第60話 夏合宿⑨、四天王の後はチャンピオンだよね
202X年、7月下旬 夜(ティーラウンジ/CLOSED)
ナツキの背中が、ガラス戸の向こうに消える。
湯上がりの余熱と、言い切った後の微熱だけが残って、壁の時計の秒針が、やけに大きく聞こえる。
「……ほんっと、めんどくせえ男だな、俺」
ぽつりと呟いた瞬間――
カタン、と小さく音がした。
ラウンジの扉が、ほんの少し、遠慮がちに開く。
「……や、タマキ」
顔を覗かせたのは、アキハだった。
「おー……」
思わずぼやく。
完全に今日はナツキで「ラスボス戦終了」だと思っていた。
四天王の後にチャンピオン配置しないで欲しい。
げんきのかけら、もうないぞ。
「あー、油断したぁ……」
「なによー。もっと上手くやらないから悪いんでしょ」
アキハが、やれやれって感じでラウンジに入ってきて、ナツキが座っていた椅子にそのまま腰を下ろした。
椅子の位置と角度が変わらないまま、中身だけすり替わるの、ちょっとしたホラーだ。
足を組み、テーブルの上に肘を置きかけて、やめて背もたれに預ける。そういう小さな迷いが、アキハっぽい。
「わかってるよ……他には?」
「カズネとメグミかな。カズネはもう戻らせたわ」
「マジで?」
「マジ」
カズネ、どんだけ嗅覚いいんだ。
「“見ちゃった♡”って顔して、声が聞こえる距離まで近寄ろうとしてたから、首根っこつかんで、『それ以上近づいたら、今日三人で昼寝してた画像ばら撒くわよ』って麻雀部屋に放り込んでおいたわ」
「待って、撮られてるの?」
「まあ、いいじゃない」
「よくねぇよ!?」
「あと、メグミがロビーで寝たふりしてたけど、あの子は多分大丈夫」
「メグミは、寝たふりしてる時の方がちゃんと空気読むよな」
「でしょ」
頭の中で、ソファに溶けたまま「省エネモードです~」って言ってるメグミが浮かんで、ちょっとだけ肩の力が抜けた。
「いつもいつも悪いな」
「ホントによ」
即答。容赦はない。
でも、声色に棘はない。
呆れ七割、心配三割、みたいなニュアンス。
「カズネ、なんて言ってた?」
「『隙間からスクープ写真だけでも撮らせてください!』って言ってたけど、さすがに却下した」
「それは……ありがとう」
「撮らせても面白かったけどね?」
「テメェ」
軽口を飛ばし合って、また少しだけ静かになる。
「……ねえ」
「ん?」
アキハが天井を見たまま言った。
視線はこちらを向いてない時のアキハは、本音を投げてくる率が高い。
「私が合鍵ちょうだいって言ったらどうする?」
「……確認するが、別れたんだよな?」
最初に浮かんだのは、確認だった。
アキハ相手にだけは、変に格好つけても無駄だ。
……ナツキと違って一方的に全部読まれるんだよなぁ。
アキハは、少しだけ目を細めてから、ため息混じりに笑う。
「誰にも言わないでね?」
「言うかよ」
「今年の頭に、別れた」
やっぱり、そうか。
けど、“やっぱり”って思った自分に、一瞬ムカつく。
当て勘が良かったことに、喜ぶ資格なんてないのに。
「……なら、本気で欲しいと言うなら作るさ、アキハの為の合鍵くらい」
それは、自然に出た。
少なくとも、アキハに鍵を持たれて困る自分は想像できない。
言ってから「あ、これもしかして重いか?」と思ったが、もう遅い。
「ふぅん。じゃあまだ私も参戦していいんだ」
アキハが、わざとらしく目を細める。
「なんだよ、参戦って」
「そのまんまの意味よ~?」
アキハは指折り数えるみたいに、一本ずつ指を立てていく。
