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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第75話 十年後まで言える服と、今日しか渡せない花【後編】

202X年8月19日 夜 晴れ


 ヒカリさんの“行きつけ”は、駅から少し離れた、路地裏のビルの二階にあった。

 表に小さな看板が出ているだけで、知らなければ通り過ぎそうな小さなビストロ。


 店内は、こぢんまりとしていて、温かい照明。

 カウンターとテーブルが数席。

 黒板には、その日のおすすめメニュー。


「いらっしゃいませ。ヒカリさん」

「こんばんは。今日は“誕生日デートコース”で」

「おお、ついにその日が」


 店主が、にやっと笑った。


「“噂の彼氏くん”ですね?」

「違います」


 即答したけど、店主は聞いてない顔をしている。


「まぁまぁ。どうぞこちらへ」


 窓際のテーブル席に案内される。


 メニューを開く前に、店主がテーブルにやってくる。


「今日はね、ヒカリさんの誕生日だから」

「はい」


「お店からワイン一本、サービスさせてください」


 そう言って、にこっと笑う。


「“お似合いのカップルの誕生日デートに”」


「えっ」


 ヒカリさんが、きれいに固まった。


「ちょ、ちょっと待っ……」

「いやー、前から思ってたんですよ」


 店主は、楽しそうに続ける。


「ヒカリさん、いつもお一人で難しい顔でいらっしゃるのに、今日は最初から顔が柔らかいから」

「……からかわないでよ」

「いえいえ」


 さすがに、ヒカリさんの頬が赤くなっている。


 ……レアだ。

 可愛すぎる。


「お似合い、ですよ」


 さらっと言われて、むしろヒカリさんが固まった。


「えっと、その……ありがとうございます」


 何とかそれだけ絞り出すと、彼女が机の下でこっそり俺の脚をつねってきた。


「いたいです」

「“お似合いのカップル”って言われたからって、そこまで嬉しそうにしないの」

「嬉しそうでした?」

「ちょっとだけね」

「せっかく胸張って隣を歩ける服を着せてもらってるので」

「よろしい」


 店主が持ってきたのは、ラベルの綺麗な赤ワインだった。

 グラスに赤い液体が注がれていく。


「お誕生日、おめでとうございます」

「ありがと」


 乾杯のグラスを、カチン、と小さく鳴らす。

 彼女は、一口飲んで、ほっと息をついた。


「――なんか、照れるわね」

「珍しいですね」

「うるさい」


 その頬の赤みが、ワインのせいだけじゃないことくらい、俺でも分かった。


 料理も、とんでもなく美味しかった。


 サラダ、前菜、スープ、メイン。

 どれも、ちょっと特別な味がした。


「やっぱり、ここのソース、天才なんだよねぇ」


 ヒカリさんが、幸せそうに目を細める。


 デザートを食べ終えて、時計を見ると、外はすっかり夜になっていた。


「ごちそうさまでした」

「ありがとうございます」


 店を出る時、店主がカウンターから声をかけてくる。


「またお二人でいらしてください」

「……検討します」

「絶対来ます」


 どちらが、どう答えたかは秘密。



 食事を終え、店を出た頃には、すっかり夜になっていた。


 夏の夜風が、ほどよくアルコールの熱を奪っていく。


「はぁ。美味しかった」

「ごちそうさまでした」

「奢らせてくれてありがと」

「誕生日くらい俺に奢らせてくださいよ」

「じゃあ、次、なんかの記念日に奢ってもらおうかな」

「記念日ってなんですか」

「今から考えといて」

「怖いこと言わないでください」


 笑いながら、ヒカリさんのマンションに向けて、一緒に歩く。

 いつもより少しだけ二人の距離が近い気がするのは、ワインのせいかもしれないし、服のおかげかもしれない。


 大通公園を抜けている途中、俺は一度立ち止まった。


「……あの」


「ん?」


「渡したいものが、あります」


 今日ずっと、タイミングを見計らっていた。


 本当は、昼間でも、服を選び終えた後でもよかったのかもしれない。

 でも、“今日の終わりの方”が、なんとなく正しい気がした。


 街灯の下。

 人通りはあるけど、さっきまでのお店と違い、こちらを見ている目はない。


 俺は、持ってきていた鞄から、グレーの箱を取り出し、そっと差し出す。


「……忘れてるのかと思ってた」

「忘れませんよ。絶対に」


 本当に、冗談抜きで春から悩んでたんだから。


「誕生日プレゼント、です」


「開けていい?」

「はい、お願いします」


 蓋がゆっくり持ち上げられる。


 その瞬間、ふわっと、香りが溢れた。


「――」


 濃い青から、少し紫がかった青。

 白に近い、淡い青。


 いくつもの色味の“青”が、グラデーションになって箱の中に敷き詰められている。


 花の名前は、トルコキキョウ。


 青い花弁が幾重にも重なって、柔らかい海みたいな景色を作っていた。


 花の海の真ん中。


 蓋の裏には、小さく刺繍が入れてある。


 ターコイズブルーの糸で、「Happy Birthday」。


 彼女の表情が止まる。


 “蓋を開けた瞬間に世界が変わる”というのは、本当だった。


 ヒカリさんは、しばらく何も言わないで、それを見つめていた。


 ようやく絞り出した声は、いつもの調子とは違っていた。


「トルコキキョウ、ね」

「はい」


「これ……“職場に置けるやつ”だ」


 ……すごい。置いてほしいとは思ってたけど、即バレた。


「はい。職場の人にも、ちょっと相談しました」

「えっ」

「学校祭の打合せの際に。ショーの時にお会いした方や例の新人さんとか……」


 隠してもどうせ明日にはバレると思って、正直に言う。


「ターコイズ以外で、好きな色とか。

 花、机に置いても邪魔にならないサイズとか。

 そういうの、こっそり教えてもらいました」


「……」


 沈黙が落ちる。


「――バカねぇ」


 彼女から出てきたのは、その言葉だった。


「……すみません」


 そうですよね、周囲に迷惑をかけすぎですよね。


 ふいに、声が少しだけ揺れた。


「正直ね」


 彼女は花から視線を外さないまま、ぽつりぽつりと言葉を落とす。


「花もらうのって、そんなに好きじゃなかったの」


「え?」

 あ、やらかした、俺?


