事故だ事故」


「事故で済ませるな」


 カオル先輩が即座に突っ込む。


 そのツッコミで、ほんの少しだけ空気が戻った。


 アキハは、黙って何か言いたげにこちらを見ている。


 そのタイミングで、ドアベルが鳴る。


「ただいま」


 マスターが戻ってきた。


 一瞬で状況を察する。


「……そう」


「すみません、マスター。俺が――」


「詳細はあとでいいわ」


 マスターは、すっと入ってくると、俺の肩を軽く叩いた。


「一番守るべきものは守れたのね?」


「はい、リン先輩が守ってくれました」


「ならよくやってくれたわ、ありがとう。休憩入りなさい」


「でも――」


「その顔のままカウンター立たせる方が、店としてアウト」


「……はい」


 言われるままに、エプロンの裾を握りしめて、逃げるように裏口に向かう。


 正直、このままここにいたら泣きそうだった。



 裏口を開けると、夜風がふっと吹き込んできた。


 ビルの裏の、ちょっとした搬入口。

 非常階段と、錆びた鉄の匂い。


 壁にもたれかかると、膝から力が抜けて、座り込む。


「っ……」


 ようやく、自分の手が震えているのに気付いた。


「俺、何やってんだろ……」


 ぽつりと漏らす。


「マスターの店で、空気悪くして、台無しにしてさ」


 喧嘩にならなかったのは、リン先輩が来てくれたからだ。


 泣くほどのことじゃないと頭ではわかるのに、悔しさと情けなさが一緒にのぼってくる。

 視界が、少し滲む。


「……ダサ」


 自分で言って、余計に苦しくなる。


「――センパイ」


 階段の方から声がした。


 顔を上げると、裏口の方に、そっと影がのぞく。


「……カズネ?」


「お邪魔します」


 ちょっと意外だった。


「『カズネ、あんたが行きなさい』って言われました」


「誰に」


「アキハセンパイに」


 ああ、やっぱり。


「で、私が来た次第でーす」

「……ご足労おかけしました」

「いいえ、“ハーレムルート解放済みバーテンダーのメンタルケア担当”ですから!」

「その肩書長すぎない?」


 少しだけ、胸の重さが軽くなる。


 カズネは、俺の隣にちょこんと座った。


「センパイは、間違ってないです」

「……」

「店を守ったし、私を守ったし、皆を守ったし」

「……リン先輩が来てくれたからだ」

「リンセンパイが来るまで、センパイが止めてたからです」

「……」


 言葉が出ない。


「……センパイ、怖かったですよね」

「……うん」


 素直に言ったら、喉が少し痛かった。


 カズネは、小さく頷く。


「私も、怖かったです」

「……ごめん」

「違うんです」


 カズネが首を振る。


「センパイが、前に出てくれたのが……怖かったんです」

「え」

「だって!センパイ、戦闘力ないじゃないですか!」

「ないけどさ」


 そこは否定する気もない。

 人を殴ったことなんて……一度しかない。


「さっきの人に手伸ばされた時、『あ、これやだな』って思って、“笑ってごまかそ”ってしようとしてたんですけど」


 カズネは自分の髪をくるくるしながら続ける。


「その前に、センパイが止めてくれたので、“あ、これ笑わなくていいやつだ”ってなりました」


「笑わなくていいやつ」


「“女の子側”って、わりと“笑って受け流す”で処理しがちなんですよね~。

 “場の空気壊すほどじゃないかな”って、自分で勝手にハードル上げちゃったり」


 さっきのカウンターでの姿を思い出す。


「だから、“笑わなくていいよ”って、先に言ってくれたの、ありがたかったです」


「……俺、何も言ってなくない?」


「『触らないでください』って言ったじゃないですか」


 それか。


「あれ、“本気のセリフ”だったでしょ」


「まあ」


「だから私も、“あ、これ本気で嫌って言っていいんだ”って思ったんですよ」


 にこっと笑う。


「少なくとも私は、“センパイが殴らなくて良かった”“止めてくれて良かった”“怖くなくなって良かった”の三点セットで、今ここにいます」


「三点セット」


「はい、“タマキセンパイ!ワンオペ頑張った記念セット”」


 たぶん今、

 こいつ、ものすごく気を遣って喋ってるんだろうな、ってことくらいは分かる。


 カズネ自身も怖かったはずなのに。


「……センパイ」

「ん」

「さっき、私の肩に手が伸びた時」

「うん」

「私、何もできませんでした」

「それでいい」

「よくないです」

「いい」


 言い切ったら、カズネが睨んできた。


「……センパイ、そういうとこ、ずるいです」