「ナツキでしょー、フユミに、カズネにメグミに、マシロ先輩とマヨイ先輩に、それと、ヒカリさん……タマキ、これハーレムにしたら干からびるんじゃない?」
「気のせいが混じってると思うんだが」
全力で否定したい部分と、完全には否定しきれない部分と、色んな願望と欲望と。
いろいろ混ざり合って、微妙な声が出る。
「ちなみにどれが気のせい?」
アキハの目だけが、ちょっとだけ意地悪く光る。
それが冗談半分なのはわかっているけど、回答を曖昧にすると絶対根に持たれるやつだ。
「それぞれ――」
頭の中で、一人一人の顔を描く。
「フユミは、信頼して甘えることができる相手」
ゲームの話で盛り上がって、腕の中でにゃふにゃふ言って寝てくれて、俺を頼ってくれる相手。
「カズネは、からかいがいがありつつ、程よく頼れる先輩」
空気読みすぎて心配になるくらい、実は俺のことをとても慕ってくれている理想の後輩。
「メグミは、安心して一緒にサボれる相手」
寝ながら横にいてくれて、“逃げる”って言葉を肯定してくれる共犯者。
「マシロ&マヨイ先輩は、ショーの時に仕事を代わったことへのお礼」
俺は何もしてないのに、信頼と恩を感じてくれていて、親愛を向けてくれるありがたい二人。
「ヒカリさんは、仲が良くて、程よく信用ができる後輩」
憧れの先輩で、バーの常連で、人生の先を走っている人。いろいろな意味で高嶺の花だ。
「……と、考えてくれているだけで、別に好意を抱いてくれてるわけではない、っていうのはどうだろう?」
「……」
アキハが、じーっとこちらを見ている。
「ナツキは気のせいじゃないの?」
「そんなこと言ったら」
反射で口が動く。
「アキハが告げ口して、後でナツキに怒られる」
「わかってんじゃん」
ニヤリ、と笑ってから、ふっと真顔になる。
「……イズミの言い回しじゃないけどさ」
「ん」
「“自分のことだけ無能”やるの、そろそろやめたら?」
言葉は柔らかいのに、芯がある。
「……」
喉の奥で言葉が止まる。
「そんなに“好意を向けられるような大した男じゃない”って、思ってる?」
図星の位置を、正確に撃ち抜いてくる。
「……俺なんかが隣に並ぶべきじゃない」
自分でも、言い訳がましいと思うくらいの声で言う。
「はいはい」
アキハが、手をひらひらと振って遮る。
「バカね、言い訳にしか聞こえないわよ」
言い方は軽いのに、目は笑ってない。
テーブルに置かれた指先が、コト、コト、と静かにリズムを刻む。
「相手には踏み込ませるくせに自分だけ逃げて」
「逃げてる自覚はあるよ」
そこは否定できない。
むしろ、その自覚だけがやたら鮮明だ。
「最近モテモテだもんねぇ?」
わざとらしく伸ばした声で、アキハが言う。
「……なぁ、アキハ?」
「なぁに?」
少しの間。
ラウンジの時計の秒針が、五つくらい進む。
「……なんで俺なんだろうな」
胸の中で、ずっとぐるぐる回っていた問いが、そのまま口から落ちた。
「もっとイケメンも」
「いるね」
言いながら、自分で自分にダメージを与えている気がするが、止まらない。
「もっと気遣いが上手なやつも、優しいやつも」
「いるいる」
「もっと金があるやつも、スポーツが出来るやつも、勉強ができるやつも、将来有望なやつも」
「うん」
「……SEXが上手いやつも、いるだろうに」
最後だけ、少し声が小さくなる。
「それそのまま、みんなに聞いてみたら?」
アキハは、あくびでもするみたいな軽さで言う。
「『なんで俺なの?』って」
「……アキハ以外に聞けるかよ」
この返しはないな、と一瞬遅れて自分で苦笑する。
