第74話 十年後まで言える服と、今日しか渡せない花
202X年8月19日 朝 晴れ
――絶対に、遅刻はできない。
別に、告白するとか、そういうイベントがあるわけじゃない。
ただ今日は、人気デザイナーのOG――ヒカリさんの誕生日で。
俺は、その「誕生日を一緒に過ごす後輩」という、人生で二度と来なさそうなポジションを拝命していた。
「タマキ。起きて。7時半」
耳元で、殺意高めの声がする。
身体の上に重量を感じる。
「重い……」
「本気で殺すぞ♡」
命の危機を感じて目を開けると、ナツキが俺に馬乗りになっていた。
「おはよう」
「……おはやうございます」
アラームが枕元で主張を続けている。
思い出した。俺がアラームで起きなかったら起こしてって、昨夜寝る前に頼んだんだった。
……緊張で寝付けなくて。
「シャワー浴びて、顔きっちり起こして、髪もちゃんと乾かしなさい」
「はい」
「服はコレ着ていけ。昨日のうちにアキハと相談済」
「根回しの良さよ」
「だって今日、“全部着せ替えられる”にしても、それまでヒカリさんの横歩くのに最低限はしっかりしてないと困るでしょ」
さらっと、とんでもないことを言う。
「……なんで着せ替えの話、知ってる?」
「本人から聞いた」
「ヒカリさん……?」
「『捨ててもよくて、でも歩けるレベルの服を着せてあげてね』って」
「どこまで信用ないんだ、俺」
「でも」
ナツキは、少しだけ笑った。
「“絶対逃げられないように根回ししてる”ってことは、向こうも本気ってことだから。頑張ってきなさい」
そう言われると、余計に緊張する。
「……了解」
こうして俺の8月19日は、無事に遅刻せずに起床できた。
◇
待ち合わせは、大通駅の、いつもの場所。
30分前だというのに、俺はすでに着いていた。
周囲を怪しくうろつきながら、「落ち着け」と呪文を唱えていると。
ふ、と視界の端に動く影。
「あ」
振り向いた瞬間、呼吸が一瞬止まった。
人混みの向こうから、軽い足取りで歩いてくる。
白に近いライトグレーのノースリーブシャツ。
テーパードパンツに、ストラップサンダル。
軽めのメイクと、揺れるピアス。
歩いているだけなのに、周囲の目を引いている。
……え?俺今日あの人と歩くの?死ぬの?
「待たせた?」
笑ってそう言うその人は、今日の主役だ。
「……いえ。今来たところです」
「ふふ。テンプレ回答、よろしい」
ヒカリさんは、いつも通りの余裕そうな笑顔だった。
けど、ほんの少しだけ、目元に緊張が混ざっているようにも見える。
「誕生日、おめでとうございます」
「ありがと」
そう言って、小さくウインクをしてくる。
「はい、じゃあ一個目のプレゼントちょうだい」
「え?一個目?」
「“今日一日タマキくんを独占できる権利”」
「……どうぞ」
「うれしいくせに」
「……否定はしません」
心臓に悪い。
「じゃ、行こっか。今日は“私のコース”だから、ちゃんとついて来なさい」
そう言って、くるりと踵を返す。
その背中を追いかけながら、
“この人の誕生日を一緒に過ごす”という現実を、改めて噛みしめた。
◇
連れてこられたのは、大通の外れにある落ち着いた雰囲気のセレクトショップだった。
「ここね、たまに仕事でも使うんだけど。今日は完全にプライベート」
店員さんに軽く会釈をすると、相手の表情が「あ、知り合いだ」という感じになる。
「いらっしゃいませ。本日はプライベートで?」
「うん、デート」
さらっと、爆弾を落とすな。
店員さんの視線が、俺の方に滑ってくる。
「……なるほど、少々お待ちください」
「なるほどってなんですか?」
ヒカリさんは「んふ」と楽しそうに笑うだけだった。
こぇぇよぉ。
「いらっしゃい。ヒカリ、久しぶり」
奥から、短髪の女性が出てきた。
なんとなくスタッフさんというよりプロの方っぽい。
そう言って、自然に俺の方を向く。
「――で、噂の“タマキくん”ね?」
「噂……?」
どんな噂だよ。
「“十年後まで『あの時選んでもらったやつです』って言えるセット”ね」
「改めて聞くと恥ずかしいのですが」
「コンセプト大事でしょ?」
「とりあえず、サイズ見ましょうか。ほら、靴脱いで」
「あ、採寸表あるわよ。はい、微調整お願い」
「流石ね」
照れるこっちを置いて、話はさくさく進んでいく。
促されるがまま、鏡の前に立つ。
メジャーが身体の線を滑っていく。
前にも似たような光景があった気がする。
あの時も、ヒカリさんがメジャーを持って俺の肩幅を測っていた。
「まぁ、185cmでそこそこ細身なら、着せ替え人形楽しいわよね」
「素材はまあまあでしょ」
「まあまあね」
まあまあって評価なのはどうにもならないのね。
「方向性は? “スーツ寄せ”か、“カジュアル寄せ”か」
「“ちょっと良いお店にも行けるけど、普段の街でも浮かない”くらいで」
「了解。あと」
店員さんが、俺の顔をじーっと見る。
「普段からメガネ?コンタクトは?」
「ごめんなさい、メガネしかないです」
「うん、大丈夫。その前提でコーデするから」
そう言って、店員さんはあっという間にラックの間を歩き回る。
気付けば、俺は半分“マネキン役”になっていた。
シャツ、ジャケット、パンツ、ベルト、靴。
色味と素材を変えた候補が、いくつも提案されていく。
