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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第88話 マスターがいない二時間

202X年、夏休み終盤 夜


 ――夏休み終盤のとある平日の夜。


 黒い扉を押すと、カラン、とベルの音。


 いつもの、少し暗い灯り。

 棚いっぱいに並んだボトル。

 カウンターの中で氷がかちゃんと鳴る音と、奥で小さく流れてるピアノジャズ。


 俺にとって、もうだいぶ“日常側”になった風景だった。


「お疲れ」


 カウンターの内側で、グラスを拭いていたマスターが、ふっと指先を止めた。


「こんばんは。今日もお世話になります」


 エプロンをつけて中に入ると、既にいつもの常連が並んでいた。


 カウンターの一番奥には、OLさん(仮)。

 その隣に、カオル先輩とアキハ。

 そして、逆のカウンター端に、カズネ。


 ――全員、顔を知っている。空気を知っている。


 どうやら、今日は平和な夜になりそうだ。


「……タマキくん」


「はい」


 マスターに名前を呼ばれただけで、なんとなく嫌な予感がする。


「急用。二時間くらい、外に出るわ」


 サラッと、とんでもないことを言われた。


「……いや、え、もしかして、俺、一人です?」


「そう」


 軽い。

 この人、こっちの心臓の残機を見てない。


「ドリンクは、いつも通り。あなたなら出来る。……ギリギリね」


「ギリギリって言いました?」


「褒め言葉よ」


 そう言って、視線をカウンター席に向ける。


「大丈夫。今日の客は頼りになる」


「お客様を巻き込む前提やめません?」


「守るものの順番さえ間違えなければ大丈夫よ」


 マスターはもう、コートを手に取っていた。

 迷いがない。つまり“決定”だ。


 扉を開ける前に、くるっと振り向いた。


「店は任せたわ、“学生バーテンダー”」


 からん、とベルが鳴って、マスターが夏の夜の空気に消える。


 店内に残ったのは、俺と、カウンターの“見張り役”だけ。


 店の空気がほんの少し変わる。


 あれだ。

 “先生がいない教室”の感じ。


 ……うそん。


「タマキ、緊張してる?」


 カオル先輩が、頬杖をつきながら聞いてくる。


「いやぁ……まぁ、ちょっと」


「大丈夫大丈夫。何かあったら、私とカオル先輩が“優しく”フォローしてあげるから」


 アキハが、グラスをくるりと回しながら笑う。

 “優しく”のところだけ、妙に含みがないか?


 カズネはというと、きらきらした目でこっちを見ている。


「センパイ、“一人夜シフト”おめでとうございます。

 今なら独占インタビューできますか?」


「できません」


 OLさん(仮)が笑いをこぼす。


「大丈夫よ、タマキくん。

 ちゃんと、様になってるから」


 うちのマスター、極上のカクテルを作るし、本人も絶世の美女なのに、時々スパルタすぎる。


 誰だ、平和な夜になりそうだとかフラグ建てたやつ。



 一時間くらいは、何事もなかった。

 本当に。


 オーダーが入って、作って、出して、片付けて。

 会話も、いつも通り。


「タマキくん、手つきが落ち着いてきたわね」

 OLさん(仮)が笑いながら、言う。


「マスターに叩き込まれました」

「あら、言いつけちゃおうかしら」

「ごめんなさい、内緒でお願いします」


 からかうようにクスクス笑われる。

 悪くない。


「タマキ、焦らない」


 アキハがぼそっと言う。

 いつもの優しい顔。


「大丈夫です」

「嘘。肩に力入ってる」

「……入ってます」

「ほら。認めた」


 アキハがくすっと笑う。


「でも、味はちゃんとしてる。えらい」

「ありがとうございます」


 カズネは、たまにスマホで何かを見せてくる。


「センパイこれ!この前言ってた映画の続編!」

「近場で見れるといいですね」

「映画館情報も出てます!一緒に見に行きましょう!」

「いいですね」

「ポップコーン奢ってください!」

「それくらいならいいですよ」


 俺の緊張をほぐすかのように明るく振舞ってくれているのがわかる。

 ありがたい。


 カオル先輩は――何も言わないで、こっちを見てくる。


「……先輩、何にします?」

「タマキのおすすめ。本日のおすすめじゃ、ないわよ?」

 