「うーわ」
アキハが額を押さえる。
「はい、減点ー」
「なんだよ」
「“アキハは特別枠です”って顔で言わない」
「顔は関係ないだろ」
「“アキハ以外”とか言った時点で、もう私が“特別枠”だって自覚してるし、減点」
「理不尽な採点だな」
「“アキハだけ特別”みたいなこと言う男、だいたい信用ならないのよ」
「ひでぇ評価だな」
「経験則~」
軽く舌を出して笑う。
「……ちなみにさ」
そう言って、小さく笑う。
その笑い方が、どこか少しだけ寂しそうなのを、見逃すほど鈍くはない。
「私の彼氏だった人ね」
「うん」
「社会人だったし、タマキより当然イケメンだし、お金もあったし」
「凹んでいい?」
「包容力もあったし、身長も195cmあったし、腹筋バキバキだったわよ」
「追い打ちがえぐい」
「これでも理想の高い女なの」
どや顔をするな。
まあ、知ってたことではある。
年上社会人彼氏、ってだけで、色々負けてる気はしてた。
テーブルに額をこつんとつける。
自分で振っておいて、しっかりダメージを食らうスタイル。
「でもねぇ」
アキハの声が、少しだけ柔らかくなる。
「タマキ」
「ん」
「去年の今頃、私に手ぇ出さなかったじゃない」
心臓が、一回だけ変な打ち方をした。
終電逃して、二人で俺の家。
膝の上、あと一歩――で、「やっぱ無し」と踏みとどまった夜。
「彼氏いたからだろが」
あの時、よく耐えたな、と我ながら本当に思う。
「必死に我慢したんじゃ、こっちは」
「知ってる」
即答だった。
「言わないだけで、“あ、今めちゃくちゃ我慢してるなー”っての、こっちからもわかったもん」
軽く笑う声の奥に、少しだけ熱が混ざる。
「だから、余計に厄介なのよねー」
「厄介?」
「“我慢された”って、後から効くのよ。“あー、タマキなら今どうしたかなー”とかね」
「……もしかして、別れたの、俺のせいか?」
自分でも「ないわ」と思いつつ、一応口にしてみる。
「はい、自惚れ男きしょいー」
遠慮ないダメ出しが飛んでくる。
「ですよねー!!」
「でも、そうやって“自分のせいにしとけばいい”はやめなさい、タマキ」
ぐっさり刺される。
「泣いていい?」
「泣けるなら泣きなさいよ」
アキハは、少し悪戯っぽく笑う。
「ナツキに自慢するから」
「泣いてるの見たことあるじゃん」
「“見たことある”と、“泣きに来てもらえる”は別よ」
そこで、少しだけ表情が柔らかくなる。
「……ああ、それはたしかに」
俺の「泣いた」記憶は、どっちかというと“泣いているところを見られた”方が多い。
“泣きに行く”って選択を取れたことは、そんなにない。
「ま、要するにね」
指を一本立てる。
「タマキの周りの子は、そんな“スペック要素”でタマキのこと見てないんじゃない?って話だから」
「スペック要素」
「金とか顔とか、スポーツとかベッドテクとか。そういうやつ」
いちいち言い方がストレートだ。
「いや、ゼロでは見てると思うけど?」
「見てるんだ」
「うん。
でも、“それがメインじゃない”ってことくらいは、わかるかなー」
そう言って、アキハは俺の方をじっと見た。
「“一晩でわかる優しさ”じゃなくて、“一年経たないと気づけない優しさ”とか。
“抱きしめてくれる腕”じゃなくて、“抱きしめないでいてくれた夜”とか。
そういうの、刺さる子には刺さるのよ」
「なんか急に詩的になったな、アキハ」
「うるさい、浴衣の日は色気が増すのよ」
「それは知ってる」
アキハは、ふっと笑って、話題をおもむろに横に滑らせる。
「ところで――」
