第66話 夏休み初日、深夜コンビニとどうでもいい話
202X年、8月1日 深夜
――午前二時。
床には、夏休み初日から全力でくつろぐ人類が四名。
「……」
テーブルの上には、空になった紙皿と、ポテチの袋と、飲みかけのペットボトル。
テレビは消えているけど、ゲーム機のランプはまだ点いている。
ベッドにうつ伏せでスマホを握ったまま寝落ちしてるのがナツキ。
あの姿勢、起きたら「肩こった」とか文句言うんだろうな。
ソファとテーブルの隙間に、「にゃふ……」と寝言を言いながら丸まってるのがフユミ。
ゲームに負けすぎて、拗ねたまま寝落ちした。
窓際の一番涼しい場所を確保して、クッションを抱いて仰向けなのがアキハ。
雑誌を顔の上に落としたまま、薄く口を開けてスースー寝ている。
ソファと壁の隙間。持ち込んだ専用枕に、半分以上沈んでいるメグミがいた。
タオルケットに包まったまま、かすかに「省エネ……」と呟いている。
その枕、俺も使いたいんだけど。
そんなある意味平和を眺めながら、本を読んでいると、スマホが震えた。
≪イズミ:コンビニ行こうぜ。今すぐ。夜風テイスティン。≫
夜風テイスティンて何だよ。
そういう意味のないノリ、嫌いじゃない。
そっと立ち上がる。
誰も起きないように、足音を殺してサンダルをつっかける。
「コンビニ行ってくる」
小声で呟くと、ソファの影から「にゃふ……プリン……」と寝言が返ってきた。
お土産候補が一個増えた。
◇
夜の廊下は、いつもより静かだった。
非常灯だけがぽつぽつと灯っていて、外の国道の車の音が、かすかに聞こえる。
階段を降りて外に出ると、生ぬるい風が身体を撫でた。
アパートの玄関前。
街灯の下で、イズミがエコバッグ片手に待っている。
その向こうから、手を振りながらシンジもやってくる。Tシャツ、短パン、眠たそうな顔。
「よぉ、“ハーレムルート解放条件クリアした男”」
「やめい、シンジも来たのか」
「イズミから“夏休み初日コンビニの儀”って呼び出されてさ」
「儀式名付いてたのかよ」
アパートの前の道路は、さすがにほとんど車も人もいない。
遠くで救急車のサイレンが鳴っているのと、虫の声。
「行くか」
「行くべ」
「行こ行こ」
三人で、いつものコンビニまで歩き始めた。
「夏休み、始まっちまったなー」
最初に言ったのはシンジだった。
それだけで、なんだか答え合わせは終わった感じがする。
「始まっちまったなー」「始まっちまったなー」
三人で同じことを二回ずつ言って、どうでもいい満足感を得る。こういうのが深夜だ。
笑いながら、コンビニの自動ドアをくぐる。
深夜のコンビニは、昼間より冷蔵ケースの音がよく聞こえる。
「ピーン」という電子音と、「いらっしゃいませー」のくぐもった声。
雑誌コーナーの前にいるのは、スーツ姿の社会人が一人だけ。
あとは、品出ししてる店員さんくらいだ。
「とりあえず、アイス」
「酒」
「スポドリ」
目的がそれぞれ違いすぎる。
とりあえず、フユミの寝言に応えるべく、プリン売り場を見る。
“ちょっといいやつ”と“安い方”で三秒悩んで、真ん中の値段のやつを部屋で寝ている人数分カゴに入れた。
「優柔不断の極み」
「うるさいな」
「なんかさ」
ふと、隣に立ったシンジが言う。
「こういう夜にコンビニ来ると、“夏休み感”ヤバくない?」
「分かる」
「昼間のコンビニと何が違うんだって言われると困るんだけどさ」
「買ってるもんが違うんだろ」
「他にいるもんある?」
「ポテチ」「唐揚げ棒」「やきとり」
「お前らさぁ……」
「夏休みだぞ?」
レジ前のホットスナックゾーンを前に、完全に欲望に支配された顔をしている二人を見て、諦めて同じものを頼む。
会計を済ませ、コンビニの横、ちょっとした植え込みの縁に三人で腰かける。
「――で」
イズミが、炭酸を一口飲んでから、唐突に言った。
「一番“水着姿”見たいのは誰だ?」
「お前さぁ!!」
「こういう場でこういう話するために、男子三人で夜中に出てきたんだろうが!」
「そんな崇高な目的知らない」
「でも気になることは気になる」
シンジが真顔で頷く。
「ほら、“墓まで持ってくランキング”とかあるじゃん?」
「あるけどさぁ」
……あるけど。
あるけども。
「はい、タマキからどうぞ」
「なぜ俺から」
「一番火種背負ってる男から順番にね?」
「やめろ」
夜風が、ほんの少しだけ頬を撫でる。
道行くタクシーのヘッドライトが、俺たちの影を伸ばして通り過ぎる。
「……じゃあ、条件付きで答える」