「仕事柄貰うことも多いんだけどね?

 持ち運び大変だし、終わった後の処理も大変だし。

 “女の人だからとりあえず花”って渡されると、“テンプレね”って思っちゃうことがあって」


「……」

 うん、ごめんなさい。

 どうしよう、泣きそう。


「でも、これは別」


 箱の中に指先を伸ばし、花弁の端にそっと触れる。


 そこで初めて、俺の方を見る。


 視線を合わせられて、逃げ場がなくなる。


「嬉しくないわけ、ないでしょ」


 ゆっくりと、ひとつひとつ、言葉を置くみたいに。


「私のこと、ちゃんと見ててくれて。

 私の仕事の場所にも、ちゃんと置けるもの考えてくれて。

 そのために、私の周りの人まで巻き込んで、悩んでくれて」


「……」


「色も、形も、箱っていう選び方も。

 “ちゃんと私のこと考えて選んできたんだな”って分かるから」


 その顔は、怒っているわけでも、茶化しているわけでもなく。


「毎日これ見て、“あの日、タマキくんがすっごく悩んで選んでくれたんだなぁ”って、思い出すのよね、きっと」

「……はい」


「仕事でボロボロになった時とか、“もうやだー”ってなった時とか」

「そういう時に、ちょっとでも支えになれば嬉しいです」

「充分なるわよ」


 どこか、少しだけ、誇らしげだった。


「ありがと、タマキくん」


「……はい」


「やっぱり、タマキくんと今日を過ごせてよかった」


「…………」


 返事が、すぐに出てこなかった。



 その後は、ヒカリさんのマンションまで一緒に歩く。


「今日は、ほんとにありがと」

「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」


「服、ちゃんと着てね」

「もちろんです」


 今日一日着ていた、このセットアップ。


「……十年後も、着られるように頑張ります」

「そこは、体形維持の話?」

「主に」

「がんばりなさい」


 笑い合って。

 気配が、少しだけ、夜の濃さに近付く。


「花、机に置いてもいい?」

「もちろん。迷惑だったら、あの、俺が持って帰りますので……」

「置くから」


 強く、言いきられる。


「これね、多分、すぐ写真撮って保存して、枯れても箱は取っておく」

「……それは、正直、嬉しいです」


「十年後、その服着たタマキくんに会って、『あの時もらった花の箱、まだ取ってあるんだよね』って言うの」


 その未来の情景が、妙にリアルに浮かんでしまって、

 心臓が変なリズムを刻む。


 エントランスを抜けて、エレベーターに乗り、彼女の部屋のある階で降りる。


 ヒカリさんの背後には、彼女の部屋の扉。

 その手前で、二人の足が止まる。


「――今日は、ここまで」


 ふっと、ヒカリさんの声のトーンが落ちた。


「部屋の中は、また今度ね」


 その言い方は、冗談みたいでもあり、

 本気みたいでもあり。


「はい。……また明後日くらいに、掃除しに来ます」

「よろしい。ジャケット持ってきてね」


 そこで終わる――はずだった。


「じゃ、おやす……」


 言いかけた瞬間。


 視界が、ふっと近付いた。


「――っ」


 柔らかい感触と、

 ほのかなワインの香りが、唇に触れる。


 時間にしたら、多分、一秒とか、そのくらい。


 けど、体感的には、やたら長かった。


 背伸びした彼女の体温と、ほんのりワインの香り。

 ジャケットの胸元を軽く掴む手の感触。


 全部が、一気に頭に流れ込んできて、処理が追いつかなかった。


 ほんの、触れるだけのキス。


 唇が離れたあとも、頭の中は真っ白だ。


「おやすみ」


 耳元で、その一言だけ。


 気付いた時には、玄関のドアが、静かに閉まるところだった。


 …………


 ………………。


「…………」


 残されたのは、俺と、さっきまで彼女が立っていた空気と。


 心臓の音だけが、やたらうるさい夜だった。


 誕生日は、彼女のはずなのに。

 なんで、こっちのHPがゼロ近くまで削られたみたいな感覚になってるんだ。


 廊下で固まっていたら、

 曲がり角のところから、同じ階の住人らしきおじさんがひょいっと現れた。


「あ、ごめんなさい。通ります」

「あ、すみません」


 慌てて横に避けて、エレベーターに向かう。


 エレベーターの中、鏡に映る自分の顔が、思った以上に赤くて、

 思わず頭を抱えた。


「……………………」


 いつぞや、「傲慢」と言われて苦笑しながら同じ鏡を見たときとは、頬の緩み具合が全く違う。


 でも。


 鏡に映るジャケットとパンツと、シャツと。


 ……十年後、これ着て笑って話せるように、頑張らなきゃな。


 今日のことも。明日のことも。来年のことも。


 ぜんぶ、まとめて“あの日の話”として、

 いつか笑って話せる自分であれるように。


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