第65話 夏休み前夜。寂しい?うるさい?
202X年、7月31日 とてもいいてんき
――夏休み前日。
雲ひとつない青空。じりじりでもなく、じわじわでもなく、「夏、来ました~」って感じの陽射し。
天井を見ながら、ぼんやり考える。
あの日、教授に猫を褒められてから二日。
細かい修正作業や、事務局チャットでの燃え尽き祭りが終わって、
ようやく「ほんとに終わったんだな」と実感が出てきた。
……となれば。
「ふとん、サイコー」
俺は布団に沈んでいた。
枕に半分顔を埋めて、全身の力をだらーっと抜く。
スマホは手の届く範囲にある。水分もある。エアコンもある。人間としてギリギリ堕落しきれる環境だ。
「タマキ、邪魔」
掃除機のコードを肩にひっかけたナツキが、容赦ない視線で見下ろしてくる。
エプロン。短パン。部屋用Tシャツ。完璧な「掃除モード」。
「床に散らばってるプリントとタマキ、どっちから片付けたらいいか迷うんだけど?」
「そこはプリント優先して?」
「タマキは不燃ごみ?」
「せめてリサイクルして」
ガーッ、と掃除機が床を這う。
俺の足の甲に、ちょいちょい当たるのはわざとなのかどうなのか。
「いやー……でもさぁ……」
ごろりと寝返りを打ち、窓の外の青空を眺める。
「テストも終わってさ。レポートも出してさ。プレゼンも乗り切ってさ」
「うん」
「今日くらい、床と一体化してても許されると思わない?」
「床と一体化するにしても、そこじゃなくて隅っこでやってくれない?」
掃除機の先が、ぐいぐい俺の脇腹をつつく。
「ひどくない?」
「埃の取り残しがある方が問題」
現実的な理由だった。
掃除が一旦諦めて、ナツキがキッチンに立つ。
麦茶のピッチャーを冷蔵庫から出して、氷をガシャガシャ入れたグラスを二つ。
「そういえばさ」
コップをテーブルに置き、自分はソファで麦茶を飲みながら、ナツキが何気ない声で聞いてくる。
「夏休み、帰省するの?」
「ん、まあ、さすがに盆の数日間くらいはするつもり」
俺の実家は道内だけど、大学からはそこそこ距離がある。
高速バスで数時間のド田舎である。
人より牛馬の方が多い感じ。
「去年はもっと長く帰ってなかったっけ?」
「去年は一か月くらい帰ってたなー」
ちなみにナツキに帰省はないのは知ってる。
ないというか、祖父母宅まで含めて日帰り圏内。
「もっとすればいいじゃない?」
目は笑ってるけど、ちょっと探りを入れているのがわかる。
「函館弾丸ツアーもあるし、学校祭の打合せもバイトもあるしなー」
「ふーん」
ナツキが、こちらをじっと見ている。
“ふーん”の中に、いろんな意味が混ざっているのがわかる。
「もっといない方がいいか?」
こちらからも探りを入れてみる。
「いないならいないで、この部屋で好き勝手するつもりではあったゾ♡」
「具体的には?」
「まずキッチンにアイスの王国を作る」
「作るな」
「不在記念女子会とか」
「いたのに追い出されたことあった気がする」
なんだ王国って。
くだらないこと言いながら笑い合う。
「まぁ――」
少しだけ真面目な顔になって、ナツキが続ける。
「別に、一か月くらい実家に帰っても、この部屋は有効活用するわよ」
「そりゃそうだろ」
「タマキより友達も多いし、読みたい本だって山ほどあるし」
「なんで俺を攻撃するの?」
「だから、変に遠慮しないで、ちゃんと帰っていいのよ?」
その言い方が、ちょっとだけ優しかった。
「いや、その……」
言葉に詰まる。
“俺がいると、誰かがこの部屋で休みづらいんじゃないか”とか。
“俺なんかがそばにいると、ナツキの動きが縛られてないか”とか。
頭をよぎったことを、正直に言おうとすると、
いちいち重くなりそうで、怖くなる。
「ナツキが、寂しがるかなって」
代わりに出てきたのは、それだった。
我ながら、ずるい。
「…………」