「こっちは、肩幅が出すぎるかなー」
「でも、身長あるのでバランスはいいわよ」
「だよね。……タマキくん、ちょっとこっち向いて」
「あ、はい」
鏡の前で、何度も回される。
なんか本当に“コーディネートされてる”感すごい……
ジャケットのラペルを整えられたり、ネクタイを軽く結ばれたり。
肩のラインだの、袖丈だの、普段気にしたことない部分に、的確に手が入る。
「うん」
しばらくして、ヒカリさんが、鏡越しに目を細める。
「これだね」
「これですか」
「これよ」
ネイビーのジャケット。
オフホワイトのカットソー。
淡いグレーのテーパードパンツ。
革のベルトと、シンプルなレザーのスニーカー。
「これ、ジャケットの肩のラインが綺麗に出るね。
パンツも丈ぴったり。靴もこのくらいのボリュームならバランスいい」
プロの言語が飛び交う中、
ヒカリさんは、少しだけ目を見開いた後で、ゆっくりと笑った。
「うん、“私の”って感じ」
「……」
所有権の主張は冗談じゃなかったのね。
「ターコイズはね、一針だけ」
「……え?」
「次にアトリエ来るときにジャケット持ってきて。内側に一針だけ“所有権の主張”を入れる。あなたが気付いてるだけでいい。外からは見えない」
「ちょっとー、うちの服に針入れないでよ」
「この子は私のだから、いいのー」
いや、とんでもないこと言ってるぞ、この人たち。
「服装さえまともなら中の中、だっけ?」
「アキハから聞きましたね?女性陣の情報共有どうなってるんです?」
「これなら中の上に片足くらい入るかしら?」
「……これだけいい服着せられたら、まあ、そうなるでしょうね」
ヒカリさんは、満足そうに頷いた。
「こないだ言ったでしょ。『隣、胸張って歩ける服着せてあげる』って」
彼女は、俺の襟元を軽く整えながら、鏡越しに目を合わせてくる。
「……これなら、大丈夫」
その一言が、じわっと胸に染みた。
「いつか、『あの時ヒカリさんに選んでもらったやつです』って言う時、今日の写真見せてあげる」
「……写真撮るんですか」
「撮るに決まってるでしょ」
「ヒカリ、撮ってあげる」
「ん、お願い」
スマホが構えられた。
ヒカリさんと並ぶ。
……並んでもいい服を、着せてもらっているはず。
「はい、“誕生日デート仕様の彼氏と、その所有権主張してる彼女”」
「タイトル長いです」
「いいの」
「――似合ってるよ」
真横からの、そのひと言。
シャッター音が、小さく室内に響いた。
顔が真っ赤になった写真を撮られた。
◇
買い物を終えると、少し早めのランチの時間だった。
「昼は軽くね」
「夜の期待が高まりますね」
近場のカフェに入る。
店員さんがメニューを持ってきたので、パスタランチを二つ注文する。
「で、彼女はできた?」
ヒカリさんが、パスタにフォークを絡めながら聞いてくる。
「この状況で聞きます?」
「聞いておかないと、“彼女さんに悪いことした”感じになっちゃうじゃない」
「服買った後に聞くのおかしくないです?」
「で?」
「……今のところおりません」
「よろしい」
その「よろしい」は、どういう意味なんだろうか。
……ちょっと仕返ししたい。
「ヒカリさんは」
「ん?」
「ヒカリさんは、大学時代モテモテだったのは知ってますが、今、彼氏さんは?」
「この状況で聞く?」
「“彼氏さんに悪いことした”感じになりたくないので」
「もう、生意気よ」
ヒカリさんが笑って、額をつついてくる。
「いたら、タマキくんを部屋に上げないし、ちゅーもしないわよ」
「……」
何を言ってもぼろが出そうで無言になってしまった。
「安心した?」
ニヤニヤしながら反撃される。
「すみませんでした」
「よろしい」
今度の「よろしい」は、悪戯心なのはわかった。
そこからは、“普通のデート”だった。
雑貨屋を覗いて、カフェでお茶を飲んで、ちょっと公園を歩いて。
「似合うね、その服」
ことあるごとにそう言われて、そのたびに照れる。
「このバッグ可愛い」
「ヒカリさん、荷物多いですよね」
「資料持ち歩くとねー」
「この前も、スケッチブック二冊出てきましたし」
「減らないのよね、あれ」
日常と仕事の話が、当たり前みたいに混ざる。
ヒカリさんの最近の話にもなったり。
「先週、久しぶりにボルダリング行った」
「以前バーで飲んでる時に、好きだと言ってましたね」
「うん。体型も維持しなきゃだから結構努力してるのよ?」
「なんとなく知ってましたけど、それなら普段の私生活をもう少し……」
「それも含めて、タマキくんの仕事でしょ」
「俺、飯作りのレベルは並ですよ?」
ショーの話になったり。
「最近、双子ちゃん達どう?」
「実家の“超豪邸”からテレビ通話来ました」
「あー、あそこね。行った時、迷子になりかけた」
「行ったんですね」
「そりゃ、プロとしてご挨拶に行ったわよ、無茶させたんだもの」
そうやって、どうでもいい話と、たまにちょっと真面目な話を混ぜながら、日が傾いていった。
「じゃ、そろそろ、行きつけに連れてってあげよっか」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
(つづく)
最近、上手く一話に収めきれないことが多くて困ってます。