「なんだよ条件」
「ここで出た名前は、誰にも言わないこと」
「当然」
「ログも残さない」
「当然」
「あと、明日朝になったら、ちょっと忘れかけてるくらいのノリで」
「それは普通に寝不足の問題だな」
シンジとイズミが、ペットボトルをテーブル代わりにして待っている。
「……水着か」
思わず、脳内でいろんな姿が勝手に再生されてしまう。
夏合宿の浴衣、春の部室、バー、バイト先――
「マヨイ先輩だろ」
「ああ」
「欲望に正直すぎる」
口が勝手に動いた。
二人の声が重なる。
「待て、何その“やっぱり”ってリアクション」
「いや、だって、なあ?」
「……まぁ、あの胸は反則」
「しかたねーだろが。……この会話は墓まで持ってけよ?」
「墓まで持ってく。俺たちの友情の墓まで」
「友情はすぐ死にそう」
「じゃ、次シンジ」
「僕?」
シンジは少しだけ考えてから、あっさり言った。
「アキハかな」
「綺麗系担当」
「純粋にスタイルから来る攻撃力が高すぎる」
「その攻撃、誰か死なない?」
「サンオイル塗ってとか言ってきそう」
「タマキ塗れる?」
「死ぬ」
「イズミは?」
「俺?」
イズミは、ちょっと黙る。
「……やっぱり、ナツキ、かな」
「おぉ」
「いや、まあわかる」
「だってさぁ、お前ん家のソファでいつもだらしなく転がってる美少女が、ちゃんと水着着たらギャップえぐそうじゃん」
「だらしないって言うな」
「分かるわー」
シンジがしみじみ頷く。
「メグミは?」
「浮き輪にハマって、お腹だけぺちょーんってなってるイメージ」
「わかる」「それ写真撮りたい」
「カオル先輩」
「確実に似合うし、見せつけてくるでしょ」
「想像できすぎる」「目を逸らしたら負けタイプ」
「フユミは?」
「水着で「にゃふ……」って言いながらバテてたら、多分死ぬほど守りたくなる」
「にゃふ担当」「絶対可愛い。けど本人が秒で赤くなるから俺の心臓が耐えない」
「カズネは?」
「絶対自撮りしてる」
「ポーズ研究してから来る」「タグ“#映える”を背負って現れるタイプ」
「真白先輩」
「水辺の妖精」
「わかる」「海の家の看板娘とかやっててほしい」「わかる」
笑い声が、夜の住宅街に小さく溶けていく。
くだらない話の在庫は無尽蔵だ。
“コンビニのおでんは夏もうまい”とか、“夏のガリガリ君は味が哲学”とか、“来世は部屋の扇風機になりたい”とか。
どれも、明日の朝には忘れていていい。
「なあ」
シンジが爪楊枝をくるくる回しながら言う。
「こないだ部室にさ、嘘発見器あったろ。あの玩具みたいなやつ」
「あった。カズネが持ち込んだ説と、カオル先輩が仕掛けた説と、コウメイ先輩がストレス発散用に導入した説で割れてる」
「最後だけ怖い」
「怖い」
「あれ、絶対ろくな使われ方しないやつだろ」
「絶対近いうちにカズネあたりが喜んで大会開催するやつ」
「“好きな人いますか?”って聞くに決まってんじゃん」
「回答する前にぶっ壊すわ」
「でもあれ、意外と盛り上がるよな」
「『この中に好きな人がいまーす』のやつ?」
「高校か」
「若さを取り戻したい年頃なんだよ」
「じゃ、仮想練習」
イズミが唐揚げ棒を指揮棒みたいに振る。
「“寝顔が一番可愛いのは誰か”」
「お前それ、嘘発見器よりタチ悪いぞ」
「いいじゃん、男子三人だけなんだし」
「お前んちもだいたい誰か寝てるし。観測データ多いでしょ?」
「観測って言うな」
どーせろくでもない。けど、こういう夜は、ろくでもないが正解。
「俺は、メグミ推しかな」
イズミが、さらっと言う。
「“省エネモード”って言いながら寝落ちてるの、平和でいい」
「それは分かる」
「分かるな」
「お前ら満場一致かよ」
シンジが、少しだけ真面目な顔をする。
「僕は、寝顔だけなら、フユミが頭一つ抜けてると思う」
「“にゃふ……”って言いながら寝るの反則でしょ」
「それは分かる」
「分かってばっかり」
「タマキは?」
「カズネ」
「秒で出たな」
「写真撮る時はギラギラしてるのに、寝ると一気に幼くなるのが面白い」
「“面白い”で選ぶな」
「アキハは?」
「寝てても美人なのがずるい」
「寝てる時も可愛い系になったりはしないの?」
「そう。寝顔もアキハらしさを失わない感じ」
「ナツキは?」
「……あいつ、自分の寝顔かわいいって絶対自覚してるからな」
「お?」
「わざと半分布団からずれて寝るのやめてほしい。かけ直したくなるから」
「それはタマキの問題では?」
「マシロ先輩は抱き枕にしがみついて寝てそう」
