第77話 函館日帰り弾丸ツアー【前編】
202X年、夏休み中盤 まだ夜
――ピピピピピ。
枕元で鳴るアラームを、反射的に叩き潰す。
「……今、何時……」
スマホの画面には、「3:15」の数字。
人間の起きる時間ではない。
外は当然まだ真っ暗で、エアコンの低い風の音だけがしている。
なんでこんな時間に目覚ましをかけているかと言うと――
「……タマキさん、起きました……?」
膝のあたりで、もぞっと何かが動いた。
「フユミ、まずどけろ」
「……やっぱり、眠いから行きたくないです……」
「言うと思った」
フユミが、俺の足にしがみついたまま、だらだらと抗議する。
「昨夜『函館、ラーメン、ソフトクリーム!』ってカズネとキャッキャしてたのは誰だ」
「昨日の私です……あの子、バカですね……」
別人扱いするな。
そう、本日、車数台に分乗し、函館に日帰り弾丸ツアーをするという、大学生にのみ許されたアホみたいなツアーが行われるのである。
学生事務局、夏休み中盤の伝統行事らしい。
とはいえ夏休みであることもあって、全員強制参加ではなく、希望者だけ。
今年の参加メンバーは、
リン先輩、カオル先輩、マシロ先輩、マヨイ先輩、コウメイ先輩、ナツキ、アキハ、イズミ、シンジ、カズネ、フユミ、メグミ――そして俺。
……こうして並べてみると、だいぶ濃いメンツである。
そして、こんな時間に一人で起きれるか!少しでも集合場所に近い場所で寝る!ということで、俺の部屋に前泊した人もいっぱいいた。
タオルケットにくるまってベッドに二人で寝ているナツキとアキハ。
沈殿ゾーンで丸くなっているメグミとカズネ。
ソファで寝ていたはずが、俺の布団に乗っていたフユミ。
その隣に、一緒の布団で仲良く寝ているマシロ先輩とマヨイ先輩。
…よくこんなに入ったな。
「……起きろー。函館行くぞー」
順番に揺さぶっていく。
「こんな朝早く動けないのでおんぶしてください~」
寝言みたいな声で、メグミが俺の腕に抱きついてきた。
「お前、人類の怠惰を一身に背負ってない?」
「背負ってます~……なのでおんぶを……」
「俺が更に背負うのか」
「にゃふ、メグミちゃん、“タマキさんのおんぶ権”は、じゃんけんです」
「“勝ったらおんぶ券”……」
俺の関知しないところで権利が発生している。
そんな騒ぎの中で、ぱちっと目を開ける人もいる。
「皆で前泊って楽しいですね!でも眠いです!!」
「タマキ、顔洗って歯磨きしてきなさい。こっちは私が叩き起こしとくから」
「助かる」
カズネ、ナツキの朝が強い組。
えらいなぁ、正直俺は未だ頭が回ってない。
マシロ先輩とマヨイ先輩は、パジャマのまま、ちょっと眠そうに目をこすっている。
「……ねむい」「……ねむい、ね」
「二度寝する余裕はないからね、先輩方」
「はーい」
寝ぼけている双子先輩の色気ヤバくね?
というか、マヨイ先輩、胸元のはだけ具合が……
ちなみにアキハは、とチラッと見ると。
「……」
枕を抱きしめたまま、こちらをじっと見ていた。
「アキハ」
「起きてる」
「起きてるなら起きろ」
「起きたら眠くなる」
「理屈がバグってる」
……放置でいいか。
洗面所から戻る頃には、全員が何とか人の形を取り戻していた。
なんだかんだで、全員それぞれのペースでシャワーと身支度を終え、4時少し前。
玄関は、靴とリュックとクーラーボックスで軽いカオスになっていた。
「じゃ、出るぞー」
うちから部室までは、徒歩3分。
外に出ると、北海道の夏の朝は未だ真っ暗である。
人気のない通学路に、キャリーケースとリュックの音だけが響いていた。
「こういう時間に歩くの、ちょっと楽しいですね!」
「修学旅行の朝っぽいです~」
「にゃふ……“夜更かしのまま朝になった”の方が近いです……」
◇
「おはよーございます……」
部室前には、すでに何人かが集まっていた。
リン先輩は、レンタカーの傍に仁王立ち。
横には、フラつきながら立っているイズミとシンジ。
その近くで、コウメイ先輩が何かをチェックしている。
カオル先輩は、コンビニ袋片手に優雅にあくびをしていた。
「おそーい」「時間ぴったりなんですけど」
「タマキ、おはよう。女子寮組は?」
「なんすか、女子寮って……」
と言いつつ、後ろを振り返ると、フユミたちがぞろぞろ付いてくる。