「何が」

「“自分が傷つくのはいい”みたいな顔するところです」


 胸が、きゅっとなる。


 俺は、視線を逸らした。


「別に、そんな顔してない」

「嘘です」

「……」

「センパイ、震えてました」


 見られてた。


 俺は、息を吐く。


「……ダメだったな」

「ダメじゃないです」


 カズネが、ほんの少しだけ距離を詰めてくる。


「センパイが“店員さん”じゃなくて、“タマキセンパイ”だったから、私、怖かったけど安心もしました」

「安心?」

「はい。……守ろうとしてくれたから」


 言われた瞬間、胸の奥の固いものが少しだけ溶けた。


 でも同時に、怖さも増える。

 守るって、怖い。


「……カズネ」

「はい」

「お前、今日、怖かったのに、よく我慢できたな」

「えへへ」


 カズネが、泣きそうな顔で笑う。


「私、後輩なので」

「後輩、強いな」

「タマキセンパイだったら絶対、絶対安心なので」

「……おい、やめろ、その返し。ずるい」


 カズネが、少し笑って、距離を戻した。


「正直、“映え写真”撮る暇なかったです」


「撮ってなくていいから」


「でも、なんか、あの瞬間のセンパイ、

 たぶん一生忘れないなって感じの画でした」

「忘れてくれ」


「怖かったけど、格好よかったです」

「……やめろ。照れるから」


 盾どころか本当に立ってただけだから。


「センパイは、あれができる人だから、みんなセンパイのとこに集まるんです」

「買いかぶりすぎ」

「買いかぶってません。

 だって……センパイ、わたしのこと、ちゃんと“背中に入れた”じゃないですか」

「日本語が変だぞ」

「変じゃないです!!」


 息を一回、深く吸う。

 夜風が、肺の中まで通っていく。


「……ちょっとだけ、泣きそうになってた」


 正直に言った。


「知ってます」


「マジで?」


「多分お店にいる全員気付いてます!!」


 それはそれで恥ずかしい。


「戻れそうです?」


「……うん。戻る」


「じゃ、“おかえり”って言ってあげます」


 カズネが立ち上がり、手を差し出す。


 手を取りながら、俺が言う。


「俺の“店番デビュー”にしては、派手すぎたな」

「センパイの人生、いつも派手です」

「それはお前らが派手にしてるんだろ」

「えへへ」


 裏口の前で、俺はもう一度深呼吸した。


「よし」

「はい」

「戻ろう」

「戻りましょう」



 店に戻ると、

 空気はもう落ち着いていた。


 リン先輩がボックス席に座って、ウイスキーをロックで飲んでいる。

 アキハは目が合った瞬間に逸らされた。

 カオル先輩はニヤニヤしながらマスター製のシェリーフリップを飲んでいる。

 OLさんは「災難だったね」と肩をすくめてくれた。


 ――そして。


 マスターが、俺を見る。


 何も言わない。

 でも、その目が言っている。


 “戻ってきたなら、それでいい”。


 俺は、小さく深呼吸をする。


「……すみませんでした。お騒がせしました」


「謝るのは私の方。――次、同じことがあったら」


 マスターは、さらっと言う。


「店を閉めなさい。それでいい」


「……はい」


 肩の力が少し抜けた。


 カズネが、隣で小声で言う。


「センパイ、今度シフォンケーキ作ってあげますね」

「なんで?」

「今日、かっこよかったからです」

「それは、照れるからやめろ」

「やめません!」


 いつものカズネが戻ってきた。

 それだけで、夜は少しだけ、元に戻る。


 カウンターでは、アキハがグラスを振っていた。


「おかえり」

「ただいま」

「ん」


 アキハは、それだけ言って、やっぱり目は合わせてくれない。

 明らかに照れている。

 俺が裏にいる間になんかあったな?


 カオル先輩が、それ以上突っ込ませないとでもいうように、横から顔を出す。


「さっき、なんでも作りますみたいに言いかけてたわよね」

「あ、はい。何がいいですか?」

「じゃあ、リンが今飲んでるアレ」

「遠慮なく高いとこきますね?」

「冗談よ。次、新しいカクテル覚えたら、それを振舞って」

「わかりました」


 ……わかりにくいが、カオル先輩風の「次も期待してる」の言い方だ。


 OLさんも、静かにグラスを掲げる。


「私からも、一言だけ」

「はい」


「――君がいるなら、今後も安心してここで飲めるわ」


 その一言で、なんか全部報われた気がした。


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