「寝落ちまでの加速が早い。“電池切れました”って感じが可愛い」
「それ見たことある」
「あるのかよ」
「マヨイ先輩は文庫本抱いたまま寝てそう」
「……守らなきゃいけない感が強すぎて、可愛いを越えて焦る」
「お前ら、語彙に救いがないな」
「結論:全員可愛い」
「平和条約だな」
「この条約、午前四時で失効するやつだろ」
笑い声が、駐車場の隅で小さく弾む。
誰の寝顔がどうとか、起き抜けがどうとか、どうでもいいことを、延々話す。
「来年の夏休み、俺たち、まだここにいると思う?」
「急にそういう話?」
「いや、なんとなくさ」
頭上には、街灯に照らされた電線と、ちっちゃい星の光。
「この一年でさ」
イズミは、空を見上げたまま続ける。
「部室のメンツも増えたし。タマキの部屋は拠点化したし。ファッションショーだのなんだの、めんどくさい話も増えたし」
「“めんどくさい”って言うな」
「褒め言葉だよ」
「褒めてる顔じゃない」
シンジが、コンビニの袋を膝の上でいじりながら、ぼそっと混ざる。
「どこかのタイミングでさ、“去年とはもう違う夏休み”になってるんだろうなぁ、って思ってさ」
「そりゃあ、そうだろ」
俺も、空を見ながら答える。
「去年は、俺、ほぼ実家だったし」
「俺もバイト地獄だったし」
「僕は夏休みだけで彼女三人変わったし」
「お前だけ生々しい」
笑い声が、小さく夜に混ざる。
「でもさ」
イズミが、指を一本立てる。
「“なんかよくわかんねぇけど、夜中にLINE飛ばしたら誰かしら出てくるだろ”って確信は、去年よりだいぶ増えたよな」
「……うわ、それはわかる」
シンジが即答した。
「学生事務局チャット、誰かしら起きてるもんな……」
「夜中二時でも、誰かが“レポート終わんねぇ”って言ってる」
「それはお前だろ」
俺も、なんとなく笑ってしまう。
「去年まではさ」
言いながら、缶を指でコツコツ叩く。
「“夏休み”って言われたら、なんか、ぽっかり穴空いたみたいな感じだったんだよな」
「勉強するか、ダラダラするか、バイトするか、ぐらいしか選択肢ないしな」
「そう。“何も起きない”のが前提だった」
今年は。
気付いたら、周りに、うるさいくらい人が増えていた。
「――今年は“何かありそう”って感じがするんだよな」
自分で言ってから、「あ、なんかそれっぽいこと言った」と恥ずかしくなる。
「ほぉー?」
イズミが、ニヤニヤしながら横目で見てくる。
「“何かありそう”ねぇ?」
「やめろ」
「“誰かと何かありそう”?」
「主語を増やすな」
「“ハーレムルート解放済み”だからなぁ」
「その単語禁止って言っただろ」
シンジが、から揚げをもぐもぐしながら、半分寝た目で言う。
「でもまぁ、実際、“何も起きなくていいように”はなってないよな」
「どういう意味だよ」
「だって、部室行けば誰かいるし、タマキの部屋行けば誰か沈んでるし、バー行けば大人いるし」
「俺の部屋=沈殿槽みたいに言うな」
「放っておいても勝手にイベント発生するし」
「それは否定できない」
「だから、“何も起きなかった夏休み”には多分ならないよ」
シンジのその言い方が、やたら現実味があって、妙に納得してしまう。
「……そっか」
空を見上げる。
さっきより、少しだけ星の数が増えた気がした。気のせいだろうけど。
「じゃ、せいぜい、溺れない程度にがんばるか」
ぽつりとこぼした言葉に、自分でも苦笑する。
「お前がそういうこと言うと、なんか前フリに聞こえるからやめろ」
「来週あたり“たすけてイズミィィィ!!”ってLINE飛んでくるだろうな」
「そのときは嘘発見器持って駆けつけてやるよ」
「いらねぇ!!」
三人で、しばらくどうでもいい話をした。
「教授、絶対グルだったよな」とか、
「リン先輩の人妻疑惑の真相はどこまで本当なんだ」とか、
「ヒカリさんが、布の山に埋もれていた話」とか、
「メグミの省エネ枕、マジで柔らかい」とか。
全部、どうでもよくて。
でも、多分、こういうどうでもいい会話の方が、後になって思い出すんだろうな、ってぼんやり思う。
「そろそろ戻るか」
「そうだな」
「僕、バイトあるからこのまま帰るわー」
それぞれ、ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てる。
別に大したことは喋ってないのに、変な充足感だけはある。
「じゃ、またな」
「また」
夏休み初日の深夜は、そんな感じで、静かに終わった。
――まあ、悪くない。