「……壮観ね」
カオル先輩がボソッと言うが。
うん、まあ、なんか美女ゾンビ軍団って感じ。
車は3台。
「運転可能者、点呼ー」
「はいはーい」「起きてる」「大丈夫」「眠い」「私も大丈夫」「……飲酒してないだろうな」
リン先輩、コウメイ先輩、カオル先輩、俺、シンジ、イズミの六名。
これで、交代しながら函館まで約四時間。
……やっぱりアホみたいなツアーだ。
「よし、全員生存確認。じゃあ――」
全員の視線が、自然とリン先輩に集まる。
「今年も、行くか」
缶コーヒーを飲み干して、爽やかに笑った。
「函館日帰り弾丸ツアー、出発ー!」
ぱらぱらと拍手と、小さな歓声。
まだ太陽の出ていない駐車場に、エンジンの音が重なっていく。
◇
高速に乗る頃には、空は、東の方から少しずつ白んできていた。
「……いいなぁ、この時間の高速、ちょっとテンション上がる」
助手席のアキハが、窓の外を眺めながら言う。
まぁ、ちょっとわかる。
後ろからは寝息が聞こえる。
バックミラーをチラリとみると、タオルケットにくるまったふたりの頭だけが見える。メグミとフユミが一塊になっている。
「アキハも寝てていいぞ」
「起きてるわよ、コウメイ先輩がこういう席割にしたのは、多分そういうことだし」
「責任重大だな」
「当たり前でしょ」
「こうやって見ると、ちょっとファミリーカー感あるわね」
「やめろ、まだ俺は若い」
「夏休み、パパ運転で函館旅行」
「家族旅行なら温泉宿に泊まらせてくれ」
アキハが、くすくす笑う。
途中のサービスエリアで小休憩を挟んで、
「おにぎり……」「芋餅のお店あいてない……」「まだ朝6時だよ」
「にゃふ……ソフトクリーム……」
「あまり食べすぎると、函館で後悔するぞー」
各車から、食べ物に対する自由すぎる要望が飛び交う。
夜と朝の境目を抜けて、太陽が完全に顔を出す頃。
「うわ、きれい……」
遠くに見える海の青さが、ほんの少しだけ視界を広くした。
「夏休みっぽいですね!!」
カズネが、元気に言う。
こいつ、ホントえらいなぁ。
「まぁ、これで雨だったらちょっとテンション下がるしな」
「晴れ女に感謝してください!!」
「誰?」
「私です!!」
「自称かよ」
そんな他愛ない会話をして眠気を覚まし、各車また出発して――
夜明けを背に、函館方面へ。
◇
「はーい、到着ー!」
函館に着いたのは、ちょうど朝9時前だった。
朝市近くの駐車場に車を停める。
「わー!!」「すごーい!!」「写真撮っていいですか!?」
「おおー……」「海の匂いしますね」「涼しい~」「にゃふ~」
眠気もどこかへ吹き飛んだのか、みんなが口々に声を上げる。
港の方から、潮と魚の匂いが混ざった空気が流れてくる。
朝市らしいざわめきと、呼び込みの声が遠くから聞こえた。
「わー、テンション上がってきた!!」「海鮮丼!海鮮丼!」「活イカ!」「写真撮りましょう!」
マシロ先輩とカズネが、さっそくスマホを構えて跳ねている。
「テンション高いなぁ」
「こういう時の一年生の反応、かわいいでしょ」
カオル先輩が、余裕そうに笑う。
「はい、集合写真一枚撮ろーよー!!」
マシロ先輩がスマホを構えた。
「朝市の入口バックに、はい、ぎゅーって寄ってー」
「ぎゅー」「ぎゅーです~」「にゃふ、暑いです……」
「はい、せーの――」
カシャ。
「OK。じゃあ解散!食べるよ!!」
「解散が早い」
テンションが上がるメンバー。
ただ……ナツキの顔色が、微妙だった。
ほんの少し、さっきから笑い方がぎこちない。
「ナツキ」
「ん?」
「顔死んでるぞ」
「失礼ね。私は可愛いでしょ」
「それはそうなんだけど、そうじゃなくてだな」
ここは朝市。
つまり、生ものと魚介の匂いが全力で主張してくる場所だ。
――ナツキは、生の海産物がダメだ。
食べられないのは当然知っていたけど、このレベルで匂い自体がダメだとまでは知らなかった。
「このタイミングで“ダメだから外出るわー”って言ったら、気にする人いるでしょ?」
「……まあ、言い方によってはな」
「みんな楽しそうだから、ついていきます♡」
「無理すんな」
「してない♡」
言いながら笑ってみせるけど、目の端に、ちょっと力がない。
それでも、周りに合わせて笑おうとしているのが分かる。