「うん?」
「合鍵の話、本気で言ったら作ってくれるの、ほんとに?」
「いつでも」
「ふふ。じゃ、欲しい時に欲しいって言う。いらない時は、いらないって言う。それでいい?」
「わかった」
「その間にね――タマキ、ちゃんと“選ぶ練習”しときなさい。
“選ばれたい”って顔の女の子に甘えられて、“全部守る”って言って、全員落とすのが一番ダサいから」
グサグサグサ。
「……わっかんねー」
情けない声が勝手に出る。
「俺が女なら、俺とは付き合わん」
「客観的に見たら私もそう思うわ。はは」
アキハはケラケラ笑う。
「間違っても自分の友人には勧めない男ね」
「ひでえ」
「褒めてるんだけど?」
「どこが」
アキハが、くすっと吹き出した。
言ってることはわかるけど、素で刺さる。
「アキハ、実は俺のこと嫌いだったりする?」
俺は、半ば自棄気味に顔を上げる。
あ、今の俺、“アキハは特別枠です”って顔してる気がする。
「嫌いな奴からもらった植物、大事にしないわよ」
減点しないでくれた、ありがたい。
「あー……あれ、元気?」
「当然。……家族には冷やかされたけどね」
「家族に?」
なんで冷やかされるんだ?
「なんでもない、そろそろ戻りましょ」
アキハが立ち上がり、ふと思い出したみたいに指を立てる。
「あ、そだ」
「?」
「タマキ」
いたずらっぽく彼女の目尻が上がる。
悪魔の合図を、俺はもう何度も見てきた。
「タマキ、SEX下手なの?」
「お前さぁぁぁぁ!!!?」
声が思った以上に大きく出て、慌てて口を押さえる。
「しーっ」
アキハが指を唇に当てる。
可愛い。
「卓球組来ちゃうでしょ。『SEX下手』って叫んでた先輩いたとか噂になったらヤバいからね?」
「誰のせいだよ!!」
「いやぁ、『SEXが上手い奴もいるだろうに』とか自分で言うからさぁ」
「そこだけ拾うな!」
「大事なとこでしょ?」
「大事だけども!」
「ちなみに、どうなの?」
「知るか!三回し、か…………………………」
「ほほう?」
「ごめんなさい、勘弁してください、マジで許してください」
口が滑った。死にたい。
「ひとまず、“過去四人”からクレーム来てないなら、仮及第点ってことでいっか」
「やめてください。俺の過去を勝手に採点するの、やめてください」
「冗談よ。――でも、心配なら、練習に付き合ってあげよっか?」
「軽率に爆弾投げないでもらえます?」
「それとも、本番として採点してあげよっか?」
「しなくていい!!」
「安心しなさい。私は、上手い下手より、“どれだけ丁寧に向き合えるか”を大切にする人の方が好き」
声が大きすぎたのか、廊下の向こうから、「なになにー?」という一年生の声が微かに聞こえてきて、慌てて口を押さえる。
「……」
「……」
しばし睨み合い。
先に吹き出したのは、アキハだった。
「あー、おもしろ」
「他人事だと思いやがって……」
「あら、他人事じゃないわよ」
「性格悪いわ」
「私の性格、今さらでしょ」
肩を並べて歩き出す。
「私は女子部屋で二次会よー。深夜料金で恋バナ聞いてあげよっかな」
「適度にしてやれよ」
「お互い様。どうせそっちもこれから相談されるんじゃない?」
「多分な」
最後に片目だけウインクして、一緒にガラス戸を押し開けた。
夏合宿の夜は、まだギリギリ、“楽しいほうのハプニング”の範囲内だ。
その境界線上を、俺たちはふらふら歩いている。
さて、まずはそこで寝たふり……いや、ガチ寝してるメグミを回収するか。
その後、どの部屋の二次会に参加しようかな。