 途端にニヤニヤし始めた、こんちくしょう。


「今の気分をお聞かせください」

「超楽しい」

「かしこまりました」


 つい先日、習ったばかりのシェリーフリップを四苦八苦しながら出す。


「……珍しいもの出せるようになってるじゃない、合格」

「ありがとうございます」


 背中の力が抜ける。


 マスターのカクテルは極上だ。

 それを“同じレベル”で出せると思ってない。

 でも、常連たちは「見習いの俺の味」を知ってる。


 ――なのに注文してくれるからこそ、失敗したくない。


 そんなことを考えていると。


 カラン。


 俺が反射で顔を上げるより先に、入ってきた声がでかい。


「うぇーい!やってるー?」

「お、バーっぽーい!」

「え、ちょ、美女多くね!?」


 若い男が三人。

 大学生か、社会人なりたてか。

 顔が赤い。足取りがふらついてる。声がでかい。


 ……嫌な予感が、した。


「いらっしゃいませ」


 声は、なるべく普通に。

 普通が一番大事。


「空いてる?っつーか、飲める!?」

「ボックス席へどうぞ」


 常連の視線が、動く。

 アキハが小さく息を吐いたのが見えた。

 カオル先輩は、視線だけで状況を測っている。

 OLさん(仮)は、すでに「めんどくさそう」の顔。

 カズネは――俺の方を見て、ちょっと不安そうに眉を寄せた。


 男三人は、ボックス席へどかっと座り、メニューも見ずに騒ぎ始めた。


「え、なにこれ暗っ! 雰囲気系?」

「バーってこういうもんじゃね?」

「適当に強いのちょうだいよ、兄ちゃん!」


 注文は適当。

 でも、多少騒がしいくらいなら、まあ、時々あることだ。

 静かに飲んでる他の客への配慮さえ守ってくれれば、許容範囲である。


 なるべく早く、なるべく刺激を抑える。

 騒ぎ始める前に、飲み物で満足を作る。


「お待たせいたしました」


「うめぇ」

「え、これうま」

「バーすげぇ」


 ちょっと嬉しい。


 ……五分後。


「……でよー、あの女がさー!」

「ははははは!!」「それ言いすぎだろー!」

 笑い声が、段々でかくなる。


 声のボリュームとともに、下ネタも増えていく。


 テーブルを叩く音が、グラスに響く。


 俺は一度、カウンターに手を置いて、気持ちを落ち着かせる。


 ……大丈夫。

 まずは口頭注意。

 丁寧に、でもはっきり。


 俺はボックス席へ行って、少し頭を下げた。


「すみません。他のお客様もいらっしゃいますので……もう少しだけ、ボリューム落としていただけると助かります」


「えー?なにー?うるさい?」

「すんませんねー、バイトくん、まっじめー!」

「あ、おかわりちょーだーい!強いの!」


「ありがとうございます」


 軽く頭を下げて、カウンターに戻る。


 視線を巡らせると、常連組が、こちらを見ていた。

 OLさんが、小さくグラスを上げる。“ナイス”ってジェスチャー。


 どうか、これで落ち着いてくれますように。


 これで落ち着いてくれるなら、ちょっと声の大きいお客さん達が来たね、で終わる。


 …………祈りは届かなかった。


「兄ちゃん兄ちゃん」


 おかわりと一緒にお冷を三人分置くと、男の一人がこちらに身を乗り出してきた。


「ねー、カウンターの女の子たちと相席とかできないの?」


 店の空気が、凍る。


「あ、そーそーそー!!そっちの子とか超かわいいじゃん!?」

「えー、俺、あっちの綺麗なお姉さんがいー!」

「ねー、そこの子、インスタとか教えてよー!」


 女性陣が身構える気配がした。


「申し訳ありません。ほかのお客様への声かけはご遠慮ください」


「そこをさー。ね?ほら、俺ら“ちゃんと社会人”だからさ?」

「えー?店員、ガチじゃん」

「まーまー、そんなつまんないこといわないでさぁ」


 三人のうちの一人が、笑いながら立ち上がる。


 そのまま、カウンターの方へ、さらに一歩。


 カズネへ、そいつの、手が、伸びた。


「ちょっとくらいいいだろ、なぁ?」


 カズネの怯えた表情が見えた。

 アキハが腰を浮かせるのと、カオル先輩がスマホを触っているのと、OLさんがグラスを握っているのも見える。


 でも。


 何かを考える前に動いてしまった。


 男の手首を、掴む。


「触らないでください」


 声が、自分でも驚くくらい冷たかった。


 店の空気が、一瞬で変わる。

 さっきまでの酔っぱらいの笑い声が、嘘みたいに消えた。


「……は?」


 男が、目線を俺に向ける。

 さっきまでの軽さとは別の、冷たい視線。


「他のお客様が不快に感じるような行動は、お控えください」


 掴んでしまった。

 線を越えた。


「オイオイ、なんだよ。ノリ悪い店か?」

「お前さぁ、女の子に触られたくないなら、バーなんて来させんなよ」

「ちょっと触ろーとしただけじゃーん」


 真正面から、目が合う。

 酒と汗が混ざった匂い。

 さっきまでの“ヘラヘラ”が、少しずつ剥がれていくのがわかる。


「申し訳ありません。他のお客様に触れるのは、ご遠慮ください」


 声が、少し震えているのが自分でも分かった。


「おい、マジで。調子乗ってんじゃねーぞ?」

「うわ、守ってんの?ウケる」

「女庇ってイキってんじゃねーよ」


 ここで手を離したら、多分、この人たちは“押せば通る”って判断する。


 背中に冷や汗が伝う。

 正直、怖い。


 怖いけど――


 ここで引いたら、カズネが傷つく。


 俺は、カズネを背に庇う位置に立った。


「……お客様、席にお戻りください」


 男が、仲間の方を見る。


「おい、こいつ生意気」

「なに?やる?」

「やっちまう?」


 残り二人も立ち上がり、ゆらゆらとこっちへ来る。

 カズネが小さく息を呑むのがわかった。


「タマキセンパイ」


 カズネの声が、背中から聞こえる。


 大丈夫です、と伝えてくる声。


 大丈夫なわけあるかバカ。


 でも、どうしよう。


 三対一とか以前に、一対一でも、勝てるわけがないし。


 そもそも、ここで喧嘩になった時点で、負けだ。

 この店で、そんなことはさせない。


 『守るものの順番さえ間違えなければ大丈夫』


 マスターの言葉が、胸の奥で鳴った。


 どうするどうするどうする。

 守らなきゃいけないものの順番を考えろ考えろ考えろ考えろ。

 1に皆、2に店、3に店の空気だ。どうやれば確実にカズネ達だけでも守れる?

 よし、とにかく外に連れ出そう。

 俺が手を出さなければ警察沙汰にもならない…といいなぁ。

 その隙にアキハ達なら逃げてくれるはずだ。


 ごめんなさいマスター。俺じゃ無理でした。


 正直、足は多分震えている。


 吐き気もするし、正直泣きそう。


 でも。


 背中にカズネがいる。


 アキハもカオル先輩もOLさんも見える。


 なら。


 「外に行きましょう」というために、息を吸う。







(つづく)

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