「うわ、イカ動いてる!」「生きてる……」「わー、ホタテ焼いてる……」「写真撮っていいですか!」「にゃふ、ウニさん……」「カニです~」
みんながきゃあきゃあ騒いでいる横で、ナツキは、さっきより一段階静かになっていた。
「……」
笑ってはいる。
写真も撮ってるし、テンションもいつも以上に高く見せている。
でもなぁ。
「はい、じゃあ各自好きなご飯探す時間ねー。さすがに全員で一店舗は邪魔だから、それぞれ行きたいとこに分かれて入ってねー」
カオル先輩の声に、みんながテンション高くわらわらと動き出す。
「タマキ、どこ行く?」「イカ食べたいです」「にゃふ、ホタテ……ウニ……」「映える丼はどこがいいですかね!!」「“いくらかけ放題”」「イカ釣り体験楽しそう!」
「ごめん、皆先入ってて。ちょっとお花摘んでくるね♡」
ナツキが、タイミングを逃さずウィンクを飛ばすと、人混みの方へと離れていく。
その姿が見えなくなり、正直若干悩んだが、俺も適当に手を振った。
「わりぃ、俺もトイレ行くから適当に店入っててー」
「はーい」「じゃあ、私たちこっちねー」「私いくらの海にします!!」「俺はイカ釣り尽くしてやるぜ!」
ざわつく声を背中で受けながら、朝市の喧噪を抜けていく。
◇
駐車場の端。
海の匂いは多少するけど、市場の中と比べると海産物の匂いは薄い。
予想どおり、車の影にしゃがみ込んでいる人影があった。
「ナツキー」
声をかけると、肩がぴくっと跳ねる。
「女の子のトイレについてくんな♡」
「はい、お茶」
抗議を無視して、自販機で買ったお茶を差し出す。
「……」
ナツキは、しばらくそれを見つめてから、フタを開けた。
「ありがと」
「どういたしまして」
缶のお茶の、金属の触感。
遠くから、魚の匂いと、人の笑い声が届く。
「顔色、悪いぞ」
「自覚はあるー」
「二年生以上は、ナツキが生ものダメって知ってるけどさ。
匂いでここまでやられるのは、まぁ、想像していなかった。」
「……うん。まあ、隠してたしね」
ナツキが、少しだけ苦笑する。
風が吹くたびに、魚と海の匂いが混ざった空気が流れてくる。
彼女は、そのたびに深呼吸の仕方を工夫しているようだった。
「タマキ、海鮮丼好きでしょ」
「ああ」
隠す意味がないどころか、当然知られているので正直に答える。
「みんなが“楽しみにしてましたー!”ってテンション上がってるの分かるしさ。
タマキも、いつもだったら絶対嬉々として海鮮丼食べてたじゃない」
「まあ、そうだな」
ナツキは、ペットボトルを持ったまま、膝に顎を乗せる。
「“みんな楽しそうだから、邪魔したくないなー”って気持ちとさ」
「うん」
「“ここにいたら辛いから逃げたいなー”って気持ちとさ」
「うん」
「両方本物だから、めんどくさい」
「わかるよ」
ナツキはこういう時、空気を壊さないことを第一に頑張るタイプだってことくらい、よく知ってる。
そういうやつだ。
一見マイペースで、好き勝手に見えて――
実は、周りの空気をよく見ていて、合わせるために自分を削りがちだ。
「“みんなが楽しい場所”が、“自分にはちょっとしんどい場所”のやつもいるだろ」
「……」
「だったら、“しんどい側のやつ”に誰か一人くらい付き合ってもいいじゃんか」
言ってから、ちょっと照れくさいなと思った。
「……ごめんね?」
ぽつりと、彼女からそんな言葉が落ちる。
その一言に、色々なものが詰まっているのが分かるから、俺は触れない。
「みんなが食べ終わる頃見計らって合流しよう。
すぐそこに喫茶店あるから、そこでオレンジジュースでも飲んでようぜ」
「……それでいこう」
ナツキは、車にもたれ直して、空を見上げた。
「でもさ、なんか、ちょっと嬉しいんだよね」
「何が?」
「“タマキの海鮮丼”を犠牲にしてまで守られている私」
「別に犠牲にしてねぇよ」
「ちゃんと感謝してるってことですー」
そう言って、彼女はようやく、いつもの調子で笑った。
しばらく二人で黙っていると、遠くで誰かの笑い声がした。
海と、朝市と、車のエンジン音と。
「タマキ」
「ん?」
「ありがとね」
「ん」
その「ありがと」の意味を、全部拾いきれる自信はないけど。
少なくとも、“一人きりよりマシ”にできてるなら、それでいい。
◇
「ただいまー」
「お、戻ってきた」「こっちも戻りました!!」「海鮮丼が大盛りすぎた……」「いくらかけすぎました……」