数秒の沈黙。
ナツキの頬が、じわっと赤くなる。
あ、正解だ。
「さては」
細められた目。
「タマキが寂しいんでしょ?」
カウンターが飛んできた。
「俺は別に――」
否定しようとしたところで、言葉が詰まる。
実家は嫌いじゃない。
親や妹と仲は悪くないし、地元の友達と過ごす時間も、普通に楽しい。
見慣れた実家でごろごろしている自分と。
この部屋で、いつも通り「ただいまー」って言いながら扉を開けたら、
なんかもう普通の顔してナツキがいて、「おかえりー」って言われる自分。
「……うそん」
初めて比較した。
「……あれぇ?」
ナツキが、にやぁっと笑う。
「図星ィ?図星だよねぇ??ねぇねぇ?」
ナツキが、わざとらしく身を乗り出してくる。
顔が近い。湯上りじゃないのにいい匂いがするの、ずるい。
「……」
まずい。この流れはマズい。
これ以上何か言ったら、「じゃあ寂しくさせないようにしてあげよっか?」とか言われて、取り返しのつかない感じになるやつ――
脳内警報が鳴り始めた、その瞬間。
ピンポーン。
インターホンの音が、見事なタイミングで鳴り響いた。
「センパーイ、荷物置かせてくださーい!!!」
元気な声。
このテンション。この声質。
「カズネ!! よく来た!!!」
玄関を開けながら、心の底からの感謝が口をついて出た。
神はいた。名前はカズネだった。
「うわ、歓迎されてる!? どうしたんですかセンパイ、夏休み前のテンションにしては高くないですか!?」
「お前は今、俺を救った女神だ」
「やだぁ、プロポーズですかぁ?」
「調子に乗るな」
後ろから、「チッ」という非常に分かりやすい音が聞こえた気がする。
ナツキ、舌打ちやめなさい。怖いから。
「映え提灯と猫クッションとバイト用制服の一部、夏休みのために一旦ここに避難です!!」
「待て、最後の二つはともかく最初の提灯は何だ」
「“浴衣ナイト”の撮影用ですッ☆」
「聞いてないが?」
ツッコミながらも、嬉しい自分がいる。
「いやー、ほら、実家帰ると、弟妹に色々邪魔されるじゃないですかー。
ここなら、Switchもあるし、冷蔵庫にアイスもあるし、なんかもう“夏休みの夢の国”って感じで」
「俺の生活の拠点なんだけど」
「センパイの存在を楽しむテーマパークだからセーフでーす♡」
さらっとひどいこと言われた。
ナツキは呆れ顔で、カズネの方をちらりと見る。
「来たなら掃除手伝いなさい、カズネ」
「はーい!」
カズネが、嬉しそうに部屋に上がり込む。
空きスペースに荷物をどさどさ置きながら、きょろきょろと部屋を見回し――
「ここが“ハーレムルート解放条件クリア済み部屋”ですか……」
「その単語やめろ」
と、その時。
またしても、インターホンが鳴った。
「タマキー。夏休みのスケジュール共有しなさーい。いない日に大改装するわよ」
アキハの声だ。
「……ハーレムルートですね!!」
「俺が悪いのか、これは?」
カズネとナツキが、どこか楽しそうに笑う。
玄関のドアを開けると、アキハが手を腰にあてて立っていた。
肩からは、メジャーと養生テープと何かのカタログがのぞくトートバッグ。
「やっほー。模様替え魔、参上」
「うちで何するつもり?」
「いやぁ、ベッドの位置と本棚と、テレビ台と……まあ、全部」
「誰の部屋?」
「私の実験場」
「やめろ」
アキハがツカツカと部屋に入り、ぐるりと一周見渡す。
「うん、やっぱり夏のうちに一回やろっか。ナツキも希望あるでしょ?」
「もちろん」
「俺の意見は?」
「タマキの意見は、この部屋に来る女性陣全員の要望叶えた後に聞いてあげる」
アキハとナツキが組んだ時点で俺の勝ちはない。
「というわけで、タマキ。夏休み、いつ不在なの?帰省と遊びの予定とバイトのシフト、全部出して」
「情報搾取がえげつない」
「部屋の稼働率を把握するのは基本でしょ」
「なんの基本だよ」
カズネが横から、ひょこっと顔を出す。
「センパイ、“ここはもうみんなの拠点”ってことでよくないですか?」
「カズネ、俺の味方してくれたらアイスあげるぞ」
「アキハセンパイとナツキセンパイに味方するのが正解です☆」
それはそう。
と、そこへ。
「お邪魔しまー……ぁ、すごい人口密度です」
廊下から、ぺた、ぺた、とスリッパの音。
「にゃふ……暑いので、エネルギーチャージしに来ました。ゴロゴロします」
フユミが、コンビニ袋をぶら下げて現れた。
Tシャツにゆるいスカート、髪は適当に結んだだけの、完全に休日モード。
「あれ?鍵は?」
「空いてましたよ?」
「アキハ?」
「すぐ後ろから来てたのよ、一階のロビーで溶けかけてたんだけどね」
連れて来てやれよ。
「いらっしゃいフユミ。今日すでに三人目だよ」
「にゃふ……エネルギーチャージのために、冷たいお茶と、タマキさんのお膝ください」
「ここ充電ステーションか何かなの?」
「にゃふ、“Wi-Fi完備・冷蔵庫完備・タマキ完備”」
「俺は完備してない」
「在庫いっぱい補充してください」
フユミは、そのまま慣れた動きでソファに定位置を確保し、コンビニ袋からアイスバーを取り出した。
「みなさんのぶんもあります~」
「お、気が利く」「フユミちゃんやさしー!」「愛されるやつだ」
アイスがひとつずつ配られていく。
フユミが俺のぶんの棒を選んで渡してくる。「当たりつきのやつ」だ。
「当たり出たら?」
「当たったら、膝枕一日券です」
「交換レートが特殊すぎる」
アイスを齧っていると、ピンポン。
まただ。
もう、次は誰かなという気分で玄関に向かう。
「おじゃましま~す、新しい枕置いていきますね~」
ドアを開ける前から聞こえてくる間延びした声。
メグミだ。
「メグミ、その新しい枕って何」
「タマキさんの部屋用の、“省エネモード専用枕”です~」
抱き枕サイズの、ふかふかした何かを抱えて立っていた。
タグには「低反発」「冷感」などの文字。
「これあったらここで寝落ち率上がるなぁって思って」
「これ以上寝落ち率上がるの?」
「寝落ちしたら、そのまま保護されるので安全です~」
「保護というか飼育」
「ここに来れば誰かいる率高いですしね~」
メグミは、そのまま部屋に上がると、枕をソファと壁の間に挟ませる。
「ここです~。“帰ってきたら誰かが沈んでるゾーン”にします」
「今でもだいたい誰かが沈んでるゾーンなんだが」
「競争率が上がるだけです~」
「需要があるのか、そのゾーン」
視線を巡らせると、部屋の人口が一気に増えている。
テーブルを囲んで、ナツキ、アキハ、カズネ、フユミ、メグミ。
ベッドの端に、掃除機とプリントの山。
冷蔵庫の前には、まだ片付いてないスポーツドリンクの箱。
うるさい。
でも、悪くない。
さらに、扉の向こうから聞き慣れた声が飛んできたのは、その数分後だった。
「タマキくーん!この部屋にもミシン置いていい!?安いやつだから大丈夫!!」
「ダメです」
反射で答えた。
「えー!?なんで!?」
ドアが開く前から、不満の声。
開けると、ミシンの箱を抱えたマシロ先輩と、その横で申し訳なさそうにしているマヨイ先輩が立っていた。
「マシロ先輩、それ本当に安いやつ?」
「うん!実家から5台も届いちゃって!一番安いやつ!!」
「待って、他が高ければ意味なくない?」
「大丈夫大丈夫!タマキくんの部屋にミシンがあったら、いつでもお裁縫できるよ!?」
「俺がする前提?」
「私がする前提!」
マシロ先輩は、キラキラした目で部屋の中を覗き込む。
「ほらぁ、夏休みも練習したくて? タマキくんの部屋も作業場にしたら便利かなって」
「便利なのは先輩たちだけなんですが」
「タマキくんも部屋に人がいた方が、寂しくないかなって思って!」
「…………」
そういう言い方をされると、強く断れないのがタマキくんです。
「ま、まあ……音出す時間だけは気をつけてくださいね」
「やったー!! お姉ちゃん、タマキくんの部屋にミシン置いていいって!」
「い、いいのかな……? あ、あの、タマキくん。こ、こないだ買った、この小説、おもしろかったから……よかったら……」
マヨイ先輩が、おずおずと文庫本を差し出してくる。
表紙には見覚えのある作家名。
「ありがとうございます」
受け取りながら、ちゃんと目を見て言う。
マヨイ先輩の耳が、少しだけ赤くなっていた。
「それ、返さなくていいからね」
「え?」
「読んだって言ってくれたら、それで充分だから」
「……じゃ、ちゃんと感想言いますね」
「うん」
可愛いかよ。
そんなやり取りをしていると。
「……ねぇ」
「はい!」
「今の、“完全に嫁候補ポイント高いムーブ”だよね?」
「マヨイセンパイ10ポイント!!って感じですね!」
アキハとカズネが、ニヤニヤしながら小声で盛り上がっていた。
なんだ、そのポイントは。
夕方色が部屋の隅からにじんできた頃、玄関でまたチャイム。
イズミとシンジが「差し入れ」と言って、焼きそばとから揚げを持ってきた。
玄関でリン先輩が「味見」と称してから揚げを三個消し、キッチンでさらに三個消した。
コウメイ先輩は「一口」と言いながら焼きそばを箸ごと持って、俺のパソコンで遊んでる。
ヒカリさんは“差し入れの差し入れ”でアイスコーヒーのボトルを置いて、仕事に戻った。
カオル先輩は「盗聴器仕込んでいい?」とか物騒なことを言って、アキハと図面を見ている。
…仕込んでないよね?
狭い部屋に夏の温度が満ちる。
「いただきます」
輪になって座り、紙皿に山盛りの焼きそば。
メグミが最初の一口で目を細め、フユミが「にゃふ」と言い、マシロ先輩が「おいしー!」と笑い、マヨイ先輩が「美味しい……幸せ……」と小声で言う。
カズネは“映える角度”で箸上げ写真を撮り、ナツキは「野菜食え」と切ったトマトを出している。
その光景を眺めながら扇風機に当たっていると、
「まだ夏休み始まってもいないのにぼんやりして、どしたのよ」
アキハがからかうような目で話しかけてくる。
「いや、なんか」
気恥ずかしくて、天井を見上げる。
「“うるさい”んだけど」
「うるさいんだけど?」
「……悪くないな、って」
視線を正面に戻すと。何人かがこっちを見ている。
……はっず。
イズミがからかうような表情で、グラスを軽く持ち上げる。
「ほら。“うるさい夏休み”の始まりに、かんぱーい」
「雑な乾杯だな」
でも、悪くない。
俺もグラスを持ち上げると、周りの連中もそれぞれ、ペットボトルやコップやアイスの棒で、バラバラに合わせてきた。
「かんぱーい」「にゃふぱーい」「省エネぱーい」「夏休みばんざい~」
どこまで真面目で、どこから冗談なのか分からない乾杯。
そういうのが、たぶん一番、今の俺にはちょうどいい。
「まあ、悪くないか」
誰かの笑い声を聞きながら、悩んだり、迷ったり、ちょっとだけ前に進んだりできるなら。
「タマキ」
隣で、猫クッションを抱いたナツキが、ぽつりと言う。
「今年の夏、ちゃんと楽しみなさいよ?」
「……ナツキも」
「私?」
「うん」
横目で見ると、ナツキは少しだけ驚いたような、それでいて嬉しそうな顔をしていた。
「……努力する」
「うん」
夏は、まだ本番が来ていない。
騒がしくて、めんどくさくて、ちょっと苦くて、でもきっと、笑える夏が。
この、うるさくて、散らかってて、妙に居心地のいい部屋から、始まろうとしていた。
無事三か月毎日投稿できました。
新年も、当面は毎日投稿続けたいと思います。
もし、読んでくださってる方がいるようでしたら、評価やブックマーク頂けると正直喜びます。
それでは、良いお年を。