朝市の入り口近くに戻ると、ちょうど皆も集まるところだった。
テンションの高いマシロ先輩たちが、写真を見せてくれる。
「見て見て!超大盛り海鮮丼!想像の倍の量来た!!」「イカも生きてた!!」
「美味しかったです~」「にゃふ……イクラのキラキラ……」「映えでした!!」
思った通り、みんな楽しかったようで何よりだ。
何食わぬ顔で合流するナツキを見て、
二年生組は「察した」みたいな目をしていたが、
誰も、わざわざ何か言ったりはしない。
「はいはーい! 次、ラッキーピエロ行くよー!」
カオル先輩が、テンションの高い声を上げた。
「お腹空いてる人ー!」
「「「はーい!!」」」
「さっき海鮮丼食べたよね?」
「たべました~」「にゃふ……まだ入ります……」
「函館来たら一回は行かないとでしょ!!」「ポテトも食べたいです!!」「ラキポテ~」
若者の胃袋はどうなっているんだ。
◇
「……朝からこれは、だいぶ罪深いよね」
ラッキーピエロ。
派手な外観と、ポップな内装。
のんびりした音楽と、漂うソースの匂い。
さっきまでの「海鮮の香りフィールド」とは、全く違う空間だ。
「わぁ……」「カオス……」「可愛い……」「ポテトでかっ」「にゃふ、メニューが多すぎます……」
「お昼というか、“朝市後のおやつ”というか」
「“朝から海鮮丼のあとにハンバーガー”って、文明の暴力ですよね~」
「“それが函館だ”とでも言いたげな組み合わせだよねぇ」
とはいえ、この店は外せない。
初体験組は特にテンションが高い。
まあ、気持ちはわかる。
「“函館来たらラッピ”って先輩も言ってたしな」
「ポテトも美味しいんだよねぇ」
「チャイニーズチキンバーガーだっけ?」
「そう、それ。それとラキポテは必須」
「何にする?」
「おすすめはなんですか!?」「あえてのカレーもいいぞ」「私はチャイニーズチキンバーガー!」「私はラキポテ!」「にゃふ、私はカレー!!」「私は~……ハンバーガーと~、ポテトと~、オムライスと~」「メグミ?食べすぎでは?」
列に並んで、各々好きなものを頼み、席を確保して、ぎゅうぎゅう詰めで座る。
「では――いただきます!」
ナツキは、バーガーにかぶりついたあと、コーラを一口飲んで、心底幸せそうな顔をした。
「はぁ~~~生き返る……」
「よかったな」
「さっきまで、“生魚+生魚+生魚”って感じの匂いだったからね」
「擬音が雑すぎる」
「こっちの匂いは幸せなんだよ」
さっきまで海鮮の匂いでやられていたナツキが、
今は幸せそうにポテトをつまんでいるのを見て、ちょっと安心する。
「にゃふ、タマキさん、カレー一口欲しいです」
「はいはい」
「……美味しいですね。オムライスも一口いりますか?」
「せっかくだからもらおうかな」
フユミと少しシェアをする。
複数人で来ると、こういうところがいいよなー。
向かい側の席では、カズネがスマホを構えている。
「“ラッキーピエロなう”です!」
「“なう”って久しぶりに聞いたわ」
「アキハ先輩、写真撮ってください!」
「はいはい。バーガー持って」
カシャ、とシャッター音が鳴る。
隣のテーブルでは、双子先輩がバーガーと格闘していた。
『口が……』『入りきらない……』
お嬢様に、あんな顔させていいのか?
可愛いし、見てて面白いけど。
「顎外れないようにねー」
カオル先輩が笑いながら写真を撮っている。
後で見せてもらおう。
リン先輩は……あ、初めて見た。
限定20食のドデカいの食べてる。
食べきれなかったらどうすんだみたいな顔でコウメイ先輩が見ているけど、多分あの人なら大丈夫。
シンジとイズミは、「あえて!」とか言って、焼きそば食べてる。
気持ちはわかる。
メグミは、ポテトを片手に、ナマケモノのスタンプみたいな笑顔を浮かべている。
「おなかいっぱいで幸せです~……」
うん。
「タマキ先輩、ポテトいります?」
「もらう。メグミは、そんな食べて大丈夫か」
「動けなくなったらおんぶお願いします~」
「断固として自力で歩け」
オムライスとバーガーとポテト全部頼んだ奴は自力でどうにかしろ。
それぞれに、“函館っぽい一口”を楽しんでいる。
夏休み。
大学生のうちに、「このメンバーで無茶して遊びに行く」のも、限られた時間の特権だ。
(つづく